仲間が増えました
訓練場は大きな長方形の形をしており、周囲は子供の背丈ほどの柵で囲まれていた。
中央には線が十字に交差しており、更に二本の線を引くことで訓練場全体を八つの区画に分割していた。
区画一つ当たりは闘技場の舞台ほどあるため、一対一の模擬戦も行いやすくなっている。
残念な事に、今のところ訓練場を使っているのはグレイスとレイナくらいだったが……。
今回やっと日の目をみる事になった訓練場だが、今その区画の内二つ、間に一区画を隔てて、グレイスとソウガ、レイナとキレイがそれぞれ対峙していた。
二つの区画の真ん中にフラウとニナが立っていた。
「ルールは私が決めさせてもらうわ。武器は自由。だけど相手を殺したり過剰な攻撃はしない様に。危ないと判断したら止めに入るから」
フラウが杖の先端を地面に叩きつける。
フラウが手を出す可能性を考えて、レイナとグレイスは顔が青くなった。ルールは守ろうと固く心に誓うのであった。
「もし無理と判断したら降参もありね。で、今回は実力試しだから、時間制限を設けます。そんなにかからないと思うけど15分。15分が経過した時点で終了の合図を出すから、直ぐにやめる様に。じゃないと私が止めに入るから。いい?」
「俺は問題ない」
「…………」
ルールの確認にソウガが同意した。
キレイは言葉にはしないが、静かにこくりと頷いた。
グレイスとレイナも同意する。
その場の空気が張り詰める。見ているだけで冷や汗が流れてきそうな緊張感だ。
ニナは唾をごくりと飲み込んだ。
「ルールは守るようにね。それじゃあ始めー!」
開始の合図に再び杖が地面を叩いた。
まずはグレイスとソウガの試合からだ。
ソウガは背負った剣を手にし、抜いた。
それは柄の長さ通りの長大な剣だった。刀身は鈍色に輝く片刄の長刀。振るうだけでも相当の筋力が必要だろう。
グレイスは今まで数多くの剣士と戦ってきたが、それは初めて見る武器だった。
気を引き締めてグレイスも大剣を構える。愛用の斧を使わないのは威力がありすぎて手加減できないからだ。
そしてグレイスの使う長剣も、ソウガに負けず劣らずの長さだった。
二人は対峙したまま身じろぎせず、互いに剣を構えたまま相手の出方を伺っていた。
さあっと、乾いた空気が二人の間に流れる。
木の葉が足元を通り過ぎ、遠くで鳥の鳴き声が聞こえてくる。
穏やかな気候。
フラウは大きく欠伸をしながら、退屈そうな顔でその様子を眺めていた。
レイナとキレイも二人の様子を傍観していた。
じりっと地面を踏みしめ、わずかに距離を詰める。
そのまま互いに少しずつ距離を詰める、やがて互いの刃先が触れるところまで近づいた。
その刃が触れる。
キン!
金属同士がぶつかり合う甲高い音が響いた。
互いの刃が弾かれ後方へ仰け反る。
レイナはグレイスが押されたことに驚愕した。
互いに踏みとどまり、続けて踏み込む。
二人はほぼ同時に互いの間合いに入り剣を振るった。
グレイスは下段から、ソウガは上段から互いの体めがけて一直線だ。再び刃がぶつかり合い剣が弾かれる。
が、重量が軽いソウガの方がより遠くまで弾かれた。
力任せにグレイスは剣を突き出す。しかしソウガも簡単には許さない。
遠くに弾かれた剣は既にグレイスとの間に戻っていた。グレイスの突きを長刀で流し軌道をそらせる。
そのまま刃に沿ってグレイスへと斬りかかった。
グレイスは剣を半回転させそれを鍔で受け止めた。
そのままソウガを後ろへ押し返す。
直ぐに追撃を加えるが、ソウガもそれに反応している。紙一重で剣戟を避け、剣の引きに合わせて振るう。
グレイスもまた、その一撃を上体を反らして躱した。その体からは想像できないほどの柔軟さだ。そのまま数度剣戟を交わし、お互いにいなし合う。
目まぐるしい攻防に、ニナは思考も目もついていかない。
この戦いを正確に理解できているのはこの場でレイナとキレイだけだった。フラウは完全に寝こけていた。
そうこうする内に、互いの渾身がぶつかり合う。再び弾き合い、またソウガの返しが剣の鍔に止められた。
その状態で互いに力を掛け合う。
二人の動きはそのまま止まった。
互いの剣がカタカタと震え、いつその力が解き放たれてもおかしくない状態だった。
しかし拮抗しているからこそ、その均衡はなかなか崩れない。そのまましばらく時間が過ぎる。
先に動いたのはグレイスだった。腕に込めた力をふっと緩める。ソウガの剣がグレイスの剣を押し返した。不意のことにソウガは体勢を崩す。
