レイナの決断
ソウガたちが街の仲間になって数週間。
もともと気さくな性格のソウガはすぐ街に馴染むことができた。
一方キレイはソウガのそばを付かず離れずな状態。その性格も相まって、村になかなか溶け込めない様子だった。
もちろん本人は気にしていないが。
ソウガは現在村人とともに建設作業を行っていた。
何を隠そうソウガとキレイの家である。
二人が村民となって与えられた家も、最近出来上がったばかりの新築だったが、ソウガが自分たちの家は自分たちで作ると言い出したのだ。
ラウルホーゼンの現状としては、一通りの宿屋や酒場など公共の施設は充実してきている。まだまだ人は少ないが、今後住居を増やしていく予定だったこともあり、その申し出はあっさりと認められたのだった。
いそいそと作業に励むソウガ。それを傍から黙って見ているキレイという図がここ最近の定番だった。
自分たちで作ると言っていた家は、すっかりソウガと村の大工の仕事になっていた。
「キレイ」
その様子を見ていた一人がキレイに声をかける。これもここ最近の定番だ。
キレイが振り向くと、そこにいたのはレイナであった。
あの試合以降、レイナはキレイに積極的に話しかけている。
グレイスは少し心配に思っていたが、フラウから余計な手出しをしないよう忠告されていた。
別にその言葉に従う必要はなかったが、少なくとも自分よりもこういう状況に理解があるだろうと、グレイスはおとなしくすることにしたのだ。
「キレイ」
「……何?」
数度目のレイナの呼びかけで、やっっとキレイが反応を示す。
ヤル気の感じられない気だるげな雰囲気。
これもキレイの性格故だとレイナも知っているので気にした風もない。
「今日こそはお願いしたいの。私にあなたの剣術を教えて」
「ムリ」
「そこを何とか。お願いします」
レイナは深々と頭をさげる。
キレイはバツの悪そうな表情で目を背けた。
思わずソウガに目をやるが、ソウガは苦笑いを返すだけだ。
もう何度このやりとりが繰り返されたかわからない。
答えは変わらないのに、毎日毎日よく飽きないものだとキレイは辟易していた。
いい加減嫌になってきたのでいっそ斬ってしまおうかとも考えたが、その後のことを考えるとさすがに行動を起こせなかった。
目の前のレイナに目をやり、眉根にしわを寄せる。
コミュニケーションの苦手なキレイにとって、レイナの頼みを断るのはどんなミッションよりも難しかった。
レイナは目の前の相手に対して深々と頭を下げた。
誰かに頭をさげるなんて生まれて初めてかもしれない。
門弟の兄弟子らが今のレイナを見れば、きっと剣聖の弟子として情けないだの、それでも剣士かなどの罵倒を浴びせかけただろう。
剣聖の弟子とはそれだけ名誉で誇り高いと認識されている。
しかしそんなものはレイナにとってどうでもいいことだ。そんなくだらない見栄よりも、自分の弱さに対する怒りがはるかに勝っていた。
今レイナの心を占めるもの。それは後悔や屈辱とは違う感情だった。胸に渦巻く気持ちはもはやそんな些細な感情を通り越していた。
これは羨望や畏怖。
素直にキレイの腕を認め、だからこそ自分にないこの剣技を覚えることで、さらなる高みへと上ることができる。
眼前の、キレイの表情を伺う。
相変わらずの無表情だが、ここ二週間ほどで何度も顔を突き合わせているためか、無表情の中の感情の起伏がなんとなく感じ取れるようになっていた。
キレイは明らかに迷惑そうだった。
と言ってもこれもいつもと変わらない反応だ。しかしそれで諦めるつもりも無い。
するとキレイがぽつりと呟いた。
「……どうやったら諦める?」
それは初めてのキレイからのアクション。
レイナはその言葉に顔を上げた。そして力強く言葉にする。
「キレイの剣術を教えてくれたら」
「それはムリ。私の剣は門外不出、一子相伝」
「それは前にも聞いた。それでも、私はあなたのその剣を知りたいの」
「…………」
キレイは無言のままじっとレイナを見つめる。
相変わらずの無表情だが、その目には鋭さがあった。
「あなたは剣聖の弟子。私の剣を知りたいなら、剣聖の流派を捨てる必要がある。それでもいい?」
それは最大限の効力を持った拒否だった。
この世界において、剣の流派を変えるというのは簡単では無い。
剣術において技が他流派に知られるということは、対策が立てられるということだ。だから流派を変えたり抜けることを許さない所も多く存在し、厳しい所では腕を奪ったり命を取ることもある。
剣聖の流派、剣聖流でもそれは同じである。
