第三十六話 魔物を越えた存在
拠点へと戻る最中、ちょうど噴水があったあたりに差し掛かった頃だろうか。
凄まじい唸り声と共に、立っていられないほどの地震が襲う。
「ナイっ!」
「大丈夫か。」
ヘレナがしがみついてくるのを受け止める。
一瞬、複数の何かに見られているかのような感覚が襲う。
それはまるで、毛穴の一つ一つを覗かれるようなおぞましい嫌悪感だった。
「いやっ…こわい。こわいっ!」
「落ち着け・・・」
やがて地震が収まった頃に、唸り声は止まり見られている感覚もなくなる。
「なんだったんだ。」
「わかんない、こわかった。」
とりあえずは拠点のある麓の方に戻る。
そこでは木製の足場は粉々になっており、あったはずの山は見る影も無くなっていた。
「何・・・これ。」
瞬間まるで花火が上がるかのような音、それは落下音だった。
あたりが暗くなり、影の中にあることに気づく。
頭の中に危険だということを知らせるサイレンが鳴り響く。
「糸製造、ストリング!!」
ヘレナに糸を括りつけ、瞬時にストリングで糸を一気に巻きとる形で遠方の木に逃がす。
凄まじい勢いでその場から逃がされるヘレナが見たのは、真っ白に染まった超巨大な脚に踏みつけられる、自分を助けた少年の姿だった。
しかし、悲しみにくれる叫びすら許すことは出来ない。
今声を上げることは少年が体を張って逃がしたことを無為にすることとなる。
少女は音を立てずにその場からゆっくりと離れ、その超巨大な存在の全貌を見ようと試みる。
その姿はまるで人間であった。
下半身は筋肉質の二本の脚。
上半身もまた筋肉質の胴であったがおかしな点があった。
そこにはあまりにも多すぎる腕が生えていた。
そしてその頭部は数えきれない数であった。
見た途端、全身を虫酸が走る。
先程の見られていた感覚はこれだったのだと理解してしまう。
「ヘカトン、ケイル・・・」
それは伝説状の魔物。
いや、神といってもいい存在だった。
クラスは当然のごとくブラック。
出会うことが悲劇。
しかも頼りにしていた、自分を救う少年はもういない。
死んでしまったのだ。
頭の中を絶望が支配する。
気づくと少女はその場に吐いていた。
頭の中を、心の中を支える何かが決壊してしまったのだ。
しかしその少女の肩に手がかかる。
一瞬の驚き、しかし少女は恐怖で動けない。
その体を動かすに至ったのは、たった一言の声だった。
「動けるか、ヘレナ。」
そこには少年が立っていた。
さっき死ぬ瞬間を見た少年が、何も変わらない姿でたっていた。
当然、幻覚だと疑う。
自分があまりの救いのなさに作り出してしまった幻覚だと思ってしまう。
自分は狂ってしまったのだと。
しかし、真に狂っているのはその少年なのだ。
狂気ゆえに正気。
あまりに平然に言い放った。
「また踏みつけられたよ、ハハハ。」
そうなのだ、この場所に来てから石像に踏みつけられ、この超巨大な存在に踏みつけられ、少年は粉々になる痛みに慣れていた。
しかしその発言が少女の中で違和感を生む。
「また・・・?」
「ああ、あのカゲロウイグアナだったか?の時にも言ったが大概の傷なら回復しちゃうんだよ。」
「大概の傷ってそんな問題じゃ・・・」
「あぁ、粉々になってたな。」
「死なないの・・・?」
「いやそれじゃあ困るな。」
「ナイ、怖い!」
「まあ無事ってことだよ。あれの名前呼んでたな。何か知ってる?」
「うん・・・クラスはブラック。名はヘカトンケイル。五十の頭と百の腕を持つ伝説の存在。」
「そうか、すごいな。」
「ねぇナイ!逃げよ・・・お願い。」
「あぁ、いいぞ。逃げてくれ。」
少女は頼られて無意識に答えてしまった。
しかし少女の願いでは、少年の凍てつく心を溶かすことは出来ない。
目の前のこの少年は、自分が逃げることなど頭にないのだ。
それもそのはずだ、見ている世界が違うのだから。
普通は死にたくない。だからそのために生きようとする。
少年は真逆なのだ。
死にたい。だからそのために生きようとする。
「出来るだけ遠くに逃げてろ。この地図と方位磁針をあげるよ。
南の方に、あいつの視界から逃げるようにゆっくりでいい。
そうすれば関所があるから、その門を叩くんだ。
冒険者ナイから保護されたと、それだけ伝えてくれればいいから。」
「やだ。やだよ、お願い一緒に・・・」
「なぁ、頼むよ。邪魔しないでくれ。」
少女の懇願さえも、少年ははっきりと拒否する。
クラスブラック。
それが聞こえてから少年の頭には、戦いたいという考えしかないのだ。
クラスホワイトの友を思い出し胸の宝石を撫でる。
「あぁ、待っててくれ。すぐいくよ。」
少年のどこか遠くへ向けて放つその言葉を聞いて、少女はもはや自分の居場所はここにはないのだと悟った。
「ナイ、また会おうね。」
涙を拭って少女は少年とは違う方へと歩き出す。
少年もまた、少女とは逆を向いている。
そしてヘレナの気配が消え、少年は超巨大なその存在の視界へと姿を見せる。
「なぁ、待たせて悪かった。やろう。」
食事を取ったとはいえ、魔力は半分残っているかどうかだ。
機動力は心もとない。
だが、それでも、少年はこの目の前の存在を見ていた。
どこまでやればこいつは本気を出してくれるのか。
どうすればこいつは俺に殺意を向けてくれるのか。
それだけを考えてヘカトンケイルを見つめていたのだ。
あたり一帯を揺れ動かす程の声。
その声をものともせず少年はひたすらに走った。
巨大すぎるその脚に少しでも傷をつけて挑発をしようとしていた。
恐らくまだ認識すらされていない。
あの見られていた感覚がないからだ。
自分は奴にとっての虫だ。取るに足らない存在だ。
ならば殺してもらうためには、害があることを知らせなければならない。
その足の裏一つ分ほどの距離になったあたりで少年はついに攻撃を始める。
「飛来刃!」
ナイフの剣先から突風が巻き起こり、それは刃となり親指を捉える。
爪と指との隙間を狙った一撃は、傷には至らなかった。
「相当硬いな。」
ヘカトンケイルは動かない。
だがおかげで指を目前に捉えることは出来た。
およそ一メートルほどの彼の身長と小指が同じ高さなのだ。
何とかそこには登れた。
つまりここからはこちらのターンだ。
これだけ大きな存在でも、爪を剥がされれば痛がるに違いない。
そしてその痛みを与えた存在を決して許しはしないだろう。
両手で一本のナイフを逆手持ちする。
力を込め上から振り下ろす。
その攻撃はさすがの巨体でも防げず小さな、極々小さな傷をつけられる。
しかしそれでは巨体は揺るがない。
だからこそ少年はその傷が無視できない大きさになるまで。
果てはその爪が剥がれるまで、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度でも、ナイフを突き立て続けたのだ。
遂にはそのナイフは小指の爪を引き剥がすに至る。
凄まじい震えに少年は指から振り落とされる。
苛ついて足元の小石を蹴り飛ばすように、少年の体は蹴り飛ばされる。
そしてその中ではっきりと感じたのだ。
全身の毛穴全てを、今度は細胞の一つ一つまで覗かれたかのような視線を。
この瞬間真の意味で、少年ナイと巨人ヘカトンケイルによる戦いの幕が上がったのだ。
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