7:手厚い保護
馬って、時速何キロくらいで走るものなんだろう。
一緒に王都に向かうという話だったはずなのに、私とベルベル、もといベルーガさんは一足先に壁のふもとにある関所に到着していた。
開門するには手続きが必要であるらしく、今は関所の中で必要な書類の記入を行っている最中だ。ベルーガさんが机に向かって書類を片付けてくれているから、私自身はぼんやりと窓の外を眺めているだけだけれども。
ベルーガさんと会ったのは朝だった。それが今は、満点の星空が広がっている。私の足で三日かかると言われた距離を一日足らずで進んでしまうとは。ちょっとあの馬はおかしいのではないだろうか。競馬に出場しようものなら一強なんじゃないかな。
乗馬の経験なんてあるはずがない私は、ただただ振り落とされやしないかという恐怖心と戦っていた。いやあ、もう二度と馬には乗りたくない。
「アロイスさん達が心配ですか?」
書き終わったのか、ペンをことりと置いたベルーガさんが口を開いた。
ずっと何をするでもなく窓の外を見ていたからか、あらぬ解釈をされてしまっている。あの二人のことを心配しているというよりは、この世界に来てからずっと一緒だったから、少し心細いだけだ。
というか、あの人達は私が心配でもしようものなら「自分のことだけ心配してろ」とでも言いかねない。
「……ベルーガさんは、二人のこと心配してますか?」
「いいえ。お二人の強さは知っていますし、僕はアロイスさんにレナータさんのことを任されましたから。お二人のことを心配する前に、貴女のことを心配しますよ」
にこ、と効果音が聞こえてきそうな柔和な笑みを浮かべるベルーガさんは、台詞と雰囲気が相まってすごく安心させられる。絵本に出てくる白馬の王子様ってこんな感じなのかなあ、なんて。白馬ではなかったし、馬も彼同様物々しい装備をしていたけれど。
「開門は明日のお昼頃になります。その頃にはお二人共到着している頃かと」
「…………その移動速度は普通なんですか?」
「何度か仕事でご一緒させていただいたことがありますが、その度に驚かされます。特に今回は異世界人を保護した帰りですから、早く王都に入るに越したことはないのでしょう」
よかった。ルシェさんとアロイスさんの身体能力が異常なんだ、やっぱり。そのことだけでも心底安心できる。
それにしても、何故異世界の人間を保護すると早く王都に向かわなければならないのだろう。理由がわからず首を傾げていると、ベルーガさんは柔らかく笑いながら教えてくれた。
「異世界の方はみなさん、望んでこの世界に来られるわけではありませんから。僕達には、みなさんが無事に元の世界に帰られるよう手助けをする義務があります」
だからとりあえず一刻も早く安全な場所に送りたい、と。そういうことらしかった。
しかし、義務ときたか。何故そこまで異世界の人間に対して優しく接することができるのだろう。私に関しては勝手に巻き込まれたのだから自業自得と言えるし、そもそも異世界に来てしまった原因と彼らは何も関係ないと思うのだけれど。
保護した人間がこの世界にとってよくない存在だったなら、彼らはどうするのだろうか。例えば私が、実は毒を撒き散らす化け物だったりしたら。どうなっていたのだろう。
「私が悪い奴だったらどうするんですか。助け損ですよ?」
「? 悪い人なんですか?」
「いえ、違いますけど……。そう聞かれて『はいそうです』とは誰も言わないでしょう」
ちょっとベルーガさんは天然っぽいぞ。緩いぽやぽやとした雰囲気もあって悪人も毒気を抜かれそうな勢いだ。そうですよね、なんて笑っているけれど、この人はいつもこんな調子なのだろうか。見たところ騎士なんだろうに、仕事は大丈夫なのかな。
「そうだ。今の内に、今後のことを話しておきましょうか」
「あ、それは是非お願いします。何で王都に向かう必要があるのか気になっていたので」
安全な場所、というなら別に人の多い町でもよかったはずなのだ。国民より異世界の人間を優先して王都に送る理由がない。王都でなければならないだけの何かがあるに違いない。
窓際から移動して、ベルーガさんと机を挟んで向かい合う形で椅子に座る。ルシェさんといい彼といい、何かと色々教えてくれるからありがたい。
「最大で半年間、異世界人のみなさんは僕達王宮騎士団が預かることになります。半年の間に文字の読み書きやある程度の知識を習得していただきます。その後は、個人の希望を聞きながらこちらで仕事を紹介します。例えば前の世界で農夫だった方は村で牧畜業をされていますし、傭兵だった方はそのまま騎士団に入団されていたりします」
王宮騎士団という単語から察するに、ベルーガさんは王族直属の騎士なのだろう。だから王都に向かう必要があるのか、なるほど。
それにしても、読み書きを学ぶ必要がある、という事実に打ちのめされそうになる。私は本当に言語が苦手で、母国語以外は受け付けない頭をしているのだ。母国語でも昔の言葉となるとわけがわからなかったのに。
けれどそれが最低限求められるレベルなのだ。この世界で生きていくなら頑張らなければ。……何故会話は翻訳されるのに文字は訳してくれないのだろう。
「あの、半年間っておっしゃいましたけど、この世界で半年と言うとどれくらいになるんですか?」
「12の月があって、これが一周すると年が変わります。月は全て30日ですから、360日経つと一年、180日で半年になります。ちなみに、今日は7の月18の日です」
なるほど、元の世界とそう変わりはないようで嬉しい。町からここまで四日、私が熱で倒れていたのが三日、その前日がこの世界に来た日。ということは、私がこの世界に来たのは7の月10の日ということか。
「日付けに関してはそれだけを知っていれば十分だと思います。本当は地節や水節なんかの分類もあるんですが、これは別の説明が必要になりますから、またの機会に」
「わかりました」
一気に知識を詰め込んでも忘れてしまうから、その方が私も助かる。
……しかし、面倒を見てもらえるのは最大で半年か。その間に元の世界に帰る方法が見つかればラッキーだけれど、そうはいかないだろう。特筆できる個性がない私は半年後、どんな職に就いているのかな。