え、何でこの人なの……?
……同日の放課後、校内の廊下にて。
「……ふぅ」
本日の業務を終わらせ、帰り支度を済ませる戸沢。溜息を吐きつつ、教室を出る。
「まったく……」
何故こうも、毎日下らないことばかりなのだろうか。と言う言葉は、どうにか口に出さずに済んだ。今日は愉快なクラスメイトがとても楽しそうにしていて、実に充実していた。あれ? どこかおかしい気がする。
そのままブツブツと呟きながら、廊下を進んでいく戸沢。どうやら周りが見えてないっぽい。そんな危なっかしい歩き方してたら、何かにぶつかるぞ。
「きゃっ……!」
「おっと……」
そら、言わんこっちゃない。曲がり角で女子生徒と正面衝突してしまったではないか。
「痛っ……」
戸沢の眼前にいる女子生徒は、スカートの上から尻を摩っている。尻餅でもついたのだろうか。
「あっ……、ご、ごめんなさいっ!」
そして戸沢に気づき、勢いよく頭を下げる。対して戸沢は軽く鼻を鳴らすと、制服を手で払った。
「余所見はくれぐれも止してくれ。迷惑だ」
自分の行いを棚に上げて、よく言えたものだ。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
女子生徒は未だに謝り続けているが、戸沢は興味をなくしたようで、彼女を放って昇降口へと歩いていく。
「ごめんなさ……あれ?」
彼の姿が見えなくなった頃、女子生徒はようやく戸沢がいなくなっていることに気づいた。
「あぅ……」
しょんぼりと肩を落とし、立ち上がろうとする。その時、彼女の目に四角い物体が映った。
「あれ……? これって……」
それは、この学校で用いられる生徒手帳だった。生徒の個人情報が記録されている。
「さっきの人が、落としたのかな……?」
少女はそれを拾い上げ、持ち主の名前を確認するため、一ページ目を開いた。
「戸沢、背理夫……」
そこには戸沢の名前、所属クラス、顔写真などが載っていた。
「……か」
か?
「か、」
か?
「かっこいい~!」
……戸沢が、だろうか? 彼は見た目の特徴が眼鏡だけで、身に纏う雰囲気は高飛車な優等生といった感じなのだが……。まあ、写真で雰囲気までは分からないだろうが。
「あ、でも、これ拾ったんなら……、また、会える、よね?」
確かに、クラスも書いてあるから、落とし主に届ける名目で会いにいけるだろうが。
「……よし」
何故そこでガッツポーズ?
……翌朝。
「「狼くーん!」」
「いい加減にしろや!」
例の如く、両サイドからWタックルを喰らう狼。もう、この光景も見慣れてきたな。
「とっとと放せ!」
「きゃっ!」
「やんっ!」
二人を跳ね除け、席に着く狼。
「んもう、恥ずかしがり屋なんだからっ」
「でも、そんなダーリンも可愛いよっ」
「鬱陶しい!」
なおも擦り寄ってくる二人に一喝し、軽く溜め息。
「……何やってるの?」
するとそこへ、昨日の少女がやって来た。狼たちを見て、複雑な表情をしている。
「あれ、さみ?」
「あれ、じゃないよ」
そう言えばあの子、顔立ちがほのじと似ている気が……。
「誰なのこの子?」
「ああ。ほのじの双子の妹で、さみだ」
双子だったのか。確かに似ているが、瓜二つと言うほどでもないので、二卵性なのだろう。
「ひょっとして、また狼君に迷惑掛けてるの?」
「掛けてないよ」
「掛かってる。とっても迷惑だ」
まあ、否定してもそうなるわな。
「だって」
「うぅ……」
さすがのほのじも、妹には弱いらしい。
「ほら、狼君に迷惑掛けないの」
「は~い……」
妹命令に、とぼとぼと肩を落として去っていくほのじ。その姿が、なんだか哀れに見えてしまう。
「で、お前は何しに来たんだ?」
「あっ、そうだった」
彼女は彼女で、当初の目的を忘れていたようだ。
「戸沢背理夫さんって、このクラスだよね?」
その名前に、狼は一瞬だけ顔を顰めた。
「……そうだが」
「どこにいるか、分かるかな?」
「休み時間は図書室にいるか、先生に仕事を頼まれてるかのどっちかだと思うが、今はまだ来てないかもな。……あいつに何か用か?」
「よ、用ってほどじゃ、ないんだけど……」
俯いて、両手の人差し指をつんつんするさみ。
「急用なら携帯で呼び出してもいいが、そうでないなら放課後に来ればいい。今日はちゃんと残る日だからな」
「うん、分かった」
そう言って、さみは自分の教室へ帰っていった。
◇
……放課後。
「……失礼します」
さみが遠慮がちに、狼たちの教室に入ってきた。
「おう、待ち人はちゃんと来てるぜ」
狼は、戸沢を親指で示しながらさみを出迎えた。
「いきなり何なんだい? 人を指差さないでくれ」
対して戸沢は、不満そうに声を上げた。
「んなこと、どうでもいいから。で、こいつに何の用なんだ?」
「あ、うん……これなんだけど」
さみは懐から、生徒手帳を取り出す。
「これがどうした?」
「えっと、昨日、戸沢さんが落としていったの」
「なるほど。態々拾って届けようとして、だけど本人がいないから待ってたのか?」
「う、うん……」
「そのくらい、俺らに預けてくれればちゃんと渡したのに」
「いやでも、こういうのはちゃんと本人に渡さないと……」
私情が混じっていたことは、言わないのが優しさだろうか。
「まあ、そこのロクデナシに預けなかったのには感謝するよ」
そう言うなり、戸沢はさみの手から手帳をひったくった。
「「……」」
そんな彼を、他の面々が呆然と眺めている。
「な、何だい?」
「いや、戸沢が礼を言っていると思ってな」
「うん。戸沢が礼を言うなんて、明日は絶対雨ね」
「いや、逆に今日で梅雨明けして一年間晴れ続けそうなくらいだよ」
酷い言われようだ。
「失礼な。僕だってちゃんと礼くらい言う」
「「初めて知った」」
異口同音を体現するかのように、皆口を揃えて言う。そんな様子に、戸沢は心底不満らしい。
「で、何で君まで呆けているんだい?」
「えっ……?」
見れば、さみまでぼんやりしていた。ただし、彼女の場合は他の者達と少し違っていて―――
(はわわっ! お礼言われて、その上話しかけられちゃったよぉ~!)
内心とても慌てていた。頬はどんどん赤く染まり、恥ずかしさに耐えられず俯いてしまう。
「とにかく、手帳を態々届けてくれたのには礼を言う。もう帰ってくれても構わないよ」
「し、失礼しますっ……!」
くるりと体の向きを変え、逃げるように教室を飛び出すさみ。戸沢はさっさと出て行って欲しかっただけなのだが……意思の疎通が出来ていない模様。
「……あいつ、大丈夫だろうか?」
そんな彼女を見て、狼は呟く。それは、彼女の真意を察してのことなのだろうか?
ともかく、さみの勘違いはまだ続きそうだ。