17:騎士団談義
騎士見習いとして過ごし始めて、早いもので半月経った。その間何かあったかと言われると、特筆すべきことは何もなく、強いて言うならわかる単語の量が増えたくらいだ。半月かけて通常のハードカバーと同じくらいの厚さをしている本を自力で読めていないのだから、先は長い。自作の辞書を使いながら解読しているのが現状だ。……もっと英語の小説とか読んで、訳しながら読み進めることに慣れておけばよかった。
「ルチアナさん……これどういう意味ですか……」
「これはですね、ここからここまでで意味を成す言葉になっています。意味は『矛盾』ですね!」
「なるほど……」
私がよく詰まるのが、諺というかなんというか、複数の言葉で一つの意味になるものだ。直訳すると「黒い白馬」だったのだけれど、そうか、矛盾か……。確かに、何物をも貫く矛と何物をも通さない盾が同時に存在し得ないように、黒いのに白馬、なんてものが存在するはずがないもんな……。
しかし聞けば解決するのだから、通訳いらずってとても便利だ。
「ただ語句を訳すだけではわからない……難しい……」
「しかし、レナータさんは覚えが早いですよ! やはり元の世界で文字が書けていた人というのは上達が早いです!」
だってもう基本の文字は覚えてしまったのでしょう、すごいですよ! なんて。文字が書けるだけで褒めてもらえる時期など、とうの昔に過ぎていたはずなのに。20にもなって自分の名前が書けるだけで褒められる日が来ようとは。
ルチアナさんはめちゃくちゃ褒めてくれる人である。ちょっと他の人との会話が聞こえてきた時も、相手のことをめちゃくちゃ褒めていた。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるくらい、細かいところまで。
実はこの一月の間、彼女が怒っているところを見たことがない。部下の失敗は自分の責任だと言うし、頑張っていればすごい褒めてくれる。なんなら生きてるだけでも褒めてくれそうな勢いで。すごい上司がいたものだ、と思ったのは記憶に新しい。
「この調子なら、他の騎士見習いの方々と同じ業務をこなせるようになる日もそう遠くはありませんね!」
「そ、そうだといいですけど」
「……実は他の騎士達の多くも、恥ずかしながら私も。全ての単語を記憶できているというわけではないのです。我々平民出身者が最も苦労する課題なのですよ」
私にはとある本を読み、内容を要約した上で感想を書くという課題が出されている。これは騎士になるために誰もが通る道なのだそうだ。ちなみに、期間内に課題を達成できなかった者は、引き続き騎士見習いとして次の代と合流することになるらしいのだけれど、騎士団の歴史の中でそうなった人はいないとか。みんな勉強熱心だ。
「平民には学問を修める機会が用意されておりません。ですから自分の名前を書くのも随分苦労しました。私の時はたくさんの人間で協力してその課題を達成したものです」
「その努力の結果が、若くして小隊長でしょう? すごいですよね……」
「いえ、私など隊長方に比べれば大したことはありません! お会いする機会はそう多くはありませんが、どなたもすごいお方なのですよ!」
ルチアナさんが私より一つ年下だと知った時の衝撃たるや。まあこの世界では、働き始める年齢が12歳前後らしいから、しっかりした若者が多いのかもしれない。特に騎士になりたいと考える人達にはその傾向が強そうである。
「本来、騎士見習いとして制服を頂くまでに最低でも3年はかかるのです。それまでは宿舎で掃除や洗濯、食事の準備、武器や馬の整備などの雑務を任されます。その間に戦い方やこの国についての知識を学びます。今おられる隊長はみなさん、若い時分からその職に就いているのですよ!」
じゃあ何の苦もなく制服を頂いてしまっている私は、見習いさん達に怒られやしないだろうか。最低でも3年の下働きが必須って。
しかしルチアナさんが言うには、騎士見習いの時点でそれぞれの隊に割り振られて仕事を任されるため、最低限の働きができないと本人が困るのだそう。そして私のような異世界人がいきなり騎士見習いになるのは、下働きの間は給料が出ないため、金銭援助の意味合いを込めているからだとか。異世界人の保護に対して反感を抱いている人達に対する言い訳のようなものらしい。これは働きに対する正当な報酬だ、と。
「そういえば、騎士団ってどれくらいの隊があるんですか? 私、隊長というとユーリッツさんとベルーガさんしか知らなくて」
「騎士団長率いる親衛隊と、1番から4番の隊で構成されております。それぞれの隊に特色があり、主な仕事も隊によって異なります。我々3番隊は、各町に駐屯して町を安全に平和に保つのが主な仕事です。それと同時に、あらゆる情報の整理を行っております」
トップが変われば方針が変わる、隊が変われば仕事内容が変わる。なるほど。3番隊は小隊毎に町に散らばっていて、小隊の数は他の隊と比べて多いのだそう。しかし、町に駐屯するのがそんな少人数でいいのだろうか。いや一個小隊がどれだけの規模なのかは知らないけれど。
「失礼ですけど、3番隊の小隊一つだけで町を守れるものなんですか?」
「駐屯しているのが小隊であるというだけで、他の隊が巡回は行っております。各町には結界が張られていて、そう簡単に魔物が侵入できないようにしてありますので……現状はそれでどうにかやっております」
そうか、人数が少ないながらに色々と対策はたてられているのか。人が少ないって大変なんだなあ。
ルチアナさんは、騎士団の力だけでどうにかできる事態ではない、と判断された場合には傭兵に依頼をして手助けをしてもらうこともあります、と少し悔しそうに言った。力がないばかりに、なんて、彼女一人の問題ではないのに。
「騎士団の人数が少ないことの理由に、諸侯の私兵の存在が挙げられます。町を守るというよりは、そこの領主への窓口と化していることもあるのです。それをなんとかしようと我々も努力はしているのですが、今のところ成果はなく……。口惜しい限りです」
「なるほど……貴族との連携は難しいってことですね」
「対応をベルーガ隊長に任せてばかりもいられませんから、我々の手だけでどうにかできるようにならなければいけないのです!」
そういえばベルーガさんは貴族なんだっけ。面倒な貴族の相手は彼に任せることが多いのかな、今のところは。どんな対応をするのかちょっと見てみたい。
「……あ、ルチアナさん。これはどういう意味ですか」
「ここからここまでで、『鬼に金棒』という意味になります!」
貴族だの魔物だのと戦う前に、私はこの本をやっつけてしまわなければ。




