14:振り回される
今日はほとんどの時間をユーリッツさんと二人で過ごした。今後もこうなる可能性は高く、変化があるとすれば同じ部屋で過ごすのが彼からルチアナさんに入れ替わるくらいだそうだ。
ユーリッツさんは自分の仕事を、私は見慣れぬ文字とひたすらにらめっこをしていた騎士見習い初日。彼曰く、文字とある程度の常識を詰め込めば何かしらの仕事を任せてもらえるらしい。頑張らねば。
「ねえねえ、レナさん明日暇?」
終業の挨拶を終えて屯所を出た私を待ち構えていたのは、よく見慣れた笑顔を浮かべたルシェさんだった。一緒に宿舎に行く約束をしているルチアナさんは、まだ来ていない。
「暇じゃないと思いますけど……」
「まあそうだよねえ。どうしよっかなー、文字くらいなら私が教えるからレナさん借りちゃいけないかな」
「私に何か用事があるんですか? あ、異世界の調査とかって聞きましたが、それ関係ですか?」
「いや、完全に私用だけど」
あっさりばっさり切り捨てられてしまった。
それにしても、私用とは。仕事で私に用事があるというならまだ理由は想像できるのに、ルシェさんの個人的な用事となると何があるのか皆目検討もつかない。
なんなんだろう、と考えていたところを、ルシェさんが「今日はどんな感じだった?」とまるっと話を変えてしまった。そんな彼女に困惑しながらも話をしていると、後ろの方で誰かが小さくうわ、と呟いた。振り向いた先にいたのは、少し眉間に皺が寄っているように見えなくもないユーリッツさん。この人はこの人で思ってることを隠さないんだなあ。
「昨日の今日で何しに来たんですか……」
「お、今からお帰りかなユーくん! ちょうどよかった、明日レナさん借りてっていい?」
そんな、物の貸し借りをするようなノリで人を借りないでほしい。
ユーリッツさんは、ルシェさんの言葉に少し考える素振りを見せた後、いいですよ、とため息をつきながら許可を出した。いいんだ?
「さすがユーくん、話が早くて助かる。こっちで何かしといてほしいことある?」
「いえ、特には。ただ何度も言ってますけど事前に連絡ください」
「ユーくんのそういうハッキリと物言うところ、いいと思う」
「当たり前の要求をしてるだけなんですよね」
私は私であなたのそういう誰が相手でも態度を変えないところ、すごいと思います。しかしルシェさん、ユーリッツさんのことおちょくってないか?
気が済んだのか、じゃあまた明日ね、と手を振りながら去って行くルシェさんに手を振り返す。結局明日私はどうなるんだろうか。
「……あの、ユーリッツさん」
「明日は宿舎から出たらすぐそこにあの人がいると思う。そのまま連れてかれるだけだと思うから、まあ、頑張れ」
応援されてしまうと余計な心配をしてしまうのだけれど、この人はその辺をわかっているのだろうか。
***
「おはよー。じゃ、行こうか!」
本当に宿舎を出てすぐのところにいた。早朝から元気な人だ。
ルシェさんの姿が見えたから慌てて出てきたため、朝ごはんにありつけていない。それを素直に伝えると、行った先で何かしら食べさせてもらえることになった。わがままで申し訳ない。
「あの、今日は一体何をするんですか?」
「ちょっと調べもの? あんまり気にしないでね、大部分は趣味だから」
そういえば、以前にもそんなことを言っていた気がする。仕事と趣味を兼ねているとかなんとか。ルシェさんの趣味……?
少し前を歩くルシェさんは、よく喋った。たまに振り向いて私に同意を求めたりなんかして、身振り手振りを交えながらくるくると口を回す。どこの世界でも女性は話すのが好きなのだろうか。
そういえばルシェさんに聞こうと思っていたことがいくつかあった気がするのだけれど、何だったっけ。
「はい、ここが私が住んでるところだよ」
「……ここは?」
「教会。本当は私が住める場所じゃないんだけど、今は兄さんの仕事場兼家がここだから」
話を聞きつつあれこれ考えながら歩いていたせいか、いつの間にか、これもまた大きな建物の前に来ていた。荘厳な雰囲気と花が咲いたように笑うルシェさんとがあまりにもミスマッチだなんて、言っても大丈夫だろうか。
気後れする私を置いて、ルシェさんは何の躊躇いもなく歩を進めていく。一緒に行かないと、余計に気後れして入り辛くなる!
