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201号室 嫁殺しを後悔する老女

 嫁いびり、精神崩壊、自殺未遂の描写が出てくる内容です。

 苦手な方はご注意ください。


 



「ありがとうございます、これ、はんこです」


「おー。小さいのにえらいなぁ。一人でお留守番?」


「はい。ママは、おひるごはんのざいりょうかいわすれた! っておかいものにいきました」


「そっかー。じゃあ、すぐ戻るんだ」


「アイスもかってきてくれるって、やくそくしました」


「暑いもんなぁ……」


「おみず、のみますか?」


「ははは! 大丈夫。僕は良い子だなぁ。こんなに良い子なら……俺の勘違いだな……」


 勘違いではない! 

その子を連れて、そのまま警察へ駈け込んで欲しい!

ネグレイドされているって。

何時行っても、子供一人で留守番していますって!


 階段から階下の様子を伺う老女に、配達員は気付かない。

 気付けば、どうしました? と聞いてくる、極々一般的な常識を持った青年だ。

 一言、声をかければ事態が好転するだろう。

 しかし、老女はそのたったの一声がかけられないでいる。


「あついから、きをつけてくださいね!」


「ありがとうな! やる気がでてきたよ!」


 手を振る青年に振り返す子供。

 凝視していれば、目線に勘付いたらしい子供がぺこりと老女に向って頭を下げる。

 笑ってはいない。

 だけど、悲しみも見えない子供らしくない表情に、老女は唇が震えるまで出かかった言葉を飲み込んだ。


 虐待に気が付いたのは早かった。

 裏野ハイツに住み始めて20年以上。

近辺に知り合いは多い。


『そういえば、知り合いのパート先におたくのハイツの奥さんがいるんだけどさ』


 自治会の寄り合いで、自治会長に話しかけられたので耳を傾けた。


『子供。保育園に入れていないらしいぜ』


『そうなんですか?』


 聞かされて驚く。

乳児の頃はよく見せて貰った子供を最近は見ていない。

 母親がパートに出たからだと思っており、子供は保育園に預けたと信じて疑わなかった。


『まだ三歳の子に一人で留守番させるのは非常識だって、言ったんだけどな。赤の他人がうるせぇ、爺が昔の育児持ち出すな、みてぇなことを、やんわりだけど、言われちまってなぁ』


 人の良い自治会長だが、職人上がりで口がきつく、若い人達には鬱陶しいと思われているらしい。


 また気の強い嫁が、アドバイスはありがたいですが、押し付けは止めて下さい! と憤慨したとかで、同年代ならいざしらず、若い人への注意は腰が引けているようだ。


『わかりました。それとなく様子を見てみますね。あまり酷いようなら警察へ連絡を……』


『おぅ。気をつけろよ。隣の自治会じゃあ通報が功をそうして、5歳の女の子が無事保護されたが、その隣の自治会じゃあ、神経質な嫁が神経質な育児でノイローゼになっちまって、心配して通報したら、嫁を追い詰めたのはお前らかって! 旦那が包丁持って殴り込んできたみてぇだからな』


