4:新しい名前
「気を失うなら、それも言っておいてほしかったです……」
名付けの儀が行われた後、意識を失った私はアロイスさんの手により近くの町に運ばれたらしい。目を覚ませばちょっと豪華なふかふかベッドの上で寝かされていて、頭を動かして周囲を確認しても誰もいなかったから、また何が起きたのか記憶を辿るところからになってしまった。幸い記憶を探りながら身体を起こした直後にルシェさん達が部屋に入ってきたから、今はどういう状況なんですかと聞く事ですぐに答えは得られたけれど。
「ごめんねー、前にいた世界に魔法があったかどうか聞いとくべきだったね」
ルシェさん曰く、名前をこの身体に刻む為に魔法が使われて、私はその力にあてられて気絶してしまったのだそう。魔力に触れたことがない人にあることらしい。
説明を聞く限り、私が魔法を使えるようになるのは難しいかもしれない。慣れれば使えるようになるのだろうか。それとも、慣れとは全く関係なく素養の有無が問題なのだろうか。どうせなら元の世界ではできないことをやってみたかったのだけれど、そううまくはいかなさそうだ。
「調子はどうだ? 儀式はうまくいってるはずだが」
アロイスさんにそう言われて、私の名前について思考を巡らせた。銀山紬。うん、ちゃんと元の名前は覚えてる。問題は私のもう一つの名前だ。うーん、と唸りながら腕を組んで、あれこれと頭に浮かぶ単語を一つ一つ拾っていった。これは違う、あれも違う。そうしていく内に、一つの文字列の前で思考が停止した。
「――レナータ。私の名前、レナータです!」
これだ、と思えるものを口にすると、ルシェさんがハイタッチの構えをとってくれたため、勢いそのままに手を合わせた。ばちん、と思っていたよりも大きな音が鳴って、結構痛い。
ところでどこの世界でもボディランゲージって大差ないのかな。
「さすが兄さん、魔力量の調節は下手なのにちゃんと儀式は成功させる男!」
「……だから俺がここまで運んだんだろうが」
二人の会話の意味がわからず首を傾げていると、楽しそうなルシェさんが「あなたが倒れたのは半分くらい兄さんのせいだから」と説明をしてくれた。
この世界に於いて魔法とは、空気中に満ちている魔力を体内に取り込み、変換して外に放出するものであるのだそうだ。アロイスさんはその放出する際の加減が苦手で、弱火でいいところを強火にしてしまうらしい。今までにも儀式後私と同じような状態に陥った人は何人もいるとか。
名付けの儀の最後の瞬間、威力を誤った魔法が私の身体に撃ち込まれ、私は魔力の量に適応しきれず意識を失った。元々魔法に耐性はなかったから多少は仕方ないとは言え、青かった空が星空に変わるくらいの時間が流れても意識を取り戻さなかったのはアロイスさんのせいでもある、ということらしい。
「魔力の塊が突然身体に入ってくるんだもん、そりゃ慣れてない人は気も失うよねえ」
「……明日は恐らく熱に苦しめられることになる。王都に向かうのはレナータの熱が下がってからだ」
早速呼ばれる新しい名前。レナータ、レナータ。どういうわけだか、この名前はしっくりと自分に馴染んでいた。もしかしたら、これが儀式の効果なのかもしれない。突然改名したってしばらくは慣れないだろうに、後ろからレナータと呼ばれても振り返ることができる自信がある。
改めて、私は別の世界に来てしまったのだと実感した。
「あ、そうだレナさん。これ買ってきたから好きに使って」
……それは振り向けない。
何の前振りもなく愛称で呼んだルシェさんに困惑しつつ、差し出された真っ白な本を受け取る。ぱらぱらと適当にめくってみたけれど、装丁同様中身も真っ白だ。好きに使って、とは。
「インクとペンもちゃんとあるから安心して。自分の元の名前と最低限の情報くらいは書いておいた方がいいかな? 残りのページは日記にするでも絵を描くでも、自由にしてもらっていいよ」
ああ、なるほど。そういえばそんなことを言っていたな、と記憶を掘り返す。誰が知らなくても自分だけは知っておかなければならない、私だけの情報。元の世界に帰る時に、必要になるであろうものだ。
しかし普通のハードカバーくらいの厚さがあるのだけれど、一体何日分の日記を書けばこの真っ白な本のページを全部埋めることができるのだろうか。最後のページにペンを走らせるまでに元の世界に帰りたいところだ。
「ありがとうございます、活用させてもらいますね」
「どういたしまして。またわからないことがあったら兄さんにでも私にでも聞いてね」
こんなに至れり尽せりでいいんだろうか。異世界に飛ばされたことに関しては嘆くほかないけれど、拾ってくれたのがルシェさん達だったことは本当によかったと思う。他の人を知らないから、刷り込みされてる部分もあるだろうけれど。
とりあえず白い本に必要最低限だけ書いて寝た翌日、アロイスさんの言った通り私は熱に浮かされることになり、早速日記をつけるどころではなくなってしまったのだった。