9:書類作成
「じゃあ、後でまた来るね」
そう言ってルシェさん達は私を一人置き去りにして行ってしまった。いや、ここまでずっと一緒に行動してくれたのだから感謝の念しかないけれども。無表情で目つきの悪い見ず知らずの男性と二人きりにされるの、辛い。
「あー……とりあえず奥の部屋で書類を作るんで。来てください」
「は、はい」
ルシェさんに「ユーくん」と呼ばれていたことで若干怖さは和らいでいるものの、気だるい雰囲気がどことなく怖い。人手不足だと聞いているから、余計な仕事を増やしやがってと思われていないか心配で心配でたまらない。あなたの仕事を増やしたいわけではなかったんです、ユーくんさん。
奥の部屋に入り、促されるままに椅子に座った。ユーくんさんはというと、棚から何かファイルのようなものを取り出して机の上に置き、盛大にため息をつきながら着席した。
「そういえば自己紹介がまだでしたか。俺はユーリッツといいます。騎士団預かりの間はほとんど毎日顔を合わせることになると思うんで、よろしくお願いします」
「私はレナータです。こちらこそ、よろしくお願いします」
ユーリッツさんの立ち位置は異世界人担当職員、といったところだろうか。最大で半年間、毎日のように彼にお世話になるのだと思うと怖いだなんだと言ってられない。ルシェさんのように誰に対しても明るく接することができる対人スキルがほしいぞ!
というか、みんなしてルシェさんの呼び方について何も言わないの、なんか可愛い。言っても無駄だと諦められているのか、それとも神子様のお付きということで誰も何も言えないのか。何にしても成人している――と言ってもこの世界の成人の基準はわからないけれど――のだろう人達がベルベルだのユーくんだのと呼ばれているのは可愛い。ユーリッツさんは表情があまり変わらない分、まだちょっと怖いけれども。
じゃあ早速書類作っていきますね、なんて淡々と進めていくユーリッツさん。多分仕事のできる人だ。騎士としての階級はどれくらいのものなんだろうか。そもそもこの世界の騎士団ってどういう感じなんだろう。騎士団なんて、創作物でしか見たことがないから、普通がどういうものなのかなんてわからない。
「じゃあここに一滴、血を垂らしてください」
「…………血?」
「はい。あ、ナイフならここにあるんで」
また淡々とした口調で言われる言葉に思考ごと固まる。血ってほらあの、赤い。それを書類に垂らすって、何の意味があるんだろうか。
少しの間固まっていると、ユーリッツさんが「俺でよければやりましょうか」と言ってくれたから、言われるがままに手を差し出した。
無表情の男性に手をとられている。それだけなら普通だけれど、相手はナイフを構えている。私も成人しているとはいえ、これで泣きそうにならない方がおかしいと思う。
いきますよ、という声を合図にぎゅっと固く目を瞑った。直後、指先にぴりっと痛みが走る。
そういえば包丁を洗っている時に指先を切ったことがあったなあ、と過去の出来事に思いを馳せた。絆創膏を巻いていてもしばらく痛かったんだ、あれ。
「で、終わりです。今はレナータさんの名前や年齢なんかの最低限の情報しか書かれてませんが、今後勝手に更新されていくもんなんで。気になるようだったらその都度確認してください」
「うわ、さっきまで何も書かれてなかったのに……全然読めないけど……。これも魔法なんですか?」
「そうですね。魔法の一種です。更新……とは言っても、背が伸びた、歳をとった、職業が変わった、その程度ですけどね」
書類を作ると言うからもっと事務的な感じだと思っていたけれど、少し違った。指先が痛い。
勝手に文字が記入される上、自動で文字が書き変わっていく、というのか。なんとも便利な……けれど、最低限の情報の中に体重が含まれていたとすると、場合によってはとんでもない恥を晒すことになる。ちゃんと運動しよう。
「歳は……20ですか」
「はい。何か問題とかありましたか?」
「いえ、そういうわけでは。単に歳が近いんだな、と思っただけです」
歳が近い、とな。そういえばルシェさん達とは一切年齢の話をしなかった。勝手に同年代くらいだと思っていたけれど、実際はいくつなんだろう。
とりあえずユーリッツさんの歳を訊ねると、22との答えが返ってきた。彼で22なら、ルシェさんやアロイスさん、ベルーガさんも20前後か。
老けているとかそういうわけではないけれど、雰囲気とかのおかげか、ユーリッツさんが一番年上に見える。
「さて、書類についてはこれで終わりです。後は明日からの話を簡単に説明しますね」
「明日から、ですか?」
「はい。レナータさんは明日から騎士見習いっていう扱いになります。制服と支度金は後で渡すとして……何か言っとかなきゃならないことあったかな……」
腕を組みながらうーんと唸るユーリッツさんの表情の変化はやはり乏しい。元々あんまり表情筋を動かさない人なんだろう。
騎士見習いという響きがあまりにも縁遠いからか、明日からの生活に不安しかない。そうだ、明日からはただ保護されていればいいだけの人間ではなく、まずはちゃんと働いて、元の世界に帰るその日まで生きていかなければならないのだ。
「……あ、ベルーガのことですが。会ったんですよね、あいつと」
「はい。お世話になりました」
「なら言っときますけど、ベルーガの隊はちょっと特殊なんで近寄らない方がいいですよ。ほんと、ベルーガ本人は何も問題ないんですけどね。青い隊服が目印なんで、すぐわかるかと」
ベルーガさんの、隊? それはまさか、彼が騎士団の中で一つの隊を持っている……つまり、隊長であるということだろうか。いやまさか、単にベルーガさんが所属している部隊という意味で言ったんだろう。20そこそこで隊長なんて、若すぎると思う。
そういえばここの建物では赤を基調とした制服の人と、白を基調とした制服の人が入り混じっていた。制服以外の人もいたけれど、あれは騎士団とは関係ない人達だろう。それはともかく、目の前のユーリッツさんの制服は赤を基調としたものである。
「所属してる隊によって制服の色が変わるんです。……まあ、その辺の説明は明日しましょうか。とりあえず青い服の騎士は要注意、とだけ覚えておいてもらえればいいんで」
「はあ……わかりました」
「じゃあ制服と支度金を渡すんで、ちょっとまた移動しますね」
着いてきてください、と言われたので大人しく従う。
内心では、何故ベルーガさんが所属している隊が要注意なのか、気になって仕方がなかった。だって、ユーリッツさんの言う通り、ベルーガさん自身はただのいい人にしか見えなかったのだから。