お姫様のはじめての冒険2
更新に予定より時間がかかってしまいました。自転車操業はダメですね。。。一応あと数話で想定してる一部が終了です。そこまではバーッと行けたらいいな。取り合えず、読んで頂けると喜ぶので、お暇ならどうぞよろしくお願いします。
「フラウ様。先ほどは本当に助かりました。主に代わってお礼を申し上げます」
「別に気にしちゃいないわよ。困ったときはお互いさまってね」
フラウとチェリスは宿の食堂にいた。テーブルを挟んで遅めの食事をとっている。
時刻は夜半過ぎ。日を跨いでさほど経っていない。
ルーシェは宿に到着するまでに眠ってしまった。慣れない旅の疲れと、今回の件の心労もあっただろう。
もう一人の少年は、同じく宿に到着する前に眠ってしまったので、同じ宿で別の部屋をとって休んでいる。
宿はあらかじめチェリスが予約していたので、意外にもすんなりと他二名を受け入れてくれた。
勿論、王族が来るなどとは言っていない。あくまでこれはお忍びの旅行であり、一般の人間に知られるわけにはいかないのだ。
それはフラウに対しても同様であった。
「それにしても不用心よね」
「不用心、とは?」
チェリスがフラウに言葉を返す。
フラウは半ば呆れ気味に答えた。
「さっきの馬車よ。そもそもあなた達、そんな恰好で旅をしてる時点で狙ってくださいって言ってるようなものよ」
フラウがチェリスの服装を指して言った。
チェリスはいつもと変わらない黒の礼服に身を包んでいる。ルーシェもお忍びということで、あまり豪華な服は選ばず、比較的地味な衣装を選んだつもりだ。
「それが間違ってるのよ。自分では地味だと思ってるんでしょうけど、それだけ綺麗な服装してたらイヤでも貴族様だって分かるわよ。もう一人の娘もあなたよりよっぽど豪華な服装だし」
「そうでしたか。持っている服の中で一番地味なものだったのですが……」
「まあ別にいいわよ。あなたすごく強いもの。油断しなければ今回の相手だって問題にならなかったでしょ?」
「自分を褒めるつもりはありませんが、あの程度の輩であれば問題はないかと」
チェリスは素直な感想を述べた。フラウは何度も頷いて自分の言葉を確認していた。
確かに今回の賊はチェリスの腕をもってすれば、叩き潰すのは造作もない相手だった。
実際ルーシェを人質に取られるまでは、賊はチェリスの動きに反応すらできていなかったのだ。
しかしたった一つの油断が致命的な結果を招いてしまった。
いくら実力があろうとも、自らどうしようもない状況を生み出してしまったのだ。
自分の実力を認めてもらえたことは嬉しかったが、それ以上にフラウの言葉は胸に痛かった。
「本当に、今回はお礼のしようも……」
「もうお礼はいいわよ。ご飯も御馳走になってるしね」
そう言って、フラウは目の前の皿から肉を一切れ、口へと運んだ。
「それに私はこれでも魔導士だから、人助けはその一環と思ってくれたらいいわ」
「フラウ様がそこまで言うのであれば、お言葉に甘えさせていただきます」
チェリスは頭を下げた。
フラウは満足げに微笑むと、また料理を口に運んだ。
すると二人の背後から階段が軋む音が聞こえてきた。二人はそちらに目をやった。
「チェリス……」
「ルーシェ様。起きられたのですか?」
チェリスはルーシェの元へ駆け寄った。
寝起きのルーシェが転ばないよう気を付けながら席まで誘導する。
ルーシェが椅子に腰かけると、遅れてチェリスも自分の席に座った。
フラウが新しく淹れたお茶をルーシェに差し出す。
「ありがとうございます。フラウ様。私、馬車で寝てしまったんですね」
「気持ちよさそうに眠ってたわよ」
「それは……お恥ずかしいです」
ルーシェはその言葉に頬を赤らめた。
チェリスも滅多に見れないルーシェの反応に笑みをこぼす。
「あなたたち、ラウルホーゼンに行くの?」
