王との遭遇
「計画は中止だ」
「どういうことだよ、ライブラ!」
グリモスが怒りを露わにしながらライブラに詰め寄る。
ヴィラードはグリモスを制しながら聞いた。
「私達にも詳しくお聞かせ願えますか。これだけ時間をかけた計画が中止とは、聊か納得がいきませんが……」
ライブラは仮面の下で不機嫌さを滲ませながら溜息を吐いた。
四人には横一列に並んでライブラの言葉を待った。
ライブラは四人に向き直ると、徐に口を開いた。
「グリエラにつけていた使い魔からの報告だ。ドラゴンが討伐された」
「「!」」
「俄かには信じられませんが。しかしまだ七賢人のゴルタスは王都を出ていないはずでは?」
「ああ。それは間違いない。ゴルタスが王都に張り巡らせている結界は消えていないからな。やつはまだあの中にいる」
「ということは、つまり別の者がドラゴンを倒した……と?」
ライブラは何も答えなかった。四人はそれをイエスと受け取った。
「マジかよ。そんなつえーやつがいるなら、俺がグリエラの代わりにいきゃーよかったな」
「ふん。ドラゴンを倒せない貴様が行っても同じことだ。糞は糞らしくその辺で糞でも垂らしていろ」
「なんだとコラ!」
「…………」
ヴィラードはライブラの答えに驚きを隠せないでいた。
そもそもドラゴンを暴れさせてゴルタスを王都から引きずり出す事、それがこの計画の鍵だ。それが果たせなくなった以上、確かに計画を中止せざるをえない。
ライブラの言葉通りだとすれば、グリエラはドラゴンを呼び寄せることに成功したのだろう。その上でドラゴンを倒す実力を持った者が村にいたということだ。
それはもう一つの脅威を示していた。
他の三人はそこまで重く事態を捉えていないようだが、ヴィラードはライブラの右腕として各所で根回しを進めてきた。
ドラゴンを倒せる人間がいるということは、それだけ計画の障害になるものが増える可能性があるということだ。
計画遂行のためには事前に障害を排除するべきだ。
ヴィラードは冷たい目をしながら手に魔力を集中していた。
それを振り向きざま、背後へと放り投げる。
ヴィラードの放った魔力弾が背後にいた人物へとぶつかり小さな爆発を起こした。
グリモス達がその音に一斉に振り返る。
濛々と上がる煙の中、人影が一つ。
その煙を振り払うように、徐に一人の人物が姿を現した。
「まったく。随分なご挨拶だね。それにしても、よく僕の気配に気づいた。キミ、中々やるね」
姿を現したのは金髪碧眼の少年だった。
見た目十代前半といった所だろう。冒険者が好みそうな動きやすい格好をしており、しかしその表情には年齢に似つかわしくない妖しさがあった。
「一体何者ですか? 私の魔力弾を防いだ時点で、ただの子供でないことは明白ですが」
「いやいや。ただの通りすがりの子供さ。だから気にせず話を続けてくれて構わないよ」
ただ者ではない雰囲気にグリモスらも緊張感を高めた。
ヴィラードがもう一度手に魔力を集中する。
「参ったな。こんなに好戦的だなんて。まあその方がこっちもやりやすいけど」
するとヴィラード達の目の前から少年が姿を消した。
完全に少年を見失ったヴィラードは、このメンバーの中でず抜けて高い魔力知覚の能力をフル活用し、感覚を研ぎ澄ませた。直ぐに少年の位置を割り出すと、背後へと振り返る。
そこには手に魔力を集中させた少年の姿。至近距離にはこちらを向いたままのライブラがいた。
ライブラは真横にいる少年に気づいていない。魔力の籠った少年の手がライブラに叩きつけられた。
「ライブラぁぁぁぁぁっぁ!!」
ヴィラードが目の前の出来事に声をあげる。
と同時に少年の魔力弾が爆発を引き起こした。
ヴィラードが放ったものとは比べ物にならない威力だ。爆発の衝撃が四人を襲う。
