更新再開の目処は建たないがとりあえず追加
◇
……放課後。
「おーい上沼」
名前を呼ばれ、肩をビクッと震えさせる紗佐。恐る恐るといった感じで振り返ると、そこには狼がいた。彼が一体、紗佐に何の用だろうか?
「昨日辺りから天野が来てないみたいなんだが、何か知らないか?」
「……あ」
この声は、何かを知っていたからではなく、あかりの存在をたった今思い出したために漏れたのだ。しかし、狼にそれが分かるはずもなく、
「何か知ってるなら教えてくれ。一応、そういうのも把握しないといけないからな、役目柄」
結構真面目だな、などと思うのだが、しかし紗佐は首を横に振るだけだった。
「そうか。クラスだと、天野はお前くらいとしか口聞かないから、何か知ってるかと思ったが……。まあ、何かあったら教えてくれ」
そう言い残して、狼は教室から出て行った。
(私、天野さんのこと、すっかり忘れてた……)
残された紗佐は、孤高のクラスメイトの存在を忘却していたことに、罪悪感を覚えるのだった。
……その頃、あかりは。
「……」
夢を、見ていた。自分が夢の中にいると自覚している、俗に言う明晰夢という奴だ。
「知ってる? あの子の両親、兄妹なんだって」
「うそー? そんなことってあるのー?」
「あ、それ、私も聞いた」
あかりの視界、その端に映るのは、小学生くらいの女児数人。声を潜めて(いるつもりだろうが、はっきり聞こえている)、こそこそと話し込んでいる。
「有り得ないよねー、普通」
「普通じゃないよね」
別に、直接何かをされるわけではない。ただ、好奇の視線に晒されるだけ。声を掛けても、無視されるだけ。誰も話してくれないだけ。ただ、それだけのことが、少女を、あかりを苦しめる。
(もう、思い出したくもないのに……)
これはあかりの、幼い日の記憶。奇異の目で見られ、異質な存在として扱われ、ただ除け者にされ続けた、過去を見ているに過ぎない。
(何で、今頃……?)
自問するが、その答えは既に出ている。
(ああ、そうか……)
この頃だったか、彼女が男を嫌うようになったのは。嫌悪感を覚えだしたのは。最初は父親だった。自分を、こんな境遇に産み落とすこととなった元凶。こいつが妹に手を出したから、こうなったのか、と。それが、弟や、赤の他人にも広がった。そして、そんな男たちを受け入れる女も許せなくなっていた。男は穢れ、それを受け入れた女も穢れ。いつしかその考えが、あかりの頭を埋め尽くしていた。
(上沼さんのあれ、そんなに堪えたのかな……)
見るからに男子が苦手そうな同級生、上沼紗佐。内気でか弱そうな彼女は、自分と気が合いそうだと思っていた。だから、彼女からの声には返答をしていたのに……彼女も、同類だった。穢れきった、醜い人間の、一人だった、と。つい先日、思い知ったのだ。
(別に、親しかったわけでもないのに……)
ただ顔を合わせ、声を交わす。ただそれだけの相手なのに、そんな失望をしてしまうのは、余程自分が人との関わりに飢えているからか。だが、自分は嫌いだ。穢れた人たちが、みんな。
(まあ、まともに話さなくて良かった)
中途半端に親しくしていたら、その分深く傷ついただろう。相手にも不快な思いをさせたかもしれない。だが、たかがその程度の付き合いだ。別にこっちが勝手に縁を切ったって、向こうは気にも留めないだろう。―――しかし。
(だけど、何なんだろう……?)
それが、堪らなく辛いのは、何故なのか……?
そんな暗い気持ちのまま、あかりは目を覚ました。
「……」
あかりは無言で起き上がり、ぼさぼさになった髪を掻いた。そして、そっと溜息を吐く。
「……お腹、空いた」
思えば、丸二日ほど何も口にしていない。仮病を使って学校を休み、食欲がないと言って食事も取っていない。ずっと寝ていたとはいえ、さすがに腹が減るはずだ。
「ほーら、お粥だよ」
「……!?」
かと思えば、突然声がした。それに気づいたときには、あかりの祖父が彼女の部屋に入って来ていた。
「丁度いいタイミングだったね。さ、お食べ」
「……何しに来たの?」
あかりは、恨めしそうに祖父を見上げる。対して祖父は何でもなさそうに、
「ん? お粥デリバリー」
そう答えて、レンゲでお粥を掬う。
「ほら、あーん」
「……する訳、ないでしょ」
「でも、食事もまともに取れないくらい弱ってたんでしょ? 無理しなくていいから」
ええ、弱ってましたとも。体ではなく、心がだけど。
「ほら、あーん」
もう一度同じ台詞を言われ、あかりは渋々口を開いて、食べさせてもらう。……これがもう少ししたら、立場が逆になるんじゃないだろうか。
「どう?」
「……おいしい」
そう答えると、祖父が(笑顔で)更に勧めて来るので、それを丁重に断るあかり。しかし結局、用意されていたお粥がなくなるまで、『あーんの刑』を甘んじて受けることとなったのだった。
そして、お粥を完食した頃。
「……ごちそうさま」
「お粗末さま」
あかりは顔を真っ赤にして、目元が隠れるくらい深く布団を被った。恥ずかしいのだろうか?
しかし、少し経つと落ち着いたのか、顔だけ出して、こう言った。
「……ねえ、私って、変?」
「さあね」
しかし、問いかけられた祖父は、曖昧に答えた。
「生憎と、世界で一番変わり者の子供を二人も持ったから、他はみんな普通に見えるんだ」
「……そう」
祖父の回答に満足出来なかったのか、あかりはやや不満げな様子。すると祖父は、それを見て、問い返してきた。
「あかりは、自分が変だと思うのかい?」
「……分からない」
少し考えた後、首を振りながらそう答える。すると祖父は、更に問いを重ねた。
「まだ、気にしてるのかい?」
「……」
しかし、あかりの返答はない。……何故なら、彼女はもう既に、眠りに落ちていたからだ。
「まだ寝るんだ……。まあ、寝る子は育つって言うしね」
出来れば、その心に巣食うものを、夢の中に置いてきて欲しいと思う祖父であった。