『そうなんですか……』


 テレビにも出ておらず、新聞の地方版にも掲載されていなかったそれらの事件は内々に処理されたのだろう。


 最近では良くある話だ。

 20年前にも、あった話だ。


『こんにちは』


 子供は三歳児とは思えないほどに利発だった。


『こんにちは。ママかパパは居るかな?』


『ふたりともおしごとでかえりはおそいです。ほうもんはんばいですか?』


 テレビでの知識だろうか、思わぬ返しに驚きながらも、首を振った。


『同じアパートの者ですよ。上に住んでいます』


『あ! あかちゃんのころ、めんどうをみてくれた?』


『ママから聞いているの?』


『はい。あのっ! もしこまったことがあったら、おばあちゃんにおねがいしなさいって』


 子供がはいはいしている頃に、言われたような気もした。

 だが、その程度だ。


『……めいわく、ですか?』


『いいえ! そんなことはないわ。おばあちゃん、一人だから、かいむ君が遊びに来てくれたら嬉しいな』


 子供らしく意気消沈した表情を見たくなくて、慌てて否定すれば、小さく息をついた子供が静かに笑う。


『こまったときには、おねがいします』


『遠慮はしないでいいのよ?』


『としうえのおともだちがいるんです! いつもとてもたのしいからっ!』


 老女といるより近い子供と一緒の方が良いに決まっている。

 しかしハイツに子供の出入りがあれば、老女が気付かない筈はないのだが。


『れいくん、っていうんです。なんでもしっていて、すごくやさしいひとなんです』


『まぁ! それは良かったわ。おばあちゃんの出る幕じゃないわね……でも、困った事があったら……』


『そうだんさせてください!』


 遠慮はしちゃ駄目よ! と念押ししてから、バイバイと手を振る。

 同じように手を振り返した子供の向こうに、まことが、立っていた。


『まことちゃん?』


『よく、似てるだろう?』


 写真でしか会えない孫に姿形だけは良く似た生き物に、初めて出会ったのはハイツに越して来て10日経過した頃だった。


『俺は化け物なんだよ、ばあさん。未練もしくは後悔から生まれた化け物』


『こう、かい?』


 老女の全身の毛が逆立った。

 生き物の言葉を聞き、忘れようとしても忘れようのない己の罪が脳裏に浮かびあがったからだ。


 結果的に老女は息子の嫁を殺した。

 自分の行動が嫁いびりだなんて、弾劾されるその瞬間まで考えてもいなかった。


 ただただ、息子に良く似た孫の誠が可愛かっただけだ。

 夫を亡くしたタイミングで生まれた孫が、まるで夫の生まれ変わりのようにも思えて、同居を申し出た。


 夫のいない一軒家は広く、子供が生まれたばかりの嫁に身体を休めて欲しかったし、田舎は孫が育つ環境として最適のものに感じられた。

 息子の務める会社の支社が近かったというのもある。

 同居はとんとん拍子に進んだ。


 今にして思えば、あの言葉こそが嫁の必死の叫びだったのではいかと考えられる最初の一言。

『……息子は、義父さんの生まれ変わりではありません……』


 何度も言ったつもりはなかったが、確かに年寄りでもあり亡くなった人物の生まれ変わりと言われるのは嬉しくないかと思い直し、すまなかったねぇと謝罪して、以降、言うのを止めた。


 次の一言はたぶん。


『息子は貴女の孫ですが、私の息子でもあります』


『何を当たり前のことを言っているの?』


 と思わず苦笑しながら言えば、嫁は愕然とした表情で老女を凝視した。


 嫁を少しでも休ませようと積極的に孫の面倒を見ていたのだが、嫁はもっともっと孫とコミュニケーションを取りたかったのだと、後日言われた。


 言われて初めて、嫁が、もう大丈夫ですから義母さん、私がおっぱいをあげますからというのに、粉ミルクを上げ続けたのも。


 今日は私が風呂にいれますから、と毎日言っても、いいから貴方は休んでいなさい、と風呂へ入れ続けたのも。


 お散歩だけでも一緒に行きたいです。近所の公園へ行くだけでもいいんです! という、うっすらと涙を浮かべた懇願に応じず、孫と二人で出かけ続けたのも。


 孫の母親と言う立場奪っていたのだと、思い知らされた。


 嫁が、壊れてしまったあの瞬間の事は。

 覚えていなくてはいけないと思っていても忘れたくて。

 忘れたくても、忘れられるはずもない。


 嫁は、孫の前で首を掻っ切ったのだ。


 『ごめんね、誠ちゃん。私、誠ちゃんのお母さんになりたかったんだ……』


 と、言いながら。


 孫は血塗れになりながら嫁に抱きついた。

 壊れたように、お母さん、お母さん、お母さんと叫び続けた。

 

救急車を呼び、暴れる孫の身体を抱き抱えて付き添いながら息子に電話をすれば、俺が止めていれば! と押し殺した声が聞こえたのだ。


 嫁はその日から植物人間となり、孫は言葉を失い老女を憎悪するようになった。

 孫の最後の言葉は『ばあちゃん、死ね』だった。

 以来、孫にも、息子にも、嫁にも会っていない。

 嫁の目が覚めて普通に生活が送れて、孫の声も戻って、息子が笑顔を浮かべていればよいと、ただただ遠くから祈るのみだ。


「貴方が面倒を見ていたのね?」


「ああ、そうだぜ? だから、心配するなよ」


 老女の前に姿を現す時、化け物は必ず孫と瓜二つの顔で現われる。

 一生自分を許す気のない老女は、永遠に責め続けられている気がして、化け物が孫ではないと解かっていても安堵してしまうのだ。


「虐待をオープンにしちまいたい気持ちはあるんだけどな」


「オープンになった時の、あの子への八つ当たりが怖い?」


「そーゆーこと。かいむ自体は、俺がいればいいとか可愛い事言ってるからな。できるだけ側に居て、俺が居なくなっても一人で生きていけるように色々教えてるトコだ」


 だから子供はあんなにも大人びていながらも、素直でいられるのだろう。


「変な事は教えちゃ駄目よ?」


「テレビの影響もあるんだぜ?」


「でしょうけどね」


「……そういえば、ばあさんは、成長した姿が見たいって言わねぇんだな」


「資格がないもの」


 本当に。

 本当に、孫の為、嫁の為、息子の為にと思っていた心に偽りはない。


 だけど、三人を壊してしまったのもまた、現実なのだ。

 己の心よりも余程解かりやすく残酷な。

 逃れる術などない。


「かいむ君が限界を感じているようなら、言ってちょうだい。私が介入するから」


「へぇ? また同じ轍を踏むのかよ」


「踏まないわ。踏まない為に、かいむ君本人に聞かず、貴方に聞くのよ。貴方になら彼は偽りない己の気持ちを伝えるでしょうからね」


 両親は壊してもいいのではないかと、思わないでもない。

 だが、それはかいむ君が望まなければしては決していけないことだ。


「……俺はあんたが嫌いじゃねぇぜ?」


「その言葉は、誠の姿じゃない時に言ってちょうだい」


 老女が笑えば、化け物も笑う。

 やはり、孫が笑っているようにも見えて。

 嬉しいと思ってしまう自分を殺す為に、老女は化け物に背中を向けた。


 本人は親切のつもりで、実は相手に取って余計なおせっかいだった、というのは、意外に日常生活の中に潜んでいる事態です。


 できることなら、お互いが気持ちの良い距離感で生活したいものですね。


 お読みいただいてありがとうございました。

 完結まで後2話。

 最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

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