「くっ。ライブラ! 大丈夫ですか!」
ヴィラードは煙に包まれたライブラに呼びかけた。
しかし返事はない。
その煙の端には、微笑む少年の姿があった。
その姿を見たヴィラードは頭が真っ白になった。敬愛する同志を傷つけられた。
ヴィラードは自分の魔力を爆発させ、他の三人を一瞬で置き去りにすると少年へと襲い掛かった。
「やめろ。ヴィラード」
その声が響いた瞬間、ヴィラードの姿は再びグリモス達の背後に戻っていた。
ヴィラード本人もグリモス達も、何が起こったのか分かるものは誰もいなかった。
少年だけが、その様子を厳しい目で見ていた。
「なっ! 一体今何が起こったんだ?」
「ラ、ライブラ。私は……」
「お前達はこの場を離れろ」
「ですが!」
「足手まといだ。離れていろ!」
グリモスは逆に突っ込みそうな勢いだったが、すぐにシラーがその服を引いて無理やり下がらせた。
ヴィラードたちが背後へと退く。
「逃がすわけないでしょ」
「!」
少年が足で地面を叩くと、全員を取り囲むように炎の壁が出現した。
その熱量に四人は動きを止める。
爆発の煙が晴れると、そこには無傷のライブラが立っていた。少年はその様子に笑みをこぼす。
「僕の攻撃を至近距離で受けて無傷とはね。キミ一体何者だい? その魔力、とんでもなく妖しいんだけど」
「貴様に教えてやる道理はないな。それに無傷とは、随分甘い評価だ。今の攻撃で仮面にヒビが入った」
「体は無傷だろ? 仮面程度、いくらでもおまけするさ」
「ふん。七賢人様がよく言う」
「……キミ、本当に何者だい?」
ライブラの言葉に少年の目つきが変わる。体から迸る魔力が周囲に広がり炎の壁の中に満ち満ちた。
ヴィラード達はその圧に耐え切れず膝をつく。
「……潮時か」
「な、なんだよこれ!?」「これは!」「……っ!」
ライブラが手を横に振るとヴィラード達の背後に黒い空間が現れた。
その空間から黒い手が伸びると、四つの手が各々を掴み、次々と空間へと飲み込んでいく。
「ライブラ。それでは先に戻っています。どうかご無事の帰還を」
そう言い残すと、ヴィラードも黒い空間へと飲み込まれた。
直ぐに四つの空間が閉じる。その場に残ったのは二人だけとなった。
「その魔法。キミ、詳しく話が聞かせてくれないかな」
「それをさせると思うか? ゴルタス・ブルード。私もそろそろ退かせてもらうとしよう」
「やらせないって言ってるでしょ!」
ゴルタスが魔力弾を飛ばすと、それはライブラに当たる前に空中で爆散した。
直ぐにゴルタスがその煙を吹き飛ばすが、もうそこにライブラの姿はなかった。
「……まったく。厄介だね」
ゴルタスはため息を吐くと、指を鳴らして周囲を覆う炎の壁を消した。
眼下に広がる王都を見る。
「さてと。ドラゴンの討伐も必要なくなったし。昼寝の続きでもするかな」
そうしてゴルタスは王都へと帰還した。
ガラガラと車輪の音を響かせ、やがて馬車は止まる。
王都近くの停留所に馬車が止まると、中からフラウが姿を現した。
ニナも車両を降りると、久しぶりの王都に懐かしさを感じる。
「はぁ。久々にかえっぷぅ」
口を押えて嘔吐感を何とか堪える。
「ニナ。無理をするものではな……ぅぅぅ」
背後から顔面蒼白のルーシェが姿を現す。
余裕を見せるつもりでニナに声をかけるが、自分のダメージの大きさに直ぐに言葉がなくなった。
そんな二人の姿にチェリスが呆れたような視線を向けた。
「ほらほら。馬車に乗ったくらいでへばらない。チェリスを見習いなさい」
「チェリスは昔馬車で旅を……」
「情けないこと言わない。さ、行くわよ」
フラウはさっさと門の方へと歩いて行った。ニナとルーシェはヨタヨタとその後を追う。チェリスはそんな二人を後ろから見守っていた。