極度な罰則を設けているわけでは無いが、剣聖に伺いをたてる必要があった。しかしレイナは剣聖流の免許皆伝に近い実力を持っている。そう易々と他流派への乗り換えなど許されるはずも無かった。
レイナもそれは理解している。
だからこその行動だった。
レイナは剣を抜くとキレイに突きつけた。
その姿を見てキレイも表情を険しくする。自然な動作で剣に手をかけた。
「何のつもり?」
「細く教えてもらえるなんて私も思ってないの。流派を変えるっていうのも、私にはムリだしね。だから、私と戦って。戦いの中で、あなたから盗む」
「……承諾するとでも?」
「だからお願いしてるの」
レイナの表情は真剣そのものだった。
例えここで断ったとしても、それで諦めはしないだろう。
キレイはしばし逡巡する。今後も延々付きまとわれるか、ここで承諾するか、切って捨てるか。
やがて観念したように大きくため息を吐いた。
「仕方ない。でもあくまで仕合うだけ。何かを教えるつもりは無い」
「それでいい。それで構わないわ!」
キレイの言葉にはじめ、口をぽかんと開けたレイナだったが、言葉の意味がわかると満足げな笑みをこぼした。
おもちゃを買ってもらった子供のように屈託の無い笑顔ではしゃいでいた。
「じゃあ早速お願い。私、先行ってるから」
レイナは剣を収めるとさっさと駆け出して行ってしまった。方角からして恐らく訓練場へと向かったのだろう。あっという間にその背中が小さくなった。
キレイはやれやれとばかりに肩を落とす。ソウガはその様子を微笑ましく見ていた。
「おい、あんちゃん。手が止まってんぞ。自分の家なんだからもっと張り切って作らねーとな」
「すみません……」
レイナとキレイの間に閃光が瞬く。
二人の剣戟が火花を散らしていた。その度に甲高い音が辺りに響く。
キレイが訓練場に着くとレイナはすでに準備万端で待ち構えていた。二言三言言葉を交わすと、早々に剣を交えたのだった。
一閃、二閃。閃光を残して刃が通り過ぎる。
キレイの高速の剣技にレイナは防戦一方だった。
初めて対峙した時はこれよりもっと早かった。
あれを二度もいなせたのはレイナにとって奇跡と言っても過言では無い。反射的に退き、辛うじて前に出せた剣で何とか防ぐ事ができた。
しかし剣を見切れたわけでは無い。
レイナの今の目標は、キレイの最速を見切り、そして反撃できるようになる事。それ即ち、キレイの剣に近づけるということ。
それが叶えば大抵の初見の相手ならばその太刀筋を見切る事ができるはずだ。
それ以前に、圧倒的な差を少しでも埋めておきたいという思いもある。
キレイの剣がレイナの頬をかすめた。
数撃打ちあうだけでもその力量が伝わってくる。
昔剣聖と手合わせした時に感じたような戦慄が、背筋を通り抜けた。
これでも遅いというのに防ぎきるのがやっとだ。明らかに手加減されている事にレイナは悔しさをかみ殺した。
もともとわかっていた事とは言え、その事実を突きつけられると気持ちが滅入るものだ。
不意にキレイが懐へと飛び込んでくる。
レイナはすぐに反応したが間に合わず、喉元に剣を突きつけられた。
「戦いの最中に考え事をするなんていい度胸」
キレイは一歩引いてレイナから離れる。
「はぁ。あなたに勝つにはどうすればいいのか頭を悩ませてたの」
レイナは髪の毛をくしゃくしゃとする。
打ち合ってみたものの、さすがに短時間でキレイの技を見切るのは無理そうだった。
レイナはキレイに目をやる。
短く切り揃えられた青い髪に青い瞳。
身長は女性にしては高く、衣服から覗く手足はほっそりしながらも肉付きがいい。
その姿は見目麗しいと言われれば、頷かざるをえないだろう。
しかしこの背格好でなぜこれほどの速さで剣を振るえるのか。速さだけで言えば剣聖を凌駕するかもしれないその速度は、レイナにとって疑問の種であった。
レイナだって決して剣速が遅いわけでは無い。しかしキレイほどの剣速を実現できるビジョンは全く浮かばないのだ。
ひょっとすると、グレイスとの試合で見せたソウガのような力が、キレイにも備わっているのかもしれない。
だとすれば、レイナがそこにたどり着くには非常に困難な道程になるだろう。
しかしキレイから返ってきた答えは意外なものだった。
「私はソウガみたいな力があるわけじゃ無い。ただ愚直に、剣の速さを極めただけ」
つまり努力でたどり着いた領域、という事だろうか。そしてそれは、キレイの剣速が剣技であることを仄めかしていた。
