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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

デザートバイキング 『パウンドケーキ』

作者: 桜沢 純

 私がこの電車に乗るようになって数ヶ月。乗るのは三両目で、一番後ろの壁際に立っている。ここが定位置になってしまった。でもそれは皆同じようで、車内は見慣れた顔ばかりだった。

 それは、目の前に座っている女の子も同じで。

 長い黒髪を三つ編みにした眼鏡の可愛らしい女の子は、だけれど全然『ガリベン』という雰囲気もない、どこか儚い感じのする女の子だった。

 彼女は、いつもそこにいて本を読んでいる。

 何の本を読んでいるのかはカバーをかけているのでわからないけど、時々挿絵もあるみたいだから女の子向けの恋愛小説だろうか。文庫本をめくる仕草が可愛いと思う。

 この春から、家から離れた学校に通うことになった私は電車通学になった。彼女はどうやら私の学校から近くの学校の生徒のようで、同じ駅で降りて、同じ方向へと歩いていく。

 友達とは家の方角が違うのか、いつも一人だった。

 それは私も同じだから、いつも彼女の背中を見ながら登校するのが日課になってしまった。

 揺れる大きな三つ編み。夏服の袖から伸びる白い腕。膝丈のスカートから伸びる足も抜けるように白くて、私はなんとなくそれを見つめながら歩く。

 彼女は、私がそうやって見ていることに気づいているのだろうか。



 その人は、この春から見かけるようになった。

 あたしが電車に乗ってから三駅のところで乗ってきて、いつの間にか、いつもあたしの前に立つようになっていた。

 短い髪のよく似合う、すらっとした活発な印象のその人は、退屈な電車の中で音楽を聴いたりケータイをいじったりすることもなく、ただ窓の外を眺めていた。

 そして、時々、あたしを見ている。

 なんとなく見られているのがわかる。髪とか、顔とか、指とか、足とか、本とか。

 思いっきりなライトノベルを読んでるのが恥ずかしくて、ブックカバーを買ってしまった。

 見られるのが嫌なんじゃない。おじさんとか男子とかみたいにいやらしく見てきたりしなくて、ただ眺めてる感じで、ちょっとくすぐったい感じで、恥ずかしいのだ。

 だからあたしは、ずっと本を読んでるふりをしてる。

 学校も近いみたいで、その人はいつもあたしの後ろを歩いている。

 あの人は、あたしが気づいていないふりをしていることに、気づいているのだろうか。



 ある日、彼女がいなかった。

 いつも彼女が座っている場所には違う人が座っていて、私は思わず固まってしまった。

 風邪でもひいたのだろうか。自分が酷く動揺していることに気づいた。

 おかしなことに私は、名前も知らない、話したこともない彼女のことをとても心配していた。クラスメートが休んだって、こんな気持ちにはならないのに。

 その日は一日、上の空で過ごした。



 ある日、起きたら熱があった。

 お母さんに休みなさいといわれたけれど、あたしは学校に行きたくてしかたなかった。

 ううん。あの人の姿を見たくてしかたなかった。

 おかしなことにあたしは、名前も知らない、話したこともないあの人に会いたくて仕方がなかった。友達にだって、こんな気持ちになったことはないのに。

 ベッドの中で、あの人のことばかり考えて過ごした。



 二日たって、彼女はまたいつもの席に姿を見せた。

 私は思わず抱きしめたくなるような衝動にかられて、ぐっとこらえるのに必死だった。

 何だろう。私はどうしてしまったのだろう。

 彼女の前に立つ。と、いつもより大きく電車が揺れて、私の後ろの人が倒れ掛かってきた。

「あ、ご、ごめん……」

「い、いえ……」

 彼女に覆いかぶさるようになってしまって、私は慌てて身体を離した。

 柔らかい香りがした。胸が高鳴った。

 初めて聞いた彼女の声は、甘ったるく耳に響いて、何とも言えない切ない気持ちが、ぎゅっと胸を締め付ける。身体を起こしても、今も触れ合っている膝と膝。

 もっと触れ合いたい。

 そんな欲求が、怖かった。

 そんなことを考えているなんて気取られないように、私はいつも通りにふるまった。いつもは来ないでほしい駅が、今日は待ちどうしかった。

「あれ?」

 駅について、先に降りた彼女に続いて降りようとした時、座席に文庫本が取り残されていることに気づいた。彼女は気づかずホームを歩いている。

 私は咄嗟に本を掴むと、閉まりかけているドアから飛び出して、階段を上り始めている彼女に向かって駆け出していた。

 流れる人をかいくぐりながら、私は懸命に走る。どうしてこんなに必死なのか自分でもわからない。何かが弾けた。そうとしか言いようがない衝動に突き動かされるように、私は彼女目指して駆けていく。

「ま、まってっ!」

 改札を抜けた先。私の大声に驚いた風もなく、彼女はゆっくりと振り返った。私は呼吸を整えながら、本を差し出す。

「こ、これ……あなたのだよね?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 彼女はニッコリと笑って、本ではなくて私の手を両手で握った。



 風邪が治って、あたしはいつも通りに登校する。

 いつもの駅であの人が乗ってきて、あたしの胸は高鳴った。あの人はあたしを見て、ほっとしたような、怒っているような顔をして、でも、いつも通りに私の前に立った。

 と、その人は電車に揺られ、あたしに覆いかぶさってきた。

 柔らかく、爽やかな香りがして、あたしの頬に何かが触れた。唇だった。

「あ、ご、ごめん……」

「い、いえ……」

 唇の感触に、あたしは顔もあげられない。

 あ、膝が触ってるままだ。きっと後ろの人が邪魔でよけられないんだろうけれど、あたしの膝に内側から触れているその人の膝が、くすぐったいような心地よいような……ずっと触れていたいと思った。

 初めて聞いた声は、少しかすれたような、だけど爽やかな通る声だった。

 どうしよう。胸が苦しい。

 この人の手に触れたい。もし。もし、この人があたしのことをちょっとでも意識してくれていたら。もしも、さっきわざとあたしの頬にキスしたとしたら。もし、もし、もし……。

 だから、あたしは電車を降りるときに本を置いて、急ぎ足で歩いていく。

 もし、あの人が私のことを意識していてくれたら。

 振り返りたい衝動をこらえて、足が震えるのをこらえて、あたしはホームを、階段を、通路を歩く。

「ま、まってっ!」

 トクン。鼓動が一つ、大きく高鳴った。

 ゆっくり振り返る。あの人が、本を持って、肩で息をしながらそこにいた。

「こ、これ……あなたのだよね?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 私が笑って、本ではなくてその人の手を両手で掴むと、その人はちょっとびっくりしてから、笑い返してくれた。


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