王都に入るとニナたちも少しは体力が回復したのか、普通に歩けるようになっていた。
問題はルーシェの存在だった。
「ルーシェ様。今日はお出かけですか? よければこれを持って行ってください」
「ルーシェ様。こちらもどうぞ」
「ルーシェ様」
「ルーシェ様」
「ルーシェ様」
露店を通り過ぎるたびに王都の民がルーシェに何かを持たせようとするのだ。お陰でチェリスは、両手いっぱいに食べ物を抱える事となった。
フラウは初めて見るルーシェの人気に興味津々だった。
「ほんと、ルーシェって王都で人気者なのね」
チェリスの手の中から取ったリヴァまんを齧りながらフラウが言った。
いくら人気とはいえ王族なのだ。
国王の挨拶などで姿を見せる事はあるだろうが、それも頻繁にあるわけではない。
それはニナも思っていたそうだ。
するとチェリスがその疑問に答えた。
「ルーシェ様は時々お城を抜け出して城下を散策なさるんです。その際に色々な方とお話をしているので、すっかり見知った方ばかりになってしまったのです」
「いや、でも危なくない?」
「大丈夫です。チェリスも一緒なので」
「あー。納得」
フラウとニナが仲良く頷いた。チェリスは少し恥ずかしそうに顔を赤らめる。
一行は商業区を抜け、外周区へと入った。
ここでもルーシェは人気者だったが、流石に食べ物を渡されることはなかった。
「ルーシェ様。馬車を使われてはいかがでしょう?」
「そうですね。荷物もたくさん頂きましたし、そうしましょうか」
ルーシェはその提案に同意すると、手近にあった停留所へと足を向けた。
実は王都内は馬車で移動ができるようになっている。
乗り合い馬車と比べると振動も少なくより高級な客車を使っている。そのため値段の方もそこそこするのだ。とは言え一行にとってはさしたる問題でもない。
商業区から馬車に乗らなかったのは、久々にルーシェが城下町を歩きたいといったからだ。
フラウも露店で食べ物を買いたかったので反対はしなかった。
とは言え現状、チェリスが抱えきれないほどのお土産を持っている。
さらに王都は商業区が三割、外周区が六割、中央区が一割の配分で作られている。つまり外周区から中央区へ行くのにもそこそこの距離があるのだ。
ここに来るまで約四十分。食べ物をもらった時間を差し引いても、徒歩で行けばあと城まで一時間半はかかるだろう。
町中なので大してスピードは出せないが、馬車に乗れば三分の一程度の時間で城まで着くはずだ。
手の空いてないチェリスに代わって、フラウが停留所で休憩している御者に話をつける。
御者はフラウから賃金を受け取ると、直ぐに 運転席に乗り込んだ。
それを見てフラウたちが順に馬車へと乗り込む。ゆっくりと馬車が動き出し、次第にそのスピードが速くなっていく。
「所でチェリスは大丈夫なの? 勝手にルーシェを外へ連れ出したこと」
「いえ……。どうでしょう……」
ニナの言葉にチェリスは青い顔をしながら答えた。
一国の姫様を黙って連れ出したのだ。たとえ世話係と言えど、どんな罰則を与えられてもおかしくはない状況だ。
「だ、大丈夫です。私がお父様を説得しますから」
「できればそうして頂けると助かります」
ルーシェの援護射撃もどれほどの効果があるかわからない。
チェリスは暗い顔で窓から外の景色を眺めていた。
ルーシェはその様子に不安な顔で、ニナも困ったような反応をしていた。
フラウは相変わらずで、もらったお土産の串焼きをむしゃむしゃと頬張っていた。
ぺろりと食べ終えたフラウが串を手の中で消すと、指を舐めながら三人に言った。
「別に大丈夫じゃないの? 国王様ってそんなに固い人じゃないんでしょ?」
