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叫ばなかった自分を褒めてやりたい、と後に思った。
所々跳ねた少し長めの黒髪、目の下の隈は黒縁眼鏡と前髪で隠されていて、それだけならばどこか陰気そうな雰囲気を醸し出していそうなものだけれど、スッキリと伸ばした背筋と甘やかな声、ちらりとのぞく切れ長の目でそれらの要素がミステリアスなイケメンになるのは素直にすごいと思う。
百鬼泰成……前の世界ではずっと百鬼さん、と呼ばせていただいていた彼は、じっとこちらを見つめたままに動かない。
(……………ほんもの、だ)
百八十センチの長身を軽くかがめて、私の方へと顔を向けている。
ええと、その本がどうした、とか、聞かれた。え、待って欲しい、唐突すぎて混乱してしまって、何をどう返すのが正解なのかがわからない。
だって彼は、隠しキャラなのだ。
幼なじみルート以外ではよく第二図書室で出会う先輩として存在して昼休みに第二図書室へと行けばランダムで出現する。彼はこの絵本コーナーについてなぜだかものすごく詳しくて、幸福の絵本のヒントになるような話を教えてくれるのも彼だ。
そして幼なじみ狐野陸のルートでは、終盤に豹変して主人公達の前に怪異として現れる。
彼がヒロインと出会う記念すべき第一回目のイベントは、序盤の共通ルートにある「金糸雀の鳴く鳥籠」という怪異をクリアし、狐野陸の好感度が十パーセント以上で初めて解放されるものだ。
共通ルートは個別ルートに入る前の全員と出会うプロローグ的な役割もあり、そこで各キャラの好感度をある程度稼ぐのは完全個別ルートではない乙女ゲーのあるあるなのだが。
(金糸雀は見たことないし確かに同じクラスに狐野さんいたけど視線があったことも無い……出会う要素ひとつもクリアしてないのになぜ!)
ああでも、そういえばゲームとは違う出会い方だ。ゲームでは、彼は語部さんの落とした本を拾って手渡してくれたのが初対面だった。
見返したまま言葉も出ない私に、彼は「……ああ」とマイペースに頷いた。
「急に話しかけてごめん。俺は二年の百鬼泰成」
なぜか唐突な自己紹介をした百鬼さん、そこじゃない、そこじゃないんです。多分見知らぬ先輩が唐突に話しかけてきたから驚いてる、と思われてるのだろうけどそうじゃないんです。
はくはくと唇を動かすも声が出せない私に、君は一年だね、と私のリボンタイを見て言った。ここは学年ごとにリボンタイとネクタイの色が異なるので、分かりやすかったのだろう。一年の私は赤いリボンタイ、二年の彼は緑のネクタイだ。
「……こやま、はるか、です」
とりあえずなにかいわなきゃ、なまえ、そう名前だ自己紹介しないと。と混乱したあたまでひねり出した何の変哲もない自己紹介に、百鬼さんはふわと口元を笑みにかたどる。
尊い。間近で見る推しの笑顔、破壊力がやばい。尊い。尊いしか浮かばない、私の語彙力は死んだ。ゲームでも、この控えめな笑顔が好きだった。優しい声が好きだった。
絵本が好きなんだよね、と笑っていた彼が慟哭し、黒く染まっていくのをどうしても救いたかった。
「ハルカ、ね。うん、覚えた。俺のことは気軽に泰成先輩とでも呼んで。それで、その本がどうかしたのかな」
それ、と私の手にある幸福の王国を指さし、百鬼さん……いや、百鬼先輩は再びそれがどうかしたのか、と問い掛けた。え、泰成先輩ではないのかって? そんな馴れ馴れしく呼べません。先輩と呼んでと言うところだけいただきます。
彼の指を追いかけ視線を落とせば、先程からずっと手にしていた幸福の王が最後のページを開かれた状態で。
「それ、幸福の王国だろ? 宝を独り占めしたくて食べたのに、結局また国に取られた哀れな男の話」
「へ……え?」
そんな話だっただろうか、となんとも間の抜けた声が出てしまった。
いや、そんな話なのかもしれない。確かに途中、王子は幸福の娘に「このままかえりたくないなぁ」と言っている場面があった。本の締めの言葉は「こうして王国にはまた幸福がもどり、みんな幸せに暮らしました」だったけれど、王子からしたら国に取られたとなるのだろうか。
