KeMaRi
どうも緋澄灼煌です。
本作品は高校生の僕が、副部長を務めて所属している文芸創作部に寄稿したものの原文です。
由緒正しき文芸創作部における、物書きのまね事をしている問題児の輩です。
そんな僕ですが、目を通してくださると幸いです。
願わくば感想もいただければと、思う次第です。
執筆活動はこれからも続けて行こうと存じておりますので、末永くよろしくお願いして頂きたい。
瞳は他人を映す鏡である。
決して自分を映せない。
雨が降っていた。静かに降っていた。
一人の少女が何をするわけでもなく、ただ立ち尽くしていた。
閑散とした、悲しい公園で。
沈黙していた。少女を纏っていた。
沈黙が少女にまとわりついていた。
彼女の前髪から滴る雨。全身を濡らす雨。
その一切を、少女は気に掛ける様子を見せない。
もしかしたら、見えないのかもしれない。
少女は自分を侵食していくものに、気付いていないのかもしれない。
それは愚か、この降り乱れる雨さえ、彼女の瞳には映らないのかもしれない。
「キミは本当に、それで良いの?」
別にこれと言ってやり残したことはない。
少女は静かに頷く。
彼女にとっては、退屈な日々だった。
来る日も来る日も、ただ見るだけ。
今のように何をするわけでもなく、永遠と見続けるだけ。
彼女は、傍観者だったから。
いや、違う。
彼女に与えたれた役目からすると、干渉は出来ないから。
だから少女は長きに渡ってここに立ち、物言わぬものとしてこの世界を見守り続けて来た。
「未練はないの?」
『声』はもう一度問い掛ける。
少女はすでに答えるのをやめていた。
少女が世界を見守って来たように、少女が芽を出したその時から、『声』は少女を見守っていた。
本当に長い間世話になった。
「常しえにも思えるキミの役目も果たされ、天命が終わりを告げる。
だと言うのに、キミは変わることなく、あり続けた。
なぜキミは自分の生きた証を残そうとはしない?」
答えは決まっていた問いかけ。
人は愚かだから。あまりにも愚かだから。
少女は生まれてから長い間それを一方的に見せられ続けて来た。
「だからここで潰えると。本当にそれで良いの?」
しつこい。いい加減に呆れる少女。
醜い。どう取り繕うが、その心は欲望に塗れている。
そういうものだから、人間は。
少女の想いに『声』は悲しそうに笑った。
「良いものだと思うんだけどねぇ、人間も」
それを最後に、少女の視界はゆっくりと閉ざされた。どこからか風が吹いていた。頬を撫で、聞こえる音。
だが、光はない。そこにあるのは闇?
いや、違う。少女は悟る。
これは一体なんの真似だと『声』に問う。
だが『声』は答えない。正確には『声』が聞こえない。
代わりに光が闇を塗り潰し、景色が広がった。
少女の視界に飛び込む、己の姿。
立派に成長し、枝葉を空へと広げている。
その姿につかの間見惚れたように見上げるも、少女は自分の躯へと触れる。
こんな事を望んだ事など一度もない。
だというのに少女は今、雑踏の中にいた。
人気はないけれど、それでも少女にとっては雑踏だった。
その身に纏った淡い桜柄の白い着物。
またこれかと少女は呆れる。
もう人間と関わることはやめた少女にとって、この姿は意味をなさない。
しばらくそうこうしていたが、『声』は反応を示さない。
拉致が明かないと少女は悟り、腰掛けて小さく溜息を吐く。
「どうしたの?」
『声』とは違う声がした。その声を見上げる。
そこにいたのは当然ながら人間。
ここは人間の領域だから当たり前のこと。
「迷子、かな? って本人に聞いても意味ないか」
人間が何かを言っている。
でもその言葉は少女には届かない。
届くはずもない。少女は人間を拒絶しているのだから。
少女はすがるように自からの体を見上げる。
その視線を人間も追った。
人間の瞳に映った、少女の体。
「ここが好きなの?」
人間が何かを言っている。好きも嫌いもあるものか。
自分の躯がここにあるから、少女はここにいる。
それは途方もない、ひどく永い時を、少女はここに立っていた。
だがもちろんそんな事を人間が解るわけがない。
理解して欲しいとも思っていない。
「僕はここ好きだよ」
唐突にそんな事を言われても困る。
一体何故か。少なからず気になってしまった。
そうなるといくら長生きしていようが、好奇心には変わりない。
「なんでって聞かれると少し困るけど…」ならば言わなければよいのに、と少女は思う。
人間とは不思議なものだと、人間をさらに理解し難くなる。
「友達でも待っているのかな?」
人間は少女の表情を気に掛けることなく続ける。
彼は一体何がしたいのだろうか。
少女は待っている? 自分は待っているのだろうか。
いいや、違うなと少女は首を振る。
少女は待たされているのだから。
「大丈夫?」
人間に心配させる筋合いはない。
多少腹立たしいものの、相手は人間であるのだから仕方がない。
少女が潔く諦めて、人間を見つめた。
「具合が悪いってわけじゃなさそうだね、良かった」
もうじきこの世界から去るというのに、この人間は何を言い出す?