グレイスはソウガの力を利用してその場で回転した。
グレイスの巨躯が宙を舞い、巨大な剣が振り回される。
袈裟斬りに、力任せの一撃がソウガに降り注いだ。
それで勝負がついたかに思われた。
しかしグレイスの剣はソウガに届く前に、ソウガの左手に受け止められた。しかし威力を殺しきれず、ソウガの足が地面にめり込む。
最も驚いたのはグレイスだった。
まさか自分の剣が素手で受け止められるなど、剣士にとって悪夢以外の何物でもない。
グレイスの狼狽とは裏腹に、ソウガは落ち着いた表情だった。グレイスの一撃でソウガの左手をおおう包帯が解けた。
そこから現れたものは、おおよそ人間の腕と呼べるものではなかった。
鋭い爪と赤い鱗に覆われた腕。
見る者を忌避させる異形の姿がそこにあった。
いつの間にか起きていたフラウやレイナ、ニナですらもその姿に驚きの表情だ。ただ一人、キレイだけは冷静な瞳でそれを眺めていた。
「こいつを剣の勝負で使うつもりはなかったんだけどな。やっぱあんた強いわ。これ使わないと勝てねー。だから、こっからが本番だ」
ソウガはグレイスの剣を力任せに押し返す。グレイスはそのあまりの力に堪え切れず、後ろに飛ばされた。
まだ目の前の光景に頭がついていかなかった。だが戦士の意地か、それ以上後ろに引くという行為はしなかった。
体勢を立て直し剣を構える。
ソウガは左手に剣を持ち替えると、一足飛ばしでグレイスに詰め寄った。その動作は俊敏だった。
そして剣を振るう。
剣が空を切り裂く音というものをグレイスは嫌という程聞いてきたが、ソウガのそれは別格だった。剣聖に匹敵するかもしれない速度。その速度で放たれる剣戟。
下段からの振り上げを、グレイスは全力を傾けて受け止める。そして受け止めきれず、グレイスの足は地面から離れた。
持ち上がった体が数m後方に弾かれる。何とか足をつけて踏み止まるも、そのままの勢いで地面を滑った。
両腕が痺れる程の威力にグレイスが顔を顰める。
間髪入れずにソウガが距離を詰めて肉薄した。上段から凄絶な威力で切り下ろされる。
これはマズイ。
今これを受け止めては、そのまま押されて地面に叩きつけられる。それならばまだマシだが、下手をすればそのまま体まで真っ二つにされてしまう。
それ程までにソウガの左手から繰り出される一撃は驚異的だった。
それは先ほどの一撃を受けたグレイス自身が一番実感していた。
咄嗟の判断でグレイスは剣を斜めにソウガの一撃を受け流す。
ソウガの剣は地面を切り裂く。その衝撃で地面が抉り取られ、無数の礫と土煙が舞い上がる。しかし今の攻撃は力任せの一撃。その後に生じる隙が大きかった。
グレイスはそれを見逃すほど甘くない。
間髪入れずソウガの鳩尾に蹴りを叩き込んだ。
ソウガの剣を受け流す際の回転ものせた一撃。
今度はソウガの体が数m吹き飛ばされた。
しかし大したダメージを受けていない様子で、悠然とその場に立ち止まる。
グレイスは冷や汗が止まらなかった。
スカルドランと戦ったときでさえまだ余裕は保っていた。
しかし目の前のこれは、言うなれば怪物の力を宿した人間だ。骨だけのスカルドランと違い、確かな剣術と経験まで持ち合わせている。
先ほどまでのソウガであれば強くはあったがグレイスに届くほどではなかった。しかしこの受け止めきれない力が加わった以上、形勢が不利になったのは自分。
隙が大きいとはいえ、このまま戦闘を続ければ先に消耗するのは必定だ。
ソウガの様子を伺う。
が、ソウガもなぜか余裕がない。先ほどの蹴りが効いた感じではない。おそらくあの腕が関係しているのだろう。時間制限か何かがあるのかもしれない。或いはそれも含めた演技か。
グレイスはソウガを前にし、久々の死の感覚に体が震えた。
恐怖からではない。心の底から湧き上がる熱情。死と隣り合わせの緊張感。久しく忘れていた感覚が、スカルドランの時以上の感覚が、グレイスに至上の喜びを与えていた。
グレイスは息を整えた。
久々に本気で戦える相手。出し惜しみする必要もない状況。そんな場を与えてもらえた幸運に感謝しかなかった。
剣聖の右腕と呼ばれて久しく、これ程の相手は現れなかった。現れても戦うことはなかった。だからこその喜び。
いつまでも戦っていたいと思う名残惜しさ。
ソウガもまたそれを感じていた。思わず笑みがこぼれる。
その様子にグレイスも、自然と笑みがこぼれた。
一瞬、時が止まったかのような静寂。時間にして僅か5秒ほどの間隔だったが、二人にとってはそれがひどく長く感じられた。