「普段はとても優しいお方なのですが、反面規律にはとても厳しくもあります。私が姫様のお世話係をさせていただいてるのも国王様の寛大さ故ですが、ミスにはそれ相応の罰も受けていますから」
「ふーん。そうなのね。……なら一発ぶん殴る?」
「あんたあほでしょ! そんなことしたらチェリスどうこうの問題じゃなくなるわよ」
「それでうやむやに……とか?」
三人はげんなりした表情でフラウを見た。
フラウも気まずくなって窓の外へと視線を反らす。そうして皆を乗せた馬車は王宮へと向かうのだった。
国王は椅子に座りながら天井を見上げた。口から静かに息を漏らす。
ここ数日、耳が痛くなるような報せが続いて正直頭がついていかなかった。
まずルーシェがこっそり王都を抜けだした。これはチェリスもついているし問題ないだろう。
続けて辺境の村、ラウルホーゼンがドラゴンに襲われた。
リヴァレント王国にドラゴンが襲来したのは、記録では百年以上前だ。しかもその少し前にルーシェがその村に向かったというではないか。慌てて兵を動かそうとしたがゴルタスに止められ、その数刻後にはドラゴン討伐の知らせが入った。
ルーシェとチェリスは何とか無事だそうだ。
そもそもドラゴンを討伐できる人間など、王はゴルタスの他に知らなかった。それだけでも耳を疑うばかりであった。
そしてゴルタスの報告にあった、王都周辺に現れた怪しい魔法使いたち。その中の一人、仮面の男はゴルタスでも取り逃がす程の実力者。
何か策を弄していたらしいが、ひょっとするとドラゴンの件もその男の仕業かもしれないとのことだった。
ビッグサイズの問題しかなさ過ぎて、王は思わず頭を抱えて唸ってしまう。
すると執務室の扉が数度、ノックされた。
すぐさま気を取り直して返事をする。
「入れ」
「失礼します」
現れたのは政務官の一人、パトリクスだった。若いながらも優秀な頭脳と手腕を以って、あっという間にこの地位まで上り詰めた男だ。
今では国王の右腕と呼ばれている。
「国王様。国王様にお客様です。謁見の間にお通しいたしますか?」
「客? 今日は誰か来る予定などないはずだが」
「いえ。それが……ルーシェ様たちなのですが」
「何!? 直ぐ通せ! 私も直ぐ支度をする」
パトリクスは恭しく一礼すると、部屋を出て行った。
王はその後姿を見送る。
いてもたってもいられず、書きかけの書類も等閑に王は直ぐに支度をすると、謁見の間へと向かった。
それにしてもルーシェが戻ってくるという話は聞いていない。
そりゃそのうち戻ってくるだろうが、これほど早くとは。村が壊滅したと聞いて向こうからは王都に来れないと考えていた。
しかし黙って王都から出た挙句、飛び切り危険な目に巻き込まれたのだ。
会った瞬間、娘を怒ればいいのか、無事を喜べばいいのか、少し複雑な気持ちだった。
そんなことに頭を悩ませていると、謁見の間の扉へとついた。ゆっくりと扉を開け、中へと入る。
まだパトリクスは来ていないようだった。
謁見に際しては威厳を示すため、客を待たせ王が後から入るのが慣例となっているが、相手はルーシェだ。
そんなしきたりはどうでもよかった。
王は玉座に腰を預ける。
暫くすると謁見の間の大扉が開かれ、パトリクスがルーシェを連れて姿を現した。
「失礼します。国王様。ルーシェ様をお連れいたしました」
「ご苦労だった」
そのままパトリクスは国王の座る玉座の横まで移動する。
パトリクスが定位置に着くと、国王が口を開いた。
「ルーシェ。息災か?」
「ええ。お父様」
「そうか。それは何よりだ」
二人の間に重苦しい沈黙が流れる。
その空気を破るかのように、チェリスが前へと出る。
「申し訳ございません。国王様。私は姫様の世話役でありながら、姫様を危険に晒してしまいました。どのような罰でも受ける所存でございます」