フラウはいきなりそんな事を聞いてきた。
一応馬車に乗った際、あの偽商人とそんな会話をしていたのだが、フラウは寝てたので聞いていなかったらしい。
ルーシェがフラウの質問に答えた。
「はい。私がラウルホーゼンヘ行きたいと、チェリスにお願いしたのです」
「そう。私もラウルホーゼン出身だから、うちの村に来てくれるなら大歓迎よ」
「まぁ。フラウ様はラウルホーゼンのご出身で?」
『まぁね』とフラウは自慢げに笑った。
ルーシェも釣られて笑顔になった。
「よかったらこれ、食べてみて」
そう言ってフラウが差し出したのは、まぎれもなく王都でルーシェが食べたパンだった。
見た目は普通のパンだが、香ってくるのはあの時食べたパンの匂いである。
ルーシェは驚いてフラウに聞いた。
「これはラウルホーゼンで売られているパンでは?」
「へー。うちのパンのこと知ってくれてるんだ。そりゃ作戦成功ね」
「作戦?」
「ああ、こっちの話。既に知ってるみたいだけど、このパン、ついこの間まで王都で売ってたのよ。私はその店の売り子をやってたってわけ」
「ええ!? フラウ様が、噂の給仕服を着た売り子さんだったんですか?」
フラウは頭に手を当てて照れ笑いをした。
給仕服を着てたのは本当のようだが、どうやらその格好に気恥ずかしさがあったらしい。
「まあ今もその格好のままだけどね。で、パンを売ってた他の皆は先に帰って、私だけ別の用事で王都に残ってたのよ。丁度帰る時にこんなことになっちゃって、正直驚いてるんだけどね。このパンはその職人が私のおやつ代わりに置いてってくれたものなのよ」
「そんな。フラウ様の為にその方が作ってくれたもの、頂くわけにはいきません」
「いいのいいの。馬車で寝ちゃってから、何も食べてないでしょ? もう料理もあらかた食べちゃったし、店はもう大人の時間みたいだからね」
フラウは自分の背後にある食堂のカウンターを指さした。
カウンターには色とりどりの酒瓶が並んでおり、その内側では店主と思しき者がグラスを磨いている。
時間も時間なので、既に料理の注文は締め切ってしまったようだ。注文しても酒かつまみぐらいしか出てこないだろう。
ルーシェはそれでも遠慮しようとしたが、自分の意志に反してお腹が小さく声を上げた。
その声にルーシェは耳まで真っ赤になった。
「あはは。あなたのお腹は正直みたいね。私はいつでも食べられるから、このパンはルーシェが食べてちょうだい。意外とイケるのよ?」
「存じ上げています。王都で一度頂きましたので。それでは、お言葉に甘えさせて頂きますね」
「ええ。きっとその方がこれ作ったやつも喜ぶから。遠慮しないで食べちゃって」
ルーシェはフラウからパンを受け取ると、小さな口で食べ始めた。
フラウとチェリスは茶を飲みながら、お互いの話を口にする。ルーシェもその話に聞き耳を立て、時折二人の会話に質問を挟む。
そうして夜は過ぎていった。
「ふぁぁ」
フラウは大きく欠伸をしながら馬車を転がしていた。
客車ではチェリスが、ルーシェを膝枕しながら頭を撫でていた。
フラウの隣では少年が、外套を羽織りながら足をぶらぶらしている。
少年の名はキノといった。ラウルホーゼンで職探しをしに馬車に乗ったらしい。
最初の宿を出て二日、途中数度の休憩を挟みながら、一行はラウルホーゼンを目指していた。
一時間ほど前にベルファーゲンを過ぎたので、もう少しすれば着く予定だ。
馬車はチェリスと交代で運転し、今はフラウが運転している。
「キノはラウルホーゼンに着いたら何の仕事するつもり?」
隣にいるキノに向けてフラウが聞く。
キノはあっけらかんとした表情で答えた。
「まだ決めてない」
「そ。じゃああんたの特技って何か教えてくれない? そしたら私が仕事紹介して上げれるかもしれないし」
「んー」