「教会で働く人は基本的にここに住んでるんだよ。だから私はここに住めるはずじゃないんだけど、兄さんと契約して眷属になったから特別扱いなんだ」
いつもの調子で話し続けるルシェさんと、その後ろをきょろきょろと目を忙しなく動かしながら歩く私。教会、というと、ユーリッツさんの言葉を思い出す。先入観を持つのはよくないとは思うけれど、湧き上がる警戒心は抑えようがない。
「あの、私、ここに入ってもいいんですか?」
「ん? 何で?」
「いや……教会の人は異世界の人間のこと嫌ってる、みたいな話を……」
ユーリッツさんから聞いたことをそのまま伝えると、ルシェさんは納得したように頷いた。この反応から察するに、あまり気に留めていなかったらしい。
「表立って行動はできないんだよ、そういう人達。なんて言っても異世界人の保護は王様の意向だし、神子様もみんなそれに賛同してる。だからまあ、あんまり気にすることないかな」
「んん……そういうわけにもいかないと思うんですけど……」
「まあまあ。偉い人達は今の王様が気に食わなくてそんなこと言ってる人ばっかりだから。熱心な信者も神子様の怒りを買う度胸はないってね」
王様が気に入らないから、王様がよしとしている異世界人の存在にケチをつけることで引き摺り落とそうとしている。神様が創った世界に異物がいることが許せない人達は、その神様に選ばれた神子様の意思を無視できない。そんなところらしい。
しかし表立って行動することはなくても、裏で何か手を回す可能性はある。その辺りは一人で行動しないようにするか、自分の身を自分で守れるようになるか、とにかく自衛が必須ということだ。
「こっちの世界の人間が一つになれてないのに、他の世界の人を助けようとするんだから、困ったものだよねえ」
「…………でも、私はそれで助けられました」
「そうだね。まあことの善し悪しなんてその時その時で変わるもんだしーっと、私の部屋ここだから。入って入って」
いつもと変わらない笑顔で皮肉ったことを言うものだから、恐ろしく感じる。言ってることは間違っていないと思うけれど。
招き入れられたルシェさんの部屋は、簡素なものだった。家具は寝床と机と椅子だけ、あとは壁に窓があるくらい。綺麗に片付いているとかいうレベルの話じゃない、単純に物がない。
「ルシェさんって、意外と物を持たない人なんですね」
「物持たないっていうか持てないの方が正しいかな。ここは仮住まいみたいなものだから。兄さんに付き合ってるとあちこち転々とするし、必要なもの以外は全部自分の家に置いてるんだ」
ルシェさんの、家。気になってしまったので突っ込んで聞いてみると、旅に出る前に住んでいた村に家があって、時折そこに帰っては物を整理、そしてまた旅に出るということを今も続けているとの答えが返ってきた。今が18歳で、少なくとも8年前には旅をしていたとなると、一体彼女はいくつの時から旅を始めていたのだろうか。
「さて! 私のことはいいから、レナさんのことを聞かせてもらおうかな!」
「私のこと、ですか? ……もしかして用事って」
「うん。前に言わなかった? 別の世界の文字を教えてもらったりするって! レナさんは文字の読み書きできるんだよね?」
そういえば、あの白い本を渡された時に何の疑問もなく受け取ったけれど、文字が書けない人はあそこで「文字を知らない」と主張するのか。私みたいに文字が書けて当たり前の国に生まれたわけじゃない人も当然いるんだ。失念していた。
私の国の言葉は複雑ですよ、と言うと、ルシェさんはますます目を輝かせた。
この世界の言語は英語に近い。文字があって、それの組み合わせによって意味が変わり、言葉の並び方によってもまた意味が変わる……ざっと簡単に説明されたのはそんな感じだった。そういう言葉を使う世界の人に果たして「平仮名」「片仮名」「漢字」を倒すことができるだろうか。
いや、ちゃんとした先生がいれば問題ないだろう。でも私は漢字を全て記憶しているわけじゃないし、自分の文法だって間違っているかどうかもわからない。それなのに私が人に言葉を教える、だなんて。
「……いや、ちょっと厳しいです」
「やってみないことには始まらないからさ。大丈夫、レナさんの勉強にもちゃんと付き合うから!」
「ええー…………」
ユーリッツさんの応援が今になって響いてくる。頑張れじゃないです、隊長殿。




