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砂糖細工の船に乗って  作者: 酒田青
第二章 子供
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子供…船の底・6

『あなた、誰』

 絹子がつっけんどんに尋ねた。城内はケラケラと笑った。

『気が強いね。僕は君達のお父様にお世話になっている城内っていう社員の長男。父さんがご挨拶に来たのについてきたんだけど、君達のお父様に、君達と遊んでやってくれって言われて』

『遊んであげるっていうの。結構よ』

 ぽうっと赤くなった繭子とは対照的に、絹子はボブの短い髪を形よく振って冷たく顔をそらした。

『あれ。それは花?』

 城内が繭子が手にした紙の単純な造花を指差した。繭子はコクンと頷くと、ますます顔を赤くした。

『何だか不細工だなあ』

『何ですって』

 絹子がキッと城内を見た。

『この花は形が悪いよ。もっと花びらを増やして、茎も針金を使ったりして工夫しなきゃ』

 城内が二つ並んだ樫の机の上から千代紙の束を手に取り、重たげな鉄の鋏をジャクンと鳴らして切った。繭子が涙声であ、と呟くと、絹子が声もなく目を見開いた。

『何をするの』

『え』

 絹子の叫びに城内が振り返った。端正な顔が明るく笑っている。

『繭子さんの大切な千代紙よ』

 

 三毛は繭子の話を思い出していた。繭子が話した通りのことが起こっていた。姉妹の記憶のどこに、猫が隠そうとしたものがあるのだろう。絹子は人の群れから離れて、無心に壁を見ている。

 

『父さんが呼んでいる。もう帰らなくちゃあ』

『あら、そう』

 絹子が瞬きをして唇を結んだ。繭子が何か言いたそうに城内を見て、結局やめた。城内はそんな繭子を見て、にっこり笑った。

『千代紙を切ってしまってごめんね。今度来たとき、新しいのをあげる』

『本当ですか』

『もちろん』

『いつ来るの』

 絹子が横目で城内に尋ねた。

『僕も学校があるからね。いつになるか分からない。今度は桜貝もあげるよ。白に薄紅色のぼかしが入っていて綺麗だよ』

『私はそんなものいらないわ。繭子さんにあげて』

 絹子がいきなり声を上げ、城内は目を丸くした。

『どうして』

『いいから、繭子さんにあげて』

 城内は目をそらした絹子を見つめながら、ちょっと黙って口を斜めにした。そしてニッと笑って繭子に目配せをした。繭子もつられてわけも分からず笑った。

『分かった。そうする』

 絹子が瞬きをした。

『日曜に熱海の友人の別荘に行くんだ。海が近くて、潮の流れが綺麗なんだって。そこで桜貝を拾ってくるよ。海の話もしてあげる。約束だよ』

『嬉しい』

 繭子が顔を綻ばせた。城内は姉妹に手を振り、じゃあね、と彩り鮮やかな子供部屋を出た。絹子と繭子はそれからしばらく動かなかった。

 

「綺麗な男の子」

 松子夫人が呟いた。繭子は思い出の美しさに体が縛りつけられたようになっていた。

「思い出の通り?」

 松子夫人が尋ねると、うっとりと微笑み頷いた。

 少年と三毛は、絨毯の上に座って、壁や天井に映し出されるものを見ずに姉妹を眺めていた。絹子の後ろ姿が動かない。

 

