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 泥で汚れた制服を新しいものに着替え、簡単な問診を受ける。

 着替えは生徒会室にあった予備をもらったのだが、これは怪異に巻き込まれた生徒のためにいつも複数置いてあるのだという。やさしい。制服を一式無料でくれたので、ありがたくいただいた。なにせ、元の泥で汚れた制服は浄化のために燃やされてしまったので、これがなかったらもう一着買わなければならなかった。


「うん、もう大丈夫だろう。彼女に取り憑いていた残滓も消えているし、見たところ不調もないようだし」


 具合が悪くないか、痛みの有無、思考は霞んだりしないか等々、そんなことを質問されては大丈夫だと答えていた私は、蛇目先生その言葉にほっと息を吐いた。

 自分が取り憑かれていたという自覚はほとんどなかったのだが、身体の奥に巣食っていた恐怖心やだるさは消えている。いや、恐怖心に関してはまだあるけれど、その対象がここにいる相手ではなくなった、が正しい。

 ちら、と壁にもたれてこちらを観察していた鬼塚先輩を見る。

 金髪で、つり目がちで、耳はピアスがいくつも付けられていて、見た目は完全に不良のそれだ。もちろん攻略対象の彼はとてもイケメンである。

 一匹狼で情に厚いという設定だけれど、彼はそんなに一人でいることを好んでいる訳では無い。祓う力があるせいか怪異に巻き込まれやすいため、なるべく一人でいるようにしているのだ。