であれば、難しいかもしれないが届かないわけではない。
少しだけレイナの気持ちが楽になった。
「じゃあもう一本お願い」
「……仕方無い」
キレイは鷹揚に頷いた。
そして二人は剣を構える。
再び訓練場に甲高い音が鳴り響いた。
そんな二人から少し離れた位置に、訓練場併設の建物があった。ソウガとキレイが尋ねてきた際、グレイスが応対した場所だ。
その建物から、ニナは二人の様子をボケーっとした顔で眺めていた。
時折お茶を啜っては溜息を吐く。
そこはグレイスのために用意された、訓練場内の休憩所のようなものだった。しかし現在グレイスの姿はない。
事の発端はグレイスからの提案だった。たまには召喚魔を休ませてはどうかとグレイスから言われ、ニナは二つ返事でOKを出したのだ。
言われた時は自分の事を気遣ってくれた事に舞い上がったものだったが、今になって思うと、おそらくグレイスは魔物退治に行きたかったのだろう。
OKを出した時妙に笑顔が眩しかったのを覚えている。
勿論グレイスとの親睦を深めるため自分も一緒について行くつもりだったのだが、残念な事にグレイスから丁重なお断りがあった。ニナが一緒に来ては休んだ事にならない、と。
いくら召喚魔と言えども、術者に負担がないわけではない。召喚魔を維持し続けるには莫大な魔力が必要なのだ。だからこそニナ自身が休むことが、召喚魔を休ませる事につながるのだ。
ニナは行きたい気持ちを呑み込み、仕方なく訓練場でグレイスを待つ事にした。そんな折、レイナとキレイが試合をしに訓練場へ訪れたのだ。
隣に置いてある茶菓子をつまみつつ、お茶に手を伸ばす。
暇だ。実に暇だ。
空を見上げれば青い空に小さな千切れ雲が漂っている。まさに快晴。
なんという研究日和だろう。こんな日は家の中に引きこもって魔導の探求を行いたいものだ。
照りつける日差しのもと、ニナはそんな事を考えていた。
目の前ではまだ二人が剣を交わしている。
剣術の心得の無いニナからすると、二人の動きは早すぎて見えない。が、なんとなくレイナが押されているのは分かった。
心の中で頑張れと応援しながら、またひと口茶をすすった。
そんな光景をしばらく眺めていると、試合を終えたのか二人がニナの元へとやってくる。
少し疲れたのか、レイナは額に汗を浮かべていた。キレイは息一つ乱していない。
運動が苦手なニナからすると、二人ともこの熱い中、良く体力が持つものだと感嘆しかない。
二人がニナの隣に腰掛けると側仕え用の小型ゴーレムにお茶を給仕させた。
「ありがとう、ニナ」
「……」
二人は茶を受け取ると口に運んだ。レイナは一息に飲み終えると深く息を吐く。
ニナは二人に視線を移す。
お茶を飲んで潤ったのか、レイナは満足げな表情を浮かべていた。一方のキレイは無表情で茶をすすっている。
ニナはその様子に溜息をついた。
ニナはいまいちキレイとの付き合い方がわからないでいた。あまりに無表情すぎて何を考えているのかわからないのだ。
引っ込み思案のニナからすると非常に付き合いづらい相手であった。
とは言えニナでなくともキレイと上手く付き合えている人間はいなかったが。
何となく居心地が悪い。さっさと帰って休もう。
ニナは席を立とうとする。
「そういえばあの人は?」
レイナが話しかけてくる。レイナのいうあの人とはグレイスの事だ。何故かレイナはグレイスの名前を呼びたくないらしい。
「グレイス様なら魔物退治に行ったわ。たまには召喚魔を休ませたらどうだって私を置いてね」
「ふーん。それ絶対自分が魔物退治に行きたかっただけよ。ソウガたちが来てからは誰も戦いを挑みに来てないし」
どうやらニナの考えは当たっていたようだ。
少し複雑な気分だった。
「グレイス?」
キレイが疑問系で問いかけてきた。どうやらグレイスの事を覚えてないらしい。
レイナはソウガと戦った男だと説明すると、キレイは納得した。
「人の名前覚えるの苦手」
キレイはどこか抜けているようだったがやっぱり抜けているようだ。剣術がすごいだけに少し残念だ。
ふとニナは前々から疑問に思っていた事を質問する。
「そう言えばキレイたちはどうして旅をしてたの?」
「そう言えば私も聞いたことないわね」
ニナとレイナが同時にキレイに視線を向ける。
しかしキレイは鋭い目つきでニナを見つめた。
思わずひっと声が漏れる。
キレイの視線が怖い。何か聞いてはいけない事を聞いてしまったのか。
そんな不安にかられていると、キレイが口を開く。
「あなた誰?」