そのままキノは暫く考え込むが、答えは返ってこなかった。
キノはまだ十二歳らしく、王都で貧しい生活を送っていた。
親が死んで親戚に引き取られたが、そこではあまりいい扱いを受けなかったらしく、家を追い出され路頭に迷っていたそうだ。
そんな時、ラウルホーゼンで様々な人を受け入れているという噂を聞きつけ、働き口を探すために馬車に乗り込んだところ、今回の事件に巻き込まれたわけである。
自分一人の力で生きていくには聊か若すぎる年齢ということもあり、自分自身、何ができるかまだ分からないのだろう。
キノをどうするか考えを廻らせたが、フラウもどんな仕事が余っているかわからないので、とりあえず村についてから検討することにした。
そうこうするうちに、前方にラウルホーゼンの入り口が見えてくる。
フラウは入り口に設えられた停留所に馬車を止めると車内の二人に声をかけた。
チェリスはルーシェを起こすと客車から降りてくる。
「フラウ様。もう着いたのですか?」
ルーシェが目をこすりながら聞いてきた。
フラウは同意し、村の看板を示した。
「ようこそ。ラウルホーゼンヘ!」
ルーシェとチェリスは村の名前を確認し、長い旅路を思って安堵の溜息を吐いた。
そしてここまで案内してくれたフラウに礼を述べる。
「本当にありがとうございました。フラウ様がいなければ、ラウルホーゼンへ来ることはできなかったかもしれません」
「いいのよ。村興しは私の仕事の一つだからね。精々この村を楽しんで、王都で目一杯喧伝してちょうだい」
「はい」
ルーシェは笑顔で頷いた。
チェリスも深々と頭を下げる。
「じゃあ私は行くわね。この子の面倒も見ないといけないし」
そう言ってフラウはキノの頭を撫でた。
キノは鬱陶しそうに逃げようとするが、フラウの手に無理やり押さえつけられているようだ。
「そうですか。ではここでお別れですね」
「そうね。まあ私は村のどっかにはいるから、見かけたら声をかけてちょうだい」
「勿論です。またお会いできるのを楽しみにしていますね」
「こちらこそ。小さい村だからすぐ見るものがなくなるかもしれないけど、パンと向こうの丘からの眺めがおすすめよ。よかったら見てみて」
フラウは笑顔で手を振るとそのまま村の中へと入っていった。
やがて雑踏の向こうに姿を消した。
「では私たちも行きましょうか」
「はい。ルーシェ様」
二人は村の中へと足を踏み入れた。
中央に道がまっすぐ伸びており、挟むようにして商店が左右に並んでいる。
村というだけあって、王都と比べると道は狭いが、その賑わいは王都にも見劣りしない。
道中フラウから、ラウルホーゼンが村興しを始めて半年もたっていないと聞いていたが、その言葉が信じられなくらいの盛況ぶりだ。
商店も増えていると聞いていた通り、様々な雑貨屋が並んでいる。客はそのほとんどが旅人か商人のようだった。
そのうちの一つ、あまり人が並んでいない店を覗いてみる。
ショウウィンドウ越しに手作りの陶製の人形が並んだ、オシャレな店だった。
「ルーシェ様。入ってみますか?」
ルーシェはぱぁっと表情を明るくすると、大きく頷いた。
こういう子供っぽいところが国民に好かれる理由かもしれない。
ルーシェは店の扉を開けて中に入っていく。チェリスは微笑ましく思いその後を追った。
店の中は薄い暖色で照らされており、カウンターには若い女性が頬杖をついている。
店内に女性しかいないところを見ると、往来は多くてもあまり客足は良くないのかもしれない。
「こんにちは」
「……ん? あ、お客様かな?」
じゅるっとヨダレをすする音が聞こえてくる。どうやら寝ていたようだ。よほど暇なのだろうか。
店主と思しき女はカウンター越しに二人を見ていた。客が来たことが嬉しかったのか、いやにニコニコしている。