「……なんで幸福なんだろうと、思って。ハッピーエンドの話かと思ったんです、けど」
ぽつりとこぼれたその疑問に、ああそれね、と彼は笑う。
「幸福は王国にかかる言葉なんだよ。幸福とよばれる存在が居るお陰で幸せな王国、てやつ。王子視点だからバッドエンドぽく見えるけど、国全体からみればめでたしめでたしで終わる話だ」
彼の指先が、ラストのページの絵、泣いている少女を指す。
「多分この子の視点になってもバッドエンドだね」
王子と出会って王国へ連れていかれた幸福の少女。ずっと困った顔をして、最後には泣いていた女の子。
そういえば、彼女のセリフはただ一つだけだった。わたしは幸福です。そう王子に名乗るシーンのみで、あとはずっと黙っていた少女。
「誰のための幸福だったんだろうねぇ、この子は」
言いながら指先はそのまま王子へと移り、背景にいた国王へと移り、最後に何故か私に移った。
ゲーム通りの、掴めなさ。彼は語部さんにもこんな感じでふわふわと話すのだ。ヒントとも、皮肉とも取れる助言を幾度もくれるのに、最終的には救われない人。ヒロインの手を拒絶して、闇の中に笑顔で堕ちていった。
じっと見つめられる。
私を見る目は面白そうににんまりと弧を描いていて、何を考えているのか全然掴めない。けれど、そんな彼が私は好きだった。だから何度も通って、ランダムイベントを起こして、なんなら最後のシナリオをやらないままで彼が彼のままでいてくれる最後のシーン手前で止めていたセーブデータすらある。
このひとは、いま、まだ怪異とは違うのだろうか。
それとも、もうすでに怪異に手を伸ばしたのだろうか。
最後まで理由が語られなかった、彼の物語の。
いまはどのあたりにあるのだろうか。
「……なんだか、不思議な目で俺を見るね」
どんな目で見てたんだろう、と慌てるより先、彼はすっと上体を起こしてしまう。
「……俺ね、絵本が好きなんだよ。だから良くここに来てる」
君は好きかと問われて、わからないと首を捻る。この世界の絵本は知らない話ばかりだし、実際好きかどうかはわからない。
手に持っていた数冊の絵本も、好きだからではなく気になったから手に取ったのだ。
「あまり、ここの絵本は面白みがないだろう? みんな知ってるようなのばかりだし」
ああ、やっぱりこの絵本はこの世界のスタンダードなのか。ということは本当に私は小さい頃からこの手の話にほとんど触れずに来たようだ。それもなかなか珍しいような。本当に全然読まないままここまで育ったのか、私。
ああでも。彼が好きなのならば、私も読んでみたい。推しの好きな物はとりあえず触っておきたい。
「私、小さい頃からあまり絵本とか読んだことなくて、全然知らないんです」
みんな知ってるのだろうけど、私は知らない。なので、読みたい。
うん、不自然ではない。推しの好きな物を読みたいと言うよりは全然自然なのでは?
「……全然? この中の本、ほとんど?」
「えっと、はい。全然。これも内容わからなくて借りてみようかなって思ってたので……」
なんだろう、推しが私をキラキラした目で見てる。やめてときめく。あっすごいレアな感じの満面の笑みいただいてしまった軽率に惚れてしまう……いや既に前世から惚れてたんですけど!
「……絶滅危惧種だ」
「えそれ私です?」
ポソりと呟かれた絶滅危惧種という言葉に首を傾げれば、彼は本当に嬉しそうに笑った。
眩しい。推しの嬉しそうな顔、プライスレスどころじゃない。ゲームでは見られなかった顔だった。画面の向こうの彼はいつも微笑んではいたけれど、こんな風にぱっと綻ぶような顔はしなかった。
「なら待って。それじゃなくて……はい、こっち」
百鬼先輩は私の手から幸福の絵本と灰被りの魔法使いを取り上げ、違う二冊の絵本を手渡した。
タイトルは「かがやのひめ」と「ともだちと泣いた鬼」である。かぐや姫的なものと泣いた赤鬼的なものだろうか。表紙はそんな感じな気がするけど、中身はタイトル見ただけではつかめない。
「こっち読んでみて。幸福の王国と灰被りよりはとっつきやすい内容だよ」
推しのおすすめを手渡されて借りないという理由はなかった。
これあれだ、私オタクだから知ってる。
(好きなものを、それを知らない人にオススメしたいやつだ)