チェリスが膝をつき、恭しく頭を下げた。
その言葉に国王は何も言わなかった。
直ぐにルーシェもチェリスの隣につき、国王に対して頭を下げる。
「お父様。今回の事はすべて私の責任です。考えなしに行動して、挙句幾度となく危険な目に遭いました。全て自らの浅はかさが招いたことです。チェリスがいなければ私はここにいなかったと思います。どうか、チェリスには寛大な処置を」
国王は頭を垂れる二人を前にして、沈黙を保ったままだった。
暫くの時がたち、やがて口を開く。
「ルーシェ。お前は今回の事で、どれだけ国の者に迷惑を掛けたか分かっているのか? 私だけではない。パトリクスやリーベラル、ラフィスなどはお前を探して国中駆けずり回ったのだぞ」
「……申し訳ございません」
ルーシェは頭を上げることができなかった。
自分がしでかしたことで多くの人が動いたという事実に、改めて自分の立場と、その影響力の大きさを突き付けられたのだった。
国王はルーシェの様子を見つめていた。
「ふぅ。お前を責める気はない。母の居ないお前に、窮屈な思いをさせていたのはこの私自身だからな。だから今回の事も、特別咎めはなしとする」
「!」
ルーシェは顔を上げて国王を見た。驚きと戸惑い、喜びが混じったような表情だった。
国王は一拍おいて続ける。
「ただし、それはルーシェ、お前だけだ。チェリスはきちんと罰を受けてもらう」
「お父様! チェリスは悪くありません!」
ルーシェの言葉にも、国王は冷ややかな目を向けるだけであった。
チェリスはその言葉に何の反応も見せない。はじめからこうなる事を理解していたのだろう。
「確かにチェリスはお前の我儘を叶えてやっただけだろう。だが、だからと言って、それが許されるわけではない」
「ですがそれなら、私も罰を受けるべきです!」
「それは違う。お前とチェリスでは、立場が違うのだ。チェリスはお前を守る命を与えられていた。本来なら今回のお前の我儘も、お前を諫めなければならない立場だ。だがチェリスはその命に背いて、お前の我儘を聞き入れた。これは私への明らかな背信行為だ。その行為に対して、処罰を与えるのは当然のことだ」
「ですが……」
なおも食い下がろうとしたルーシェの肩を、チェリスが掴んだ。
ルーシェはチェリスの顔を見る。チェリスは柔らかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと首を横に振った。
その姿に、ルーシェは俯いて黙り込んでしまった。
チェリスは国王に向き直ると、深々と頭を下げた。
「国王様。ありがとうございます」
「…………」
国王はゆっくりと目を閉じ、再びゆっくりと目を開けた。
「この件はここまでだ。で、後ろの者たちは? 一人はニナ・アルヴェイユか」
「ご無沙汰しております。国王様」
「しばらく見ぬ内に大きく……なったな。そなたも息災であったか?」
国王の一瞬の間に、ニナがピクリと反応したのをフラウは見逃さなかった。
これがフラウであったなら容赦なくはり倒されていただろう。
「今回はドラゴン討伐に尽力したと聞いている。真に大儀であった。国民を代表して礼を言う」
「こ、国王様!」
国王は玉座から立ち上がると、ニナに対して頭を下げた。
隣にいるパトリクスがその行いを慌てて止めに入る。
「国王様! 一国の王が、むやみに民に対して頭を下げるなどおよしください。そんなことが知れ渡ればあなた様の権威が失墜してしまします」
「……分かった。今の行いはここだけの話にしておいてくれ」
「分かりました」
ニナは国王の言葉に静かに頷いた。
国王が再び玉座に座り直した。
「パトリクス。この者たちと少し話がしたい。席を外してくれるか」
「ですが」