なんとなく落ち着かない気持ちだったが、とりあえず店内を物色することにした
店内を見回すと、壁には棚がいくつも置かれ、一段ずつに色とりどりの人形が飾られている。こちらも全て陶製に見えたが、通りの窓際に置かれたものより少し落ち着いた印象だ。
ルーシェは手近な棚まで近づくと、その中の一つを手に取った。
手のひらに乗るくらいの小さな人形で、女の子と母親が仲良く手を繋いでるものだった。
「お嬢さんはその人形が気に入ったのかな?」
いつの間にかルーシェの背後に来ていた女性が、ルーシェの持つ人形を指して言った。
ルーシェは突然のことに反射的に頷いた。女性はその反応に笑顔を見せる。
「ありがとう。その人形はぼくが作ったものなんだよ。その人形に限らず、ここにあるのはみんなぼくが作ったんだ。気に入ってもらえて嬉しいよ」
「あなたが作られたんですか。凄いですね」
「すごかないよ。王都でお店をやってたときは全然だったからね」
「もともと王都で商売をされてたんですか?」
二人の会話を聞いていたチェリスが女性に質問する。
女性はチェリスに視線を移すと、眉根を寄せて情けない表情をした。
「そうなんだ。ただでさえ王都は家賃も高いし材料費もバカにならないだろう? でもここなら家賃がかなり安いし、何より材料が現地調達できるんだ! それに最近は人も増えてきてるって言うんで、思い切って移転してきたのさ」
「そうなんですか。それで、移転してきて調子はどうなんですか?」
女性はその言葉にがくりと肩を落とした。
その場に気まずい空気が流れる。しかし女性はすぐに明るい表情を取り戻した。
「まあそんなのは全然大したことじゃないけどね。今、村の人たちが村興し頑張ってるけど、この村が活性化して喜ぶのはぼく達商人も同じなんだ。だからぼく達も、出来るだけ村に来る人を増やせるよう協力しないと」
お互い持ちつ持たれつの関係でうまく回っているようだ。
加えて女性がポジティブということもあるのだろう。意気込み一杯に拳を握っていた。
「よかったらその人形あげるよ。折角のカワイイお客さんだから、特別サービス」
「え!? そんな、もらえないですよ!」
「そうか。ぼくの人形なんていらないってことか……」
「い、いえ。そうではなくてですね」
ルーシェは慌てて付け加えるが、女性には届かなかったようだ。困った顔でチェリスをみる。
そんなルーシェの表情も実に愛らしい。チェリスは今すぐにでも抱きしめたい衝動を抑えた。
気を取り直して一つ咳払い。
「ルーシェ様。折角のご厚意です。お受け取りになってはいかがでしょうか」
「ですが……」
「もしこれを受け取って、王都に戻ってからこのお店の事を宣伝すれば、このお店のためにもなります。何より、それで村への来訪者が増えれば村興しの助けにもなりますから、フラウ様への恩義も返せるのでは?」
ルーシェはその意見を聞いて目を輝かせた。
「それは名案ですね。巡り巡ってこの村の為になるのであれば、頂かないわけにはいきません。このお人形、ありがたく頂戴いたします」
「いやいや。ぼくの方こそ、何だか困らせちゃったみたいだね。でも喜んでもらえたようでよかったよ。大事にしてあげてね」
「ええ。ありがとうございました」
そうして二人は店を後にした。
店を出てからもルーシェは、その人形をしきりに眺めては嬉しそうにしている。
ただ結局店では何も買い物をしなかったので、少し申し訳ない気持ちだった。
「さて、ルーシェ様。次はどこに行かれますか?」
チェリスの声に気づいて振り返る。
人形はなくさないよう、持ってきたポシェットに大事にしまった。
「そうですね……」
ルーシェは人差し指を口元に当てて考え込んだ。
周囲にもルーシェの気を引きそうな店が何件か立ち並んでいる。どこを見て回ろうか迷っているのだろう。
