19:昇格試験
「今日は連絡事項が一つだけあります。明日から隊長が剣の指導を担当する、とのことです!」
「…………剣?」
いつものように部屋に篭って本の解読を進めようとした、その矢先。ルチアナさんの口から伝えられた言葉で、私の頭は一瞬にして真っ白になった。
「け、剣ってあの、その、ルチアナさんも腰に挿している?」
「はい、この剣です! 指導に使われるのは木製のものですので、ご安心ください!」
身振り手振りで必死に剣を表していると、ルチアナさんが満面の笑みで頷いてくれた。木製だからどうとかそういうことじゃなくて。
正直、何で今更? という疑問しか湧いてこない。だって、今まで文字とある程度の知識しか教えられてこなかった。だからてっきり、運動が得意なわけではない私にはそういうことは求められないのかな、と思っていたのだ。
それなのに。
「どうかされましたか? 顔色が悪いようですが」
「私、剣なんて持ったことないですし……それ以前に運動がちょっと……」
「ああ、不安なのですね! わかります、私も初めて剣を持った時は緊張しました。そうですね……レナータさんさえよろしければ、今日の終業後、小隊長の試験を見に行ってみますか? 隊長と小隊長候補の戦いが見られるのですが。人同士の戦いを見るのは初めてですよね」
ルチアナさんでも緊張はするんだなあ、なんて失礼なことを思ってしまったことを内心で謝罪する。初めては誰だって緊張するものだ。
こめかみを押さえながら、隊長と小隊長候補で何して戦うんですか、と尋ねると、ルチアナさんは目を輝かせながら説明してくれた。
「丸腰の隊長相手に短剣のみで挑み、傷をつけることができたならば合格! というものなのです。今回は私の小隊からも何人か試験を受けたいと申し出があったのですが、筆記試験で不合格が決定してしまったもので……。此度の試験も挑戦できるのは一人しかいないのです」
「筆記試験」
「はい、筆記です」
小隊長になるための条件というのは、隊長によって変わるらしい。ユーリッツさんは筆記と実技の二段構えの試験を行うことで審査しているのだそう。筆記試験の問題は毎回隊長お手製らしいというから、隊長ってそんなことまでするんだと驚かずにはいられない。
「例えば『以下の条件の時、ニーフォルン領からラルジャナ領へ向かう最適なルートを答えよ』という問題で、条件が『5の月である』ことだった場合、山道や山の近くを通るルートは危険ですから、大きく迂回するルートを書けば正解になります」
「なるほど。全くわかりません」
解説をよろしくお願いします、と頭を下げた。何だ今の。ルチアナさんは小隊長だから、今みたいなわけのわからない問題をくぐり抜けてここに立っている。小隊長も楽じゃないんだ。
ルチアナさんの解説によると、ニーフォルン領とラルジャナ領は地図で見ると隣り合っているけれど、間には山があるのだそう。普段なら商人や旅人も利用する山道なのだけれど、5の月はよく雨が降る月であるため、崖崩れなんかの危険が高くなる。だから山の近くを通らず大きく迂回するのが正解になる、ということだそうだ。
「……実際の問題はもっと難しいんですよね?」
「はい、それはもう。筆記で4回、実技で2回は不合格になりました」
ああ、そっか。筆記をクリアしてもその後に待ってるのは隊長との一騎打ち……。ちなみに実技が駄目だと次もまた筆記からなのだそう。厳しい。
「そんな筆記試験を乗り越えた方が今日、隊長に挑むのです。彼は実技までいけたのは初めてですから、今頃緊張しているかもしれませんね」
「その彼は何回目で筆記に合格したんですか?」
「6回は挑んでいましたね。筆記試験が難しいとわかっているので尻込みする方も多い中、とても頑張っていました」
それは是非とも実技もクリアしてほしい。しかし現在いる小隊長はみんな結構な回数をかけているらしいから、難しいかな。
説明を聞いただけでわくわくしてきているのだから、私は単純である。
「見に行きたいです、その様子」
「では、今日の終業後は宿舎にある訓練場に向かいましょう。隊長にも伝えておきますね!」
***
初めて入った訓練場は、かなりの人数……というか、普段屯所で見かける人が全員集まっていた。ざっと100はいる。以前聞いた騎士団の人数が確か2千人くらいだったはずだから、その20分の1がここに。正式に騎士と認められた人の数だったのなら、この中には騎士見習いもいるから、正確な数はわからないけれど。広いから狭苦しく感じないのが救いだ。
「うわあ……今からあの二人が戦うんですね……」
人の輪の中心がぽっかり空いていて、そこには見慣れたユーリッツさんの姿と、赤い制服の男性の姿があった。
3番隊では昇格試験は4の月、8の月、12の月の年3回行われるのだそう。そして今あの場に立っている彼は6回落ちたのか6回目で合格したのか、とにかく最低でも2年はこの昇格試験に費やしている。私はそんなに何度も同じ資格試験を受けたことがない。それだけの熱量がなかったから、というのが大きな理由だ。
だから今、心臓が高鳴っている。彼は、私にはない熱を持ってあそこにいる。
「……説明はいるか?」
「いえ、大丈夫です! 何度も見てきましたから!」
「手間が省けて助かる。じゃあ……始めるか」
その言葉と同時に、挑戦者は一切の躊躇なく右手に持った短剣を突きつける。それは確かにユーリッツさんが立っていた場所を狙ったはずなのに、彼はわずかな動きで攻撃を避けていた。
咄嗟に腕を引こうとするも、右腕を掴まれた彼はあっさりとユーリッツさんに投げられた。かと思いきやすぐに体勢を立て直してまた短剣を振るのだから、なんかもう何を見せられているのかわからなくなってくる。人間ってあんな動きするんだ。
「ちょっと動きが固いですね……。やっぱり緊張しているようです」
「あんな躊躇いのない動きをしているのにですか」
さすがに見慣れているからか、見えているものが違うようだ。
挑戦者の顔は疲れとか焦りとか、色んなものが入り交じっているように見えるのに、ユーリッツさんはというと普段と全く変わらない。あれが強者の余裕ってやつなんだろうか。……単に表情筋に使うエネルギーを他に回しているだけかもしれない。
決着はあっという間だった。私の目にはわからなかったけれど、隙があったのだろう。挑戦者の猛攻をいなしたかと思えば、次の瞬間には彼の右手にあったはずの短剣はユーリッツさんに叩き落とされていた。チョップしたんだろうなっていうのはわかるんだけれども、それ以上の情報が頭に入ってこない。
最後の一撃が相当重かったのか、挑戦者の彼は右手首を押さえながら、大きな声でありがとうございました、と言った。
「……ちょっと何が起きたのかさっぱり」
「挑戦する側は隊長に傷を負わせられれば勝利ですが、隊長は相手を戦闘不能にすれば勝利です。今回は利き手が使用できなくなったことで、戦闘の続行が不可能になったのです」
「不合格の代償めっちゃ重くないですか」
「あの程度の怪我なら治癒できますので……。被害を最小限に抑えるのも隊長の務めなのだそうです」
最小限が利き手故障か……厳しいけれど、隊長であるユーリッツさんの条件の方が厳しい。というか、チョップ一発で相手の手首を使えなくするって……一撃の破壊力どんだけ……。
相も変わらず涼しい顔で「すぐに治療してもらってこい」なんて指示を飛ばしているユーリッツさん。明日からあの人に剣の指導を受けるのか、と思うと気が重い。生きてられるんだろうか、私。