『来ないわ』

 繭子が見事な千代紙の造花を手にして言った。

『あのお兄様、必ず来るって仰ったのに』

『いつ来るのかしら』

 絹子がすみれ色のベッドの上にうつ伏せて、くぐもった声で言った。

『絹子さん、あの人のこと嫌いではなかったの』

 繭子は床に座って、栗色の瞳の西洋人形に花を持たせようとしていた。

『嫌いよ』

『そう』

 絹子は繭子の簡単な返事を聞くと、黙りこんだ。その時、ノックの音がした。

『失礼します』

 痩せた若い女中が入ってきた。姉妹はそのままの姿勢で目だけを向けた。

『城内さんがいらっしゃいました。お部屋にお通ししてもよろしいですか』

『ええ』

 絹子が体を起こして毅然と答えた。女中はまるで大人に対するように丁重なお辞儀をすると、下がっていった。学生服を着た城内が入れ替わりにやって来た。

『久しぶり。絹子ちゃんに、繭子ちゃんだよね』

 城内は少し日焼けしていた。にっこりと笑い、繭子に近寄ってきた。

『ほら、約束の桜貝。綺麗だろ』

 つるりと控え目に光る貝を繭子に渡すと、繭子は嬉しさで飛び上がりそうになった。目を輝かし、絹子を振り返る。

 絹子は退屈そうにフランス窓の外を見ていた。青空に入道雲が伸びている。城内がにやりと笑った。

『絹子ちゃんもいる?』

『いらないわ』

『どうしても?』

『ええ』

『残念だな。でも、繭子ちゃんの分しか無いよ』

 絹子がバッと城内を見た。瞳が燃えている。城内が笑った。

『嘘だよ。欲しくなったら言ってくれよ。まだ持ってるから』

 絹子が顔を赤らめて床に目を落とした。繭子が心配そうに二人を見守る。

『欲しくないなら捨てるよ。いいの』

 城内がからかうように笑う。絹子が唇をつぐむ。

『絹子さん、とっても綺麗よ。お揃いに頂きましょうよ』

『私……』

 絹子がせつなげに眉を下げて顔を上げると、城内は満足そうにポケットをチャラチャラ鳴らした。その時だった。

『いい加減にしろ!』

 全員が体を震わせた。

『城内、じゃあお前は、社長から、我々から……』

『そうです。もう私はあなた方のやり方についていけません。度の過ぎた騙しや詐欺のやり口を、私はこの目で見てきました。専務、あなたが騙しているのは私達と同じ庶民です。社長は子爵様ですから庶民から金を巻きあげることに疑問すら持ちません。そこがわが社の問題なのです。専務、あなたは社長のやり口に初めは反対の意を持ってらっしゃいました。違いますか。にも関わらず……』

『うるさい! 城内、お前は……』

 少年は呆然と声のする方角を見つめていた。姉妹は脅えていた。父が口論をしている。

 人形と花に彩られた部屋の中で、城内と姉妹は、じっと互いの父親が激しく言い争うのを息を潜めて聞いていた。城内の顔からは、笑顔が消えていた。

『父さん……』

『あなたのお父様は会社から出ていくの』

 絹子が上目遣いに聞いた。十歳の子供にしては、冷た過ぎる目つきだった。城内がそれを見て、目を反らして呟いた。

『そうかもしれない』

『じゃあ、あなたたちどうなるの』

『知らないよ!』

 城内が怒鳴ると、途端に繭子が声を上げて泣き出した。すると、絹子が蹲り、顔を膝に埋めた。城内は唇を噛んだ。

『城内様』

 さっきとは違う、中年の女中がノックも無しに部屋に現れた。顔が青ざめている。

『お父様がお呼びです。もうお帰りになると……』

『分かりました』

 城内がさっと身を翻した。

『城内さん、待って』

 繭子が泣きながらすがりついた。

『また来るでしょう』

『それは……』

『来ると言って。繭子さんの為に』

 絹子が叫んだ。城内は黙りこむと、ぎこちなく笑顔を作った。

『また来るよ。約束だ』

 繭子が頷いた。城内は、今度は自然ににっこり笑うと、手を振り、じゃあね、と言って部屋を出ていった。姉妹は取り残された。玄関の方では慌ただしく人の声や足音が入り乱れる。

『不合格』

 繭子が振り向いた。絹子がフランス窓に座り、階下を眺めていた。車のエンジン音が煩い。


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