18:同じ境遇の人
「私、ナナリーっていうの。よろしくね」
ユーリッツさんがある日突然連れてきたのは、私と同じく異世界からやってきたという女性だった。
***
「……じゃあ、ナナリーさんはもう帰るつもりはないんですか?」
「そうねえ。故郷の土を二度と踏みたくない! っていうわけではないのよ? でも、たった一人の家族だった母がもう死んでしまっているから……向こうにはもう絶対に戻りたいと思えるだけの未練がないのよ」
ナナリーさんは7年前にこちらの世界に来てしまい、それ以来とある町で暮らしているのだそう。私と同じ様に、手首には異世界人の印をつけている。
長い藤色の髪を耳にかけながら、首から下げた木彫りのペンダントに愛おしそうに触れるナナリーさんが、ひどく綺麗で。思わず見とれてしまった。
「それにね、こっちの世界に未練ができてしまったの。……私、結婚するのよ」
「こ、この世界の人とですか?」
もしかして、だからユーリッツさんが連れてきたのかな?
そう考えて壁際に椅子と机を設置して仕事をしているユーリッツさんの方を向くと、ナナリーさんから違うわよ、という否定の言葉をいただいた。なんだ、知ってる人が結婚するならこの世界の結婚式が見られるかも、と思ったのに。
「ユーリッツには7年前に世話になったの。当時は異世界人が保護され始めたばかりだったみたいで、ちょっと混乱してて。そんな中で、彼に文字とか必要な知識なんかを教えてもらったの。一番お世話になったから、報告しなくちゃと思って来たのよ」
「……まさか、その頃から隊長だったんですか?」
「いいえ。あの頃は黄色の制服を着た普通の騎士だったはずよ。そういえば、今は小隊長以上じゃないと対応しちゃいけないんだったわね」
さすがに7年前にはただの騎士だったようだ。でもその7年の間に隊長になっているんだから、やっぱり出世早い方だよなあ。……あれ? 7年前にただの騎士って時点で早くないか? 15歳では?
それにしても、7年前が異世界の人間を保護し始めた時期なのか。意外と最近の話だったんだな、異世界とこの世界が繋がるようになったのは。
「……このペンダントはね。私に求婚してくれた人がくれたものなの。『この町では求愛の証に手作りのペンダントを贈る風習がある』なんて、淡々とした口調で言うから驚いて聞き返しちゃった」
「意味をわかった上で聞き返したくなりますね、確かに」
「でしょう? そうしたらまた淡々と……望む答えではあったんだけどね。ムードも何もないったら!」
もう! とその時のことを思い出しながら怒るナナリーさんだけれど、口角が上がっているから全く迫力がない。
7年もこの世界で過ごしているのだ。時間の流れが違うのかどうかはわからないけれど、元の世界でも同じだけ時が流れていると考えると帰る気になれなかったのだろう。ましてナナリーさんはそもそも未練がなかったというのだから、余計に。
ナナリーさんと同じだけの時間をこちらの世界で過ごした時、私はそれでも元の世界に帰りたいとちゃんと言えるのだろうか。自分の帰りを待ってくれている人は、誰もいないかもしれないのに。
「ユーリッツに頼んであなたのところに連れてきてもらったのはね。誰か同じ境遇の人に宣言しておきたかったからなの。……わがままでごめんなさいね?」
「宣言、ですか?」
「ええ。私はこの世界で彼と生きていく。この世界に骨を埋める。それを、伝えておきたくて」
それに何の意味があるというのだろうか。帰りたいと願っている私や他の異世界の人に、「自分は帰る方法が見つかっても帰らない」と宣言して、一体何になるんだ。
いや、なんとなく、意味はわかる。私は戦線離脱するから、と明確な線引きをするためなのだろう。けれど、それを言われた私は、どうすればいいんだろうか。
ナナリーさんは綺麗に、どこか申し訳なさそうに微笑んでいる。そう見えるのは、私の願望だろうか。
「あなたに諦めろと言いたいわけじゃないのよ? 応援はしてる。けど、協力はできないの」
最後にそれだけ言って、ナナリーさんは去って行った。
異世界の人間を保護するのは久しぶりだと、誰かが言っていたのを思い出す。私よりも先にこの世界に来た人はみんな、何年もこの世界で過ごしているのだ。
望んでこの世界にやって来た人はいないという話だったから、当然みんな元の世界に帰りたいと思っているものだと思い込んでいた。ナナリーさんに会うまで、考えもしなかった。
もしかして、帰りたいと思っている人は少ないのだろうか。最悪の場合、元の世界に帰ることを望んでいるのは。
「…………帰りたいって望んでるヤツがいなきゃ、今日まで異世界への扉を開く研究なんかされてない。あの人みたいに未練が全くないってはっきり言える人間の方が少数派」
顔に出ていたのか、さっきまで黙々と仕事をしていたユーリッツさんからフォローが入れられた。少なくとも自分が知っている異世界人はみんな帰りたいと願っている、と。それを聞いて、少し心を落ち着かせることができた。
ナナリーさんの言葉にショックを受けたのは確かだけれど、同じ立場の人間に話しておかなければ、と考えるような人だったのだから、彼女は誠実な人だったのかもしれない。同じ目的を持った仲間ではないけれど、味方には違いないだろう。
そういえばお祝いの言葉を言ってなかったなあ、なんて、そんなことをぼんやりと考えていた。