「ルーシェが連れてきた者たちだ。それに、この国の恩人でもある。恩を仇で返す真似はしたくない」
その国王の迫力に、パトリクスは渋々頷くと、フラウたちを軽く一瞥し部屋から出て行った。
パトリクスが完全にいなくなったのを確認し、国王は盛大に溜息を吐いた。
「はぁ~。まったく、パトリクスがいると堅苦しくていかんな。ルーシェ。チェリス。先ほどはきつい物言いをして済まなかった。あやつがいる手前、ああでも言っておかなければ収集がつかんのだ」
突然の砕けた態度に、フラウは目を丸くした。
先ほどまでの荘厳な印象から一転、何とも話しやすい感じのダンディなおじさんに早変わりだ。
ルーシェやチェリスは当然だろうが、ニナも国王がそういう人間だと知っていたのだろう。大した驚きは見せていなかった。
「とは言え、実際問題チェリスに何のお咎めも無しというわけにもいかん。そんなことをすれば、逆にチェリスの立場が悪くなる可能性もあるからな。どんな形であれ、何かしらの罰は受けてもらうぞ」
「分かっております」
「うむ。ニナもよくやってくれた。改めて礼を言わせてくれ」
再び玉座を立つと、ニナに向かって深々と頭を下げた。
今度は止めるものがいないので誰に憚られる事もない。
続けてフラウに対しても同じように頭を下げる。
「いくらさっきの堅苦しいのがいなくなったからって、王様がそんなにほいほい頭を下げていいの?」
「はは。王に対してその口の利き方、中々豪胆な娘だな。なに、構わないさ。頭を下げた所で失う威厳などない。その程度でなくなるほど、私への民の信頼は薄いものだとは思っていないのでな」
成程流石一国の王と思わせる態度だ。どうやら権力に胡坐をかいているわけではないようだ。
フラウは目の前の人物にかなり好印象を持った。
「そなたがフラウ・リーゼンベルグだな。旅の道中も、娘が世話になったようだ。礼を言う」
「まあ一応魔導士だし。それも仕事の内よ。所で、私の名前とかルーシェを世話したってこととかどうやって知ったの? ルーシェはそんなこと知らせていないと思うんだけど」
フラウの言葉に国王は含み笑いを見せた。顎をさすりながら得意げに答えた。
「少し情報収集が得意な知り合いがいてな。その物からお主がルーシェを救ったことや、ドラゴンを討伐したことなどを聞いたのだ」
「ふーん。情報収集が得意な……ね」
怪しげな目つきでフラウは国王を見た。
国王はフラウのその反応を興味深げに見ていた。
「まあその話は置いておいてくれ。あまり詳しく話せるものでもないのでな。所でフラウよ。そなたに何か褒美をと考えておるのだが」
「え、何かご褒美くれるの!?」
フラウは目を¥マークにして前のめりに反応する。
あからさまなその態度にニナ達は呆れ顔だった。
「ドラゴンの襲来はこの国の一大事であった。それを一人の人命も失う事なく解決できたのは、偏にそなたらの力があってこそのものだ。ともすれば国が滅んでいたかもしれんからな。そんな国の恩人に、何もしないわけにはいくまい。欲しいものがあれば何でも言ってくれ。用意できるものであれば、それを褒美としよう」
「マジで!? わぉ。国王太っ腹! じゃあ何個かあるんだけどいい?」
「ああ構わぬ。申してみよ」
「フラウ。少しは遠慮しなさいよ……」
ニナはフラウの現金な態度に顔を歪ませていた。
国王を前にして遠慮のかけらもない態度に、最早呆れを通り越して尊敬さえ感じていた。
「ならラウルホーゼンの復興の為に資金援助をお願いできないかしら。ルーシェから災害復興の援助金が出るって聞いたんだけど」
「なるほど。わかった。その件は話を通しておこう。他には何かあるか?」
「うーん。そうねぇ」
「あんた、何個もお願いあったんじゃないの?」
「あはは。ちょっと余計に言い過ぎた」
