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私を抱えたままで生徒会室の扉を開けた百鬼先輩は、そのまま私をソファまで運んだ。まだ目を開けていいとは言われていないので目を閉じているけれど、この背中にあるふかふかな柔らかさは、多分ソファだと思われる。
腕が離れ、私はソファ(仮定)の上に仰向けて寝かされている状態だ。
なかなか目を開ける許可がおりないので、不安になる。まさかここはまだ生徒会室ではなかったのだろうか。その割にはソファっぽいものはあるので多分生徒会室であっていると思うのだけれど。
声を出してもいいのだろうか。百鬼先輩はまだ黙ったままだ。
無意識に胸のあたりで組んだ手に、温かな体温が寄せられる。
手を、重ねられた?
「ハルカ──悠」
ぞわ、と何故か背中が震えた。ただ先輩が私の名前を呼んだだけ、それだけなのに怖気が走る。
ぞわぞわした感覚が不安で、私は重ねられていた手に縋る。
「先輩?」
まだ目を閉じたままだったから、触れた感触を頼りにそろそろと指を握った私は、百鬼先輩を呼んでみる。先輩が声を出したのだから私も喋っていいだろうか、という考えだ。けど何かあっても怖いので、ものすごく小さい声で先輩がいるであろう方向に声をかけた。
「あの、先輩……まだ目は」
開けてはだめですか、そう聞こうとした声は、途中で止まる。
まだ開けるなと言うように、私の手からすり抜けた先輩の手が瞼の上に乗せられる。
「悠、まだもう少し閉じていて」
声は変わらず優しかった。それなのに、百鬼先輩が私を呼ぶと、どうしてか身体が震える。理由がわからなくて不安だった。先輩を怖いと思っているわけではないのに、どうしてか私の身体が言うことを聞かない。震えが手のひらから先輩に伝わってしまいそうで、それも怖かった。怖いのは先輩じゃないのは確かだと思っているのに、私はなにかに怯えてる。
「きみは、俺のことを知りたい……何も知らないならそれがいいと思ってたんだけどな」
独り言のようにそう言って、百鬼先輩はそっと瞼の上にかぶせていた手をどかした。
あけていいよ、と柔らかな声が降る。
恐る恐る目を開ける。少し眩しくて、何回か瞬きをしたあとに先輩の方を見る。
「え……」
そこには、確かに百鬼先輩がいた。ソファの横に跪いて、私の方を見ている。
でもその姿が、違う。
「なきり、せんぱい……です、よね?」
知っている。私は、彼がその姿になれることを昔から知っていた。
服装は制服だけど、背中まで伸びた黒髪と赤い目、それは彼の最期のシーンのスチルで描かれた姿だ。
どうして、と思うも、その姿になれるのならもう怪異の手を取っていたということだ。やっぱり私ではどうにもならなかったということで、彼を救うには私ではだめで、全部間に合わなかったということだ。
これは怪異と先輩が混じった姿であると公式設定にあった。なら先輩はもう、怪異の方に落ちている、ということに他ならない。
「そうだよ……悠、逃げないで。説明するから。きみが知りたいと思うことも、全部は無理でもちゃんと言うから、だからこのまま──ああ、身体は起こしてもいいよ」
穏やかに、柔らかに。百鬼先輩は言った。手を引かれて身体を起こすと、隣に先輩が座る。そのまま先輩は私の足をすくい上げ、膝の上に乗せてしまった。
「……えっ」
一瞬で恐怖や疑問や悲しみが吹っ飛んだ。
待ってくださいなぜ膝の上に私を乗せたんですか先輩分かりませんとても意味が分からないのですがどうして乗せたんですか落ちないように腕を回してくださったのは有難いのですが心臓が爆発してしまいますぎゅっとしないでください無理ですというかなぜ、どうして、なぜ。とりあえず横抱きに膝に乗せるのは良くないと思います主に私の心臓への負荷がやばいという意味で!
大混乱の頭の中はそのまま表情とも連動したのか、私の顔をのぞきこんだ先輩が目を丸くしたあと、ふっと笑った。思わず吹き出した、みたいな笑い方で、それは今まで先輩と過ごしてきた中でもウルトラレアな素顔で、私はなにがなんだかわからないままにその笑顔を見てさらに固まる。
「はは、顔に全部出てるよ」
背から腰を抱くように回された右腕はそのままに、もう片方の手が口元をおおってくすくすと笑っている。
あまりにもよく分からないこの状況下、私の脳は多分馬鹿になっていたんだろう。怖いのも不安なのも疑問も全部吹っ飛んだあとに、大混乱したそのあとに、私はその笑顔を見て嬉しくなってしまったから。ああ百鬼先輩が嬉しそうに笑ってる、とよくわからない安堵が先に来てしまった。
「……本当に不思議な目で俺を見るねぇ、きみは」
そっと目元を撫でた指先が、そのまま頬を撫で、いつの間にやら握りしめていた両手を覆う。先輩の大きな手が、ぎゅっと組まれた私の手を解くようにくすぐって、あれよあれよという間に私の右手は先輩の左手に絡め取られてしまった。
「どこからどう話せばいいのかな」
先輩はこのとき、私を逃がさないために物理的に拘束してたらしいのだけれど、私からしたら逃げるはずもないので、ただただ心臓に悪いだけだった。
先輩は、そうだね、とひとつ息をついてから「とりあえずさっきのから説明しようか」と笑った。