すると不意に、ルーシェのお腹が小さく音を上げた。
「……そう言えば朝から何も食べてませんでしたね」
ルーシェは照れ笑いを浮かべて言った。
控えめな態度が可愛らしい。今日何度目かのストライクに、チェリスは興奮を何とか押しとどめる。
「それではまず腹ごしらえをしましょうか。どこに行くかは、それから考えましょう」
「それなら、私パンが食べたいです」
「パン……ですか。そうですね。そのために遥々ここまで来たわけですし」
そもそもの旅の目的。
それは王都で食べたパン。それを作った人物の、他の種類のパンも食べることだ。
一先ず次の目的地が決まったので、さっそく目的のパン屋を探すことにした。
フラウの言った通り、ラウルホーゼンはあまり広くない村だった。道行く人に話を聞くと、直ぐにパン屋がどこにあるか教えて貰えた。
聞いた通りの道を進み少しすると、問題のパン屋が見えてくる
扉を開けると取り付けられた鐘がカランカランと音を鳴らした。
「いらっしゃい」
中年の女性がカウンターから声をかけてくる。
店に入ると、まず目に飛び込んできたのは整然と棚に並べられた色とりどりのパンだった。様々な種類のパンが所狭しと並べられ、それぞれが食欲をそそる香ばしい匂いを放っている。
入り口にはパンを掴むための道具と篭が用意されていた。これを使って好きなパンを取るのだろう。
王都のパン屋ではこの店とは違い、大き目のバスケットの中に数種類のパンが入れられている。そのバスケットがいくつか並べられ、その中から客が好きなものを取っていく仕組みだ。
好きなパンを選べるのは王都もこの店も同じだが、何よりこの店はその種類が随分と多い。そしてそれが見える位置に陳列されていることで、目でも鼻でも楽しめるようになっていた。
ルーシェはその光景に感動し、端から順にパンを眺めていく。
不意に、その足が止まった。
後ろについていたチェリスも驚き止まる。
「ルーシェ様、どうされました?」
ルーシェの視線の先を、背中越しに見る。
「……あ」
そこにはフリルのついた衣装を纏った少女が椅子に座っていた。一見すると貴族の間で最近流行っている少女の人形の様だ。
しかし二人はその顔に見覚えがあった。見知った顔が、椅子に座り物静かに本を読んでいた。
「ニナ。こんなところで何をしているのですか?」
声をかけれれた人物が、少し間をおいて反応する。徐に顔を上げると、上目遣いになりながら前方の人影を確認した。
「…………」
ニナはパタンと本を閉じると椅子から腰を下ろした。そして扉の方へスタスタと向かって歩いていく。
「お待ちください」
「何すんのよチェリス!」
チェリスがニナの襟首をつかむとニナはジタバタと暴れだす。
しかし残念なことに、足が地面につかないため逃げようがなかった。ニナの奮闘むなしく、すぐに力尽きその動きを止めた。
ちょこんと床に降ろされる。
「どうして逃げるようとするんですか?」
「その前に質問。どうして二人がこんな所にいるの?」
「それはその……。旅行です」
てへっ! と可愛い仕草で舌をだす。ニナはげんなりした様子で溜息を吐いた。
「そもそもルーシェは、王都から出て来ちゃいけないはずじゃないの?」
「ええっと。チェリスが何とかしてくれるって」
ニナがチェリスの方を見ると、チェリスは気まずそうに眼をそらした。
ニナはちょいちょいとチェリスを手招きすると、店の隅っこへと連れていく。
頬が触れるほどの距離まで近づくと、小さな声で囁いた。
「あんたどういうつもり? ルーシェを連れ出して、タダじゃ済まないってわかってるわよね」
「もちろん分かっています。覚悟の上でここまで来たのですから」
「覚悟って……。下手したらあんた死罪よ? あの王様が許すと思ってるの?」
「…………」
チェリスはそれきり黙ってしまった。しかしその表情は落ち着いている。恐らくその時の覚悟もしているのだろう。