所詮は人間。自分の中の固定観念でしか世界と触れ合えない。
本当に悲しい、愚かしいことだ。そして人間は未だにそれを気付けていない。
救い様がない。
「ここさ、よく世話になったんだよね」
人間がさらになにかを続ける。いいかげん少女は聞き飽きた。
しかしそんな意図が人間に伝わるはずがない。
「小さい頃よくこの下で遊んでさ。その時一緒に遊んだ子がいてさ…」
人間の言葉など聞く価値もない。
だがしかし、その言葉に少女は息を飲んでしまう。
「学校終わって、ここに来て、広域放送で『よい子は帰りましょう』って言われるまで遊んで。
知っているよ。
少女の口が開かれる。でもその口から声は発せない。
少女はそのように作られていない。それでも伝えたい。
お前のことを、私は知っている。そう伝えたい。
「でもさ、ある日を境にその子いなくなっちゃってさ...。
多分きっと...いや、僕のせいなんだよ」
違う。少女は否定するも、意思が伝わらない。
少女は人間を拒絶する中で、もう彼らと心を通わせなくなってしまったのだから。
それは自分で選んだ道。自分で齎した結果。
「あの子にひどいことしちゃったから。
だからあの子は傷付いちゃったんだと思う」
あの日。少女にとってはつい最近の出来事だが、おそらく人間にとってはとても永い。
あの日少女は世界を拒絶した。
だがそれはあの日の少年のせいではない。
少女は絶望に染まっていて。
ついにその身体から溢れ出た。
偶然その前日少年から放たれた言葉。
少女の絶望とは一切関係はない。
少女はじっと人間を見つめる。
身丈は伸びた、かつての少年。
じっと人間を見つめて、少女は静かに笑った。
少女は立ち上がる。人間はその少女の動作を見守る。
木陰にしゃがみ込み、少女が引っ張り出して来たもの。
それを見て見開かれる少年の瞳。
少女の腕に抱かれた、使い古された一つの蹴鞠。
「それ…」
言葉はいらない。着物の少女は蹴鞠を放る。
ぽん、と軽い音を鳴らして蹴り返す少年。
返って来た蹴鞠を同じく、ぽん、と返す。
少女は思う。人間は愚かだ。悲しいほどに愚かだ。
少女にとっては気にもかけなかった出来事。
それを一人の少年は覚え続けていた。
人間は愚かだ。そんなことこそ忘れれば良いのに。
もっと忘れてはいけないことがあるだろうに。
人間は愚かだ。たった一言の赦しを乞い、一歩も前に進めない。
忘れてしまえば楽だというのに。
人間は愚かだ。だが、そんな愚かしさも愛しく思えた。
これだから人間は。
少女の無表情に初めて現れた、笑顔。
「赦すよ」
在りし日の少年は、その声に気を奪われる。
だから蹴鞠を明後日の方向へと放ってしまう。
はっと我に返り慌てて蹴鞠を追い、手を伸ばす。
妙に懐かしい香りが弾けて、彼は蹴鞠を拾い上げた。
そして夕陽の傾く方へと振り返る。着物姿の少女の輪郭--
「え……?」
が、なかった。
とっくに散り終えてしまった桜の木があるだけで。
見渡しても着物で着飾った少女はいない。
微かに火照った頬に当たる冷たい風。
剥き出しになった桜の木が揺れる。
某然と立ち尽くす在りし日の少年。
「今のは……?」
幻想から現実へと引き戻されたような感覚。
心から何がが抜け落ちてしまったかの様に、ぽっかりと空いてしまった空白。
だが、在りし日の少年の手の中にしっかりと残っている、古びた蹴鞠。
だから、
「ありがとう」
そう告げる。目の前にいる少女に向かって呟く。
桜柄の着物の少女は、変わらずそこにい続けた。
だが、少年でなくなってしまった人間には見えない。
視界に入っても着物姿を認識出来なくなってしまった。
人間は蹴鞠を大事そうに抱えて、少女に背中を向ける。
最期に逢えて良かったよ。
静かに振り向く人間。
少女は声を発することは出来ない。
その役目にないから。
でも人間は桜の木へと振り返った。
ねぇ、聞こえるのでしょ?
だから少女は『声』に向けて言う。
「なんだい?」
やっと返事をしたわね。
「ボクはずっと答えていたよ。キミが聞こえなかっただけ」
『声』は戯けた調子で言うので、少女も真面に取り合わない。
考えが変わったわ。「ほうほう。それで?」
まだ潰える気はないわよ。「それはあの人間がいるから?」
どういう意味よ? 「なんでもないよ、っと」
厄介そうに唸る少女と、含み笑いの『声』。
言葉なくとも、想いをは伝わる。
それは「奇跡」だとか「魔法」なんて安っぽい代物ではない。
在りし日の少年は、ようやく自分の脚で歩き出す。
その背中を見届ける物言わぬ少女。
あるはずのない桜の花弁が、彼の蹴鞠に静かにとまった。
それはおそらく―――表記するのは、無粋というものだろう。