グレイスの瞳が一瞬きらめく。ソウガの背筋に悪寒が走った。
脳が知覚した瞬間、グレイスの姿が眼前にあった。グレイスは横薙ぎに剣を振るった。その刀身は輝きを帯びている。
ソウガはその一撃を刀身で受け止める。
ソウガの反応はほとんど反射と言っていいものだった。相手の動きを理解してから動作に移したのではない。知覚するより前に、反射のレベルで自然と剣がグレイスとの間に滑り込んでいた。
それは彼の鍛錬の賜物。それがなければ勝負は決していただろう。
しかし今までとは比べ物にならない威力に、ソウガの剣が身体ごと持って行かれる。踏ん張りきれず地面を上を滑る。そして身体を超えて衝撃だけが、ソウガを抜けて遠くの柵を吹き飛ばした。
今度はソウガの驚く番だった。
受け止められると甘く見ていたのは事実だ。しかしそれでもこの腕で剣が弾かれるなど想像だにしなかった。
それはキレイも同じだった。今までの無表情が嘘のように目が見開かれ、驚きを隠せないでいる。
今のは剣技と呼ばれる剣士の技。魔法使いの魔法に対して、剣士が力を練り上げてそれを剣に乗せた一撃。
魔力、と混同されることが多いが、魔力とは人間が本来持つ力の一端である。魔法を行使すれば魔力と呼ばれ、剣技を行使すれば技力と呼ばれる。
剣士は大半がこの力を行使しているが、グレイスの力はソウガの予想を遥かに超えたものだった。
衝撃波だけで遠くの柵を壊すなど、どれほどの鍛錬を積めばそこまで至れるのか、想像するだけで震えがくる。
少なくとも自分の力任せの一撃とは決定的に違った。
それは確固たる技術が収斂されたであろう力。技という一点において、グレイスはソウガの遥か先を行っていた。
しかし退く訳には行かない。ソウガにも相応の覚悟があってこの場に立っているのだ。
退路はない。進むしかない。
そして激しい打ち合いが再開された。
しかし直ぐに、その均衡は崩れ去る。
次第にグレイスの動きにソウガがついていけなくなったのだ。グレイスの動きが徐々に早く、ソウガの動きが鈍くなっていた。
ソウガは焦りの表情を浮かべ、グレイスの攻撃をすんでのところで躱す。それでもグレイスの勢いは増すばかり。
ソウガを見守っているキレイも、ソウガの劣勢に表情を曇らせる。
そして間も無くして勝敗は決した。
ソウガの長刀が空に弾かれ、首元に剣を突きつけられる。
ソウガの剣が地面へ鈍い音を立てて突き刺さった。
「は、はは。参った。俺の負けだ」
「……久々の強敵につい本気を出してしまった。だが楽しかったよ。ありがとう」
両手を上げて降参を口にしたソウガ。
首に突き付けた剣を納めるグレイス。
お互いに肩で息をしながら、しばし息を整える。
やがてグレイスは片手を差し出し握手を求めた。ソウガの健闘を称えてのことだろう。握手を求めた。
ソウガは敗者のプライドとして一瞬その行いに躊躇したが、観念したようにその手を握った。
「んじゃ決着ついたから次は二人の番ね」
勝敗の余韻すらぶち壊すかのようにフラウは淡々と告げた。
グレイスとソウガは眉を少しだけ寄せたが、しかし文句を言う場面でもないので言葉をぐっと飲み込む。
レイナとキレイは尚更いうこともないので、おとなしくフラウの言葉に従い向き合った。
レイナは剣を正面に構え、キレイは腰に下げた細剣に手をやる。しかし抜かずに抜刀の構えだった。
「さっきのソウガっていう人の剣も珍しい形だったけど、あなたの剣も初めて見るわね」
「…………」
「何? 無視なの?」
その反応に戸惑うレイナだったが、横からソウガが助け舟を出す。
「あー。無視してるわけじゃなくて、単に照れ屋で無口なだけなんだ。許してやってくれ」
なるほど。そういう性格か。
よく話すレイナにとってはわからない感覚だったが、そういう性格もあるのだろうと何となく納得した。
するとキレイが一言呟く。
「カタナ」
「?」
何を言われたのか理解できなかったが、やがて自分の質問への回答だと気づく。
それだけでレイナは満足だった。後は剣で語り合うまでと、目を細めて相手を見つめる。
先ほどのソウガの戦い、恐らくキレイも同じだけの実力を持っている。
ならば出し惜しみなしだ。そうしなければ失礼にあたる。いや、そうしなければ恐らく勝てはしない。
レイナは自分がグレイスより劣っていることを知っている。ソウガと自分が戦っていれば、十中八九自分が負けていただろう。
だから手は抜かない。抜く訳にはいかない。