 今回も、多分怪異に巻き込まれた生徒がいると聞いて来てくれたのだろう。


「さて、小山さんと言ったか。きみ、どうして放課後に渡り廊下へ?」


 蛇目先生の後ろにいた犬飼さんが、そう私に問いかける。

 さっきもそんなことを話していた。けれど、私は放課後に渡り廊下に行った記憶がない。それどころか、昼休みの途中で記憶はあやふやに解けている。


「あの」


 そもそもこの渡り廊下の怪異は放課後でなければ現れないとされている。だからここの生徒はそんな危険を犯すはずがないのだ。

 自分が呼ばれたのだと、明確に覚えている。そのときの恐怖もまだ心の中にある。

 けれど、私は渡り廊下なんて行くわけが無いのだ。どれほど危険か、それこそ前世から知っている。


「わたし、その、昼休みの途中までしか、覚えてなくて」


 第一図書室の席を立って、教室に戻ろうとしたことは覚えている。けれどそれ以降は霞がかったように朧気だった。


「眼目さんに言われて、教室戻ろうと思って……」


 そこから先が、不安定だった。教室に戻った覚えが、欠けらも無い。午後の授業も受けた記憶は全くと言っていいほどなかった。

 けれど、それはおかしいのだ。だって今はもう放課後で、彼らの話ぶりは私が放課後にあの渡り廊下に行ったということになっている。


「そこから先が」

「失礼」


 言いさした私をさえぎる形で、犬飼さんが私の顔を両手で上向かせた。

 気づかないうちにどんどん俯いていたらしい私は、急なことに目をまたたかせる。


「きみ、放課後にあの渡り廊下に行ったか?」

「い、いいえ。その、ぜんぜん覚えてはいないんですけど」


 じっと私を見下ろす犬飼さんの瞳が、金に染まる。

 きいん、と耳鳴りのような音がして、思わず目を瞑った。痛いのではなく、少し不快な感覚だった。

 そんな私を見下ろして、犬飼さんは口を開く。


「小山悠、きみは放課後にあの渡り廊下へ行ったか?」


 まるで水の中の声を聞いているように聞き取りづらい。何を言っているのか分からず、首を傾げる。

 なんて言ったのかを問い返そうとしたら、私の口からは全く違う言葉が零れる。


「いいえ、第一図書室をでたら渡り廊下でした」


 犬飼さんの眉が顰められる。そうして、問いかけは続く。

 私は自分の言葉の意味がわからない。たしかに喋っているのに、どこかぼんやりとして聞こえるのはどうしてだろう。


「誰に呼ばれた?」

「なつかしいこえに」


「きみを呼んだ声は男か、女か?」

「女性です」


「どんな風に呼ばれた?」

「繧ゅ≧縺吶$縺�繧�」


「どうやって戻ってきた?」

「わかりません。気付いたら廊下を半分くらい進んでいて、怖くて走りました」


 勝手に口から言葉が溢れてくる。それなのに、私は自分が何を言っているのかわからない。不思議な感覚で、けれど何故かそれは不快ではなかった。

 犬飼さんの手が離される。次いで、蛇目先生が私の顔を覗き込んだ。


「小山さん」

「……え、あ、はい」


 いけない、ぼんやりとしてしまった。

 そして気づく。これ、犬飼さんの特技……というより、お家芸だ。ゲーム内に度々登場し、情報収集に遺憾無く使われていた呪術。一種の催眠と呪いを掛け合わせたそれは、ひとの深層心理へとよびかける、らしい。最中は思考がぼんやりとして、意識は希薄になる。終わったあとも、ぼんやりとしてしまった、としか印象に残らないので、その呪いを掛けられているという自覚もないのだ。前知識があったから気付いたけど、そうじゃなければ分からなかっただろう。

 犬神付きの家系は呪術の系譜で、その次期当主となれば折り紙付きの腕前だ。全く耐性のない私なんかは掛かりやすかったに違いない。

 

「……すこし、時間を貰うことになるのだけれど大丈夫かな。お家の人に連絡しておこうか」

「いや、大丈夫だと……えっもう七時!?」



 今が放課後というのはなんとなくわかっていたけれど、ちらりと時計を見てびっくりする。もうそんな時間だったのかと慌てて先生に声をかけた。


「あの、すみません、電話してきてもいいですか?」

「ああ、待って。電話はここでかけていいから」

「すみません」


 生徒会室で、ということに首をかしげながら、廊下に一人で出るのも怖くて素直に電話をさせてもらうことにする。蛇目先生が電話を貸してくれたのでありがたくお借りして、自宅にかける。

 そろそろ夕ご飯の時間だから、ここまで遅くなることはほとんどないので連絡をしておかないと心配される。

 三回目のコール音で出てくれた母親に、遅くなる旨を伝えた。

 

「大丈夫なの? 今日はお父さんが車を使ってるから迎えに行けないけど……」

「えっとー……それは、多分大丈夫。まだどのくらいかかるかも分からないし、連絡が遅くなってごめん」

「それはいいけど。気をつけて帰ってきなさいね。ご飯はちゃんと取っておくから」


 優しい声に、少しだけ気持ちが落ち着く。ずっと燻っていた怖さが、小さくなっていくようだった。

 ほっと息を吐いて「大丈夫、じゃあまたね」と電話を切れば、それを待っていたらしい蛇目先生がふわりと笑った。


「大丈夫?」

「あ、はい」


 頷くと、先生はそっと立ち上がる。

 入れ替わるように犬飼さんが私の正面に座った。


「もういくつか、聞きたいことがある」

「はい」


 怪異についてのことなら、断る理由がない。ゲームでもこうやって生徒会室で被害者から話を聞いていた。

 ここで情報を収集し、クエストに出かけるのだ。なぜ生徒会室かといえば、ゲームではここに設置されているご意見箱に学校関連の怪異の情報が入ってくるからだ。ちなみに街中で起こる怪異の情報源はニュースである。


「きみは、百鬼泰成と知り合いか?」

「へっ? え、ええと、はい」

「そうか」


 なぜいきなり百鬼先輩の名前が。首を傾げていると、そういえばいつの間にか姿を消していた眼目さんが生徒会室へと戻ってきたらしい。戻りました、と静かなこえが聞こえてくる。

 どこに行っていたんだろうと思わず振り向こうとしたところで、焦ったような声が耳に届く。そして次の瞬間には抱きしめられていた。


「ハルカ! ああ良かった、目が覚めたんだね」


 顔が見えなくたって聞き間違えるわけがない。私を下の名前で呼ぶ男性は、この学校ではその人しかいない。


「……百鬼先輩?」


 私の呆然とした問いかけに、腕の力は少しだけ強くなった。

 


 

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