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閑山短篇作品

『源氏物語』とモーツァルトの接点

作者: 竹井閑山

 歌人岡井隆は、日本の古典文学の名作はたいがい原文で読んだそうだが、なかでも一番手こずったのは『源氏物語』だと言っていた。そういえば、同じく医者で文学者の森鷗外も、原文は難解だと言っている。岡井はそのうえで『源氏物語』よりも『伊勢物語』『土佐日記』を好むと語っていた。いかにも歌人的な発言である。

 私は『源氏物語』は原文は通読しておらず、もっぱら与謝野晶子、瀬戸内寂聴、田辺聖子の訳で親しんできたが、好きかと問われると「真実が描かれていると思えど共感できず」といったところか。もちろん日本文学史上に結実した奇跡的成果であるのは疑いようがない。ただ、このような大傑作は紫式部というたった一人の天才の手によったのではなく、中古の爛熟した貴族社会の恋愛事情を背景に、藤原道長という稀代のオルガナイザー兼プロデューサーの協力があってはじめて世に出た作品なのである。

 こうしたエポックは、封建社会の崩壊前夜という危うい時勢を背景に、レオポルドという父親兼名教師のもとで神童モーツァルトが育てられた事情とよく似ている。しかし、モーツァルトの音楽もまた私にとって「神の声と聴けど共感できず」の世界である。20番以降のピアノ協奏曲や晩年の三つの傑作オペラ『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』が西洋音楽史の里程標であるのは言うを俟たず、普段耳にする機会も多いが、本音を言うと、これらの名作よりも通人が芸術作品として下位に置くベートーヴェンやブルックナーの交響曲のほうを偏愛しているのだ。

 さらにブラームスの交響曲は美学的に劣るかもしれないが、無人島に交響曲全集のCDを何組も持って行きたいと願わずにいられない。それはエイドリアン・ボールトであり、カール・ベームであり、オイゲン・ヨッフムであり、ギュンター・ヴァントであり、クルト・ザンデルリンクであり、ウォルフガング・サヴァリッシュであり、クリストフ・フォン・ドホナーニなのである。ここに敬愛するウィルヘルム・フルトヴェングラーとセルジュ・チェリビダッケの名が割愛されていることに、愛好家としてのこだわりを見ていただきたい。


 そういえば、精神科医の大平健が封建時代の歌謡集『梁塵秘抄』について「アルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲が似合っている」と述べていたが、作曲をベルクに依頼し、初演もしたヴァイオリニスト、ルイス・クラスナーは、諏訪内晶子にこの曲をレッスンする際に、まずモーツァルトのコンチェルトを弾かせた。曰く「モーツアルトを充分に弾けなくて、ベルクを弾ける筈がない」。

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