ニナは貴族で年齢が近いこともあって、二人とは旧知の間柄だ。だからこそ、チェリスがルーシェの事をどれだけ大切に思っているか知っていた。チェリスは気づいていないだろうが、その逆も然りだ。
「はぁ。あんたバカよね」
「ニナ様に言われたくはないですが」
「天才相手に何言ってんのよ。分かったわ。私もあんたの事擁護してあげるから」
「本当ですか!?」
「ええ。でも期待しないでよ。ただの貴族が、大した影響力なんて持ってないんだからね」
「分かりました。精々期待しておきます」
ニナは呆れ気味に笑みを見せた。
そのままチェリスと共にルーシェの元へ戻る。
「お話は終わったんですか?」
「ええ。ところで、ルーシェたちはこの店に何しに来たの?」
「そうでした。王都で食べたパンがおいしかったので、ここのパン屋さんに来たかったんです」
「なるほどね。フラウの計画は順調に進んでるようね」
「あら。ニナもフラウ様とお知り合いなんですか?」
ルーシェの言葉にニナは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「どうしてフラウのこと知ってるの?」
「道中盗賊の方たちに襲われた際、助けて頂いたんです」
ニナは非難がましくチェリスを見る。
言わんとしていることは分かったので、チェリスは何も言わなかった。
「認めたくないけどフラウに感謝しなくちゃね。一応友達を助けてもらったようだし。まあそれは置いといて、パンを食べるならおすすめの場所があるから、そこで一緒に食べましょ。村から少し離れた所の丘で、景色がいいのよ」
「フラウ様にもその場所おすすめされました。ぜひ行ってみたいです!」
そうと決まれば行動は早い。
三人は各々好みのパンを選び、カウンターに持っていった。
「ニナちゃんのお友達かい? これ、サービスしとくよ」
パンの包みと一緒にピンクの包みも渡される。ニナはそれを受け取った。
包みの中身はエーデリア特製のクッキーだ。最近のニナのお気に入りだった。
「エーデリアさん。ありがとうございます」
「いいのいいの。ニナちゃんにはいっぱいお世話になってるしね」
「ありがとうございます」
ニナはもう一度礼を言うと、ルーシェ達と一緒に店の外に出た。
後ろから鐘の音が聞こえてくる。
「ニナは先ほどの方とお知り合いなのですか?」
「ええ。さっきの人はエーデリアさん。パンを作ってるトノアってやつのお母さんなの。お菓子作りが得意でこのクッキーも絶品なのよ」
「すごいですね。すっかり村に溶け込んで」
「まあ色々あって、この村の復興を手伝ってるからね。一応村のみんなとは顔見知りだから」
「ふふ。何だかうらやましいです」
ルーシェの笑顔に、ニナも優しい笑みを浮かべた。
それを見てチェリスも、同じように微笑んだ。
『ごぁぁぁぁあぁぁぁあぁっぁぁぁあぁぁぁっぁあぁぁ!!!!!!』
突如空気を切り裂くような大音響が三人の耳に届く。
三人はとっさに両手で耳を覆った。
チェリスが周囲を見ると、誰もが同じように耳を塞いでいた。
どうやら幻聴ではないらしい。暫くすると、その音が小さくなる。
代わりに聞こえてきたのは羽音。それも虫のそれとは比べ物にならない、巨大な力が空気を叩きつけるような音だった。次いで地面に黒い影が伸びていく。
ニナはその可能性に至り、愕然とした。
恐る恐る、視線を上空へと向ける。
「うそ。どうしてこんな所に……」
目に飛び込んできたのは十メートルはゆうに超えるだろう、鱗に覆われた巨躯。羽ばたきに合わせて開かれる両翼は端から端までで体の倍以上もある。
睨むだけで軟な魔獣なら殺してしまいそうな獰猛な瞳。口からは息をするたび微かに炎が漏れていた。
災厄の象徴たるドラゴンの姿がそこにあった。