「多めって、一個しかないのにどれだけ欲張るつもりだったのよ……」
ニナは腕を組みながらフラウをジト目で見る。
フラウは目を泳がせながら笑っていた。
「ははは。君は面白いな。お願いをきくついでに、こちらからも一つ、君に頼みたいことがあるのだが」
「ん? 何?」
「君はこの国の魔導士になってみる気はないか?」
国王のその言葉にニナは思わず声を上げそうになった。
寸での所で飲み込むが、しかしその表情は驚きを隠せない。
ルーシェたちは国王の言葉がどういうことか分からないでいた。
「国の魔導士って……。私この国の魔導士だけど?」
「何で魔導士のあんたが分かってないのよ!」
ニナがフラウの肩を掴んで激しく前後にゆすった。
フラウは首をがくがくさせながらニナに揺さぶられるままになっていた。
「い、一体何なのよ。国の魔導士って、どういうことよー」
ニナはぴたりと動きを止め、キリッと顔を引き締めてフラウに指を突き付けた。
「いい? 国の魔導士ってのはね、国に仕える直属の魔導士ってこと。つまり国家魔導士よ。国家魔導士には多くの権利が与えられていて、様々な優遇措置が取られているわ。無条件で王都への居住権がもらえたり、望めば貴族の位だって与えられる。それに、禁書や古文書なんかも自由に閲覧できるし、研究費や給金も貰えるの。まさに至れり尽くせりよ。その代わり、有事の際は国防に努めなきゃならないけどね」
「概ねニナの申した通りだ。国家魔導士になれば大抵の事は許されるといっても過言ではない。ドラゴンを倒すほどの力、ぜひ国の役に立ててもらいたいのだ。それに、そなたの目標は七賢人になり研究に没頭する事だそうだな。ならばそれを叶えるにも、国家魔導士という地位は非常に有益だと思うぞ」
「そこまで知ってるのね……」
国王は真剣なまなざしをフラウに向けていた。
それほどにフラウの力が必要と言ってくれているのだ。魔導士として必要とされることは非常にありがたいことだ。
国王にも筒抜けだが、そもそもフラウの目標は七賢人になって遊んで暮らすことだ。それを実現できるのであれば、この申し出を断る理由はない。
地位と名誉を手にでき、その上金もついてくる。ニナの言った通り、至れり尽くせりだ。
フラウはその言葉に少しの間逡巡するが、直ぐに答えを口にした。
「ありがたい話だけどやめとくわ」
「え? フラウ、七賢人になるのが夢だったんじゃないの? 国家魔導士なら七賢人じゃなくてもそれ以上に条件はいいと思うけど」
「うん。確かにそうかもしれない。でも意外と今の生活も気に入ってるのよね。ラウルホーゼンの村興しをして、色んな人とかかわって、どんどん発展していく村を見て。初めは毛嫌いしてた田舎だったけど、今になってみればほんと子供みたいな感じよ。だからまだまだ村が育っていくのを、一番近くで見ていたいの」
そう言ったフラウの顔はとても穏やかで、ニナはそんなフラウを見るのは初めてだった。
だからこそその言葉に嘘偽りがないと信じることができたのかもしれない。
国王もニナの反応から、フラウは決して首を縦に振らないということを感じ取っていた。
「どうやら君の決心は揺らがないようだ。わかった。私も無理に君を国家魔導士にしようと思っているわけではない。もし君の言う子供が育って、その時少しでも気持ちが残っているのなら、また私の所に来たまえ。いつでも君を歓迎しよう」
「ええ。その時はそうさせてもらうわ」
フラウと国王は固く握手をした。暫くの間そのままで、やがてお互いの手を離す。
ニナ達もその様子を笑顔で眺めていた。
「あ、そういえば、もう一つお願いがあったわ」
「なんだね? 聞ける内容なら聞こうではないか」
「ありがと。えっと、もう一つのお願いは――――」