「んじゃ、試合開始ー!」
フラウの合図で直ぐさまレイナが飛び出す。
キレイはまだ動かない。徐々に縮まる二人の距離。剣が届くかと思われるほどの距離まで来た時、レイナは反射的に退いた。自分の直感が、身体を意思とは反対方向へ動かしていた。
その判断は結果的に正しかった。
数瞬後、キレイの剣閃がレイナのいた場所を通過した。
その光景はまさしく光の線だった。
何をされたか一瞬理解が及ばない。しかし直ぐに考え至る。それが高速の抜刀であることに。
知覚できない速度の剣戟が放たれた。ただそれだけの事。
しかしその純然たる事実が、キレイの圧倒的なまでの実力を物語っていた。そして自分より圧倒的格上であるということも。
間違いなく、この女はソウガよりも強い。
レイナがその攻撃から感じ取った印象は、確かなものだった。
そう思った時には既にレイナの刀は鞘に収まっている。
そして二度目の閃光が煌めいた。
甲高い音が響きレイナの剣が弾かれる。
辛うじて防いだ二撃目からその威力を知ることとなった。
一撃でも受ければ命はない。まさに必殺の一撃。おそらく全ての攻撃が致命。
しかし防いだ。何とか防げた。
自分はまだ戦える。弾かれた剣を慌てて引き戻す。そして追撃を加える為に飛び出した。
しかしレイナの視界に映った光景は絶望的なものだった。
キレイの鞘に収められた刀。そして抜刀の構え。
いつ刀を収めたのか知覚することすら叶わない。攻撃の初動も、その後の動きすらも、目で追うことができなかった。
そのあまりの早さに戦慄を覚える。
「…………」
惚けたのは一瞬。
ただその一瞬で、キレイの刀がレイナの首に添えられていた。あれだけの速度で放たれた一撃は、レイナの皮一枚を切っただけで止められていた。
それだけで勝敗は十分だった。
キレイは刀を鞘に収めた。それが試合終了の合図となった。
「そこまでー。勝者、キレイ!」
圧倒的実力差。決してレイナが弱いわけではない。
レイナとて、本気であれば多少善戦できただろう。
しかしそれは結果論でしかない。
真剣勝負でのたらればなど意味のない論争だ。勝負は結果が全て。ただレイナが本気を出す暇を与えないほどの強さを、キレイが持っていたというだけのこと。
レイナ自身、それがわかっているから何も言わなかった。
悔しさに歯噛みする。
「さて、ソウガって方はグレイスに負けたわけだからここに住んでもらうけど、あんたはどうする?」
キレイに向けてフラウは問う。
そう言えばとその場の全員がその約束を思い出した。
あまりに激しい試合でそんな約束はすっかり失念していたわけだが、ソウガは事実負けたのだ。試合前の約束からするとソウガはこの街で暮らすことになり、キレイは特にその縛りを受けない。
とは言え今まで二人で旅をして来たわけで、はいさようならと言う訳にもいかないのが現状だった。
ソウガは頭をぽりぽりと掻きながら、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべていた。
キレイは気にした風もなくその姿を見ている。
やがてキレイの口から言葉が紡がれる。
「私も住む」
「よし来た! じゃあ早速二人の家を用意するわね」
あまりの手際の良さに感心を通り越して猜疑心が生まれて来る。まあ概ねフラウの思う通りに事が運んだのだろうと、改めてグレイスは溜息をつくのだった。
レイナはまだ先ほどの敗戦が堪えたのか、何処か暗い表情だ。
そんなレイナを見て、グレイスは自分が励まさねばと本心からの心配半分、下心半分でそんな事を考えていた。
斯くしてラウルホーゼンの住人が二人増えたのだった。
とは言えラウルホーゼンの今後の発展からすると、これはちいさな出来事に過ぎない。
いつの間にか遠くの西部が随分と眩しく辺りを照らしている。それほど長い間戦っていた訳ではないが、あと数刻もすれば太陽が地平に隠れそうだ。
そんな赤く染まり始めた空を眺め、レイナは再び悔しさを滲ませた。
さてさて。読んでくださっている方ありがとうございます。所々設定いい加減だったなと反省している今日この頃。
前々からの自分の課題ですが、投稿ペースが何とも遅い!
その所為で自分自身話を忘れそうになります。てことで、何とか投稿ペースを上げていこうかと思います。
出来れば2、3日に一度、せめて一週間に一度は投稿したいかな。
とりあえず宣言したらもう少し自分でも発奮するかと思ったので、この場で言っておきます。