あー。そう言えば数週間も経つのに名前を一度も教えていなかった。しかしグレイスとの立会いの際も居たはずなのだが。
ニナは自分の名前や魔導士をやっていることなどをキレイに伝えた。
キレイはニナの事を覚えようとしているのか、中空に視線を泳がせながらぶつぶつと口を動かしていた。
「……ニナ。覚えた」
「はぁ。そりゃよかった。で、どうして旅をしていたの?」
「それは秘密。知りたいならソウガに聞いて」
「…………」
何故だろう。キレイとはまともに会話ができない気がした。引きこもりのニナ以上に口下手なのかもしれない。
いや、口下手というより無口、を通り越して無関心のようだ。
ニナはレイナに助けを求める視線を向けるが、レイナも困った反応で苦笑いする。
するといいタイミングで肝心の主役が登場した。
「キレイー。いるか?」
ソウガが建物の入り口から入ってくる。
手には緑色の包みを持っていた。
「お、いたいた。お前弁当忘れてっただろー」
「そう言えばない」
「ほら。持ってきてやったぞ」
「ん」
ソウガは弁当を渡すとキレイの隣に腰掛けた。
自分の分の弁当を取り出すとパクつき始める。
ニナとレイナは自分も食べるのかよと、心の中でツッコミを入れた。
キレイは渡された包みを開ける。中には色とりどりの野菜が挟まれたサンドイッチが綺麗に並んでいた。一目見て、トノアの作ったものだとわかった。
ニナもこの村に来てからトノアのパンを食べたことがあるが、今まで食べたどのパンより美味しいと感じた。
この村の往来が増えれば確実に名物となるだろう。
キレイはサンドイッチを一つ手に取り口へと運ぶ。
と、キレイの動きが一瞬止まった。
すぐにもぐもぐと口を動かし始める。そのまま残りのサンドイッチもペロリと平らげた。
顔には表れないが、味には大変満足しているようだ。
「お、サンキュー」
カタカタと音を立てながら、ソウガの背後からニナの小型ゴーレムがお茶を運んでくる。ソウガは礼を言ってそれを受け取った。
ニナは先ほどのキレイの言葉を思い出し、ソウガに聞いてみる。
「ソウガに聞きたいことがあるんだけどいい?」
「ん? 何だ。何でも聞いてくれ」
「じゃあ遠慮なく。ソウガ達はどうして旅をしているの?」
「ああ。言ってなかったっけ? 俺はドラゴンを倒すために旅をしているんだ。その修行の一環として、各地の剣士と戦って自分の腕を高めている。キレイはそんな俺のお目付役だな」
「…………」
キレイが無言で頷く。
そんなソウガの言葉に、二人は驚きを隠せないでいた。
そもそもドラゴンは非常に希少な存在である。
市井の民ではまずドラゴンを見ることはない。それこそ、一生に一度あるかないかだ。
そしてその姿を見たが最後、大抵のものは命を落とす事になる。
それはドラゴンという存在があまりに強大だからだ。
古くは一つの国家を滅ぼしたという逸話さえあり、その強大さゆえ天災とまで言われている。
並大抵の冒険者や国家では太刀打ちができないのだ。
とは言え、対抗手段がないわけでもない。
対ドラゴンの騎士団として、ドラゴンクルセイダーを擁する国家もある。また、英雄と呼ばれるような者の中には、ドラゴンと戦える者が幾人か存在している。七賢人の中にもドラゴンを倒した者がいるらしい。
剣聖もその昔、仲間とともにドラゴンを討伐したそうだ。
つまりはソウガも、それだけの高みを目指しているわけだ。
あまりのスケールの大きさに、二人は二の句も継げなかった。普通の感覚ではまずドラゴンに戦いを挑もうとは思わない。
やっとの事で発した言葉は、あまりにありきたりだった。
「すごいわね」
「はは。まあこのあいだの戦いで、自分がまだまだだって思い知らされたけどな。ドラゴンを倒せるのはいつになるのやら」
「私ももっと強くならなくちゃ。同じ剣の道、お互い頑張りましょう」
「おう。いつかあんたの師匠、剣聖も倒してみせるぜ」
「やってみなさい。でも先に倒すのは私だから」
二人の間に火花が散る。
同じ剣士として、目標を持った者として、思うところがあるのだろう。レイナとソウガは互いに共感する何かを感じていた。
「ところでよ」
「何かしら?」
突然ソウガが疑問を口にする。
眉間にしわを寄せ、レイナの背後にいるニナに悩ましげな表情で視線を向けた。
「俺のこと知ってるみたいだけど、そっちのちっこいのは誰なんだ? 」
ニナを指差してソウガが訊いた。
そんなことだろうと思った。だってまだ名乗ってなかったから。大丈夫、大丈夫。あれ? 涙が出ちゃう。だって、女の子だもん。
ニナは心の中で涙を流した。