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砂糖細工の船に乗って  作者: 酒田青
第二章 子供
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子供…船の底・4

『繭子さん、一緒に帰りましょう。私のお家にいらして』

 丸顔の少女が手を差し出した。

『ええ、あの、私は』

 髪を長くしなやかなみつ編みに結った繭子は言いよどんでいた。女学校時代なのか、背が少し高くなっている。場所は木造の校舎の中だ。

『何か用事でもあって?』

『いいえ、私、姉が』

『絹子さん? いいじゃない。あなたいつもお姉さんとばかりいるけど、それじゃあつまらないでしょう』

 相手が不満を露にすると、繭子はますますへどもどした。

『絹子さん、皆に嫌われていてよ。あの方意地悪だわ』

 途端に、繭子の目がじわっと赤くなった。

『そんなこと……』

『でもあなたはとても好かれていてよ。美しいし、西洋人形のようですって。私もあなたが好きなのよ。御姫様のようだもの。ねえ、お姉さんのことは忘れて、私達ともっと……』

『帰りましょうか、繭子さん。小椋が車で待ちかねているわよ』

 すぐ側に絹子が立っていた。相手の少女がハッと顔色を変えた。一瞬バツの悪そうな顔をしたが、すぐに開き直った。

『繭子さんのお姉さん。私達今話していたの。繭子さんは付き合いが悪いけど、それはお姉さんのせいねって』

『私、そんなこと……』

 繭子がますます焦った。

『絹子さん、あなた評判がよろしくありませんわ。繭子さんをもっと自由にして差し上げて。いつも自分にはべらせて、人から遠ざけて、繭子さんが可愛そうだわ。ねえ、繭子さん――』

『小椋が来たわ。行くわよ』

 絹子が繭子の手をそっと握り、優雅に歩き出した。少女などまるで初めから存在していなかったかのように。

 繭子は慌てて絹子に従い、どうしていいのか分からないかのように赤い顔を少女に向けた。少女は呆然としていたが、控え目に手を振る繭子にポツンと、

『さよなら』

 と答えた。繭子は悲しそうに目を伏せ、迎えの車へと走った。

『あんなに醜い人と話しては駄目よ。あなたまで下卑て見えるわ』

 車の中で絹子は超然とした態度で言った。繭子は体をちぢこめた。絹子が苛立つ。

『……何? 何か言うのならもっと大きな声で言ってちょうだい』

『絹子さん、どうして私を独占しようとするの』

『独占?』

『そうよ。どうして私にお友達を作らせて下さらないの』

『さっきの方に何か吹き込まれたの。影響されやすい人ね』

『からかわないで。本気よ。どうしてあの方を邪険にしたの。私が誰かの家に遊びに行って、何が不都合なの』

 すると絹子はふう、と溜め息を吐いた。

『あのね、私はあなたにふさわしいお友達があったなら認めるわ。あなたみたいに美しくて、才能があって、優雅な方に似合う人』

『そんなに大した人間じゃないわ。私はただの子供よ。平凡な』

『何を言うの。ほら、ご覧なさい』

 絹子は革の鞄を探ると、何か紙の塊をバラバラと落とした。

『何』

『あなたに宛てた恋文よ。よく門の前で渡されるの。ほら、これは一高生の手紙だわ。字が綺麗ね。あなたに恋する人がこんなにいるのに、あなたは自分を否定するの』

 繭子は車の端で真っ赤になった。手紙の山から目をそらす。

『いらないの。なら捨てるわ。小椋』

『はい』

『車を停めて』

『承知いたしました』

 キキイ、と不愉快なブレーキ音がして、黒い車が停まった。

『止めて!』

 開いたドアからパラパラと風に乗って手紙が舞う。絹子が一つ一つ引き裂いている。

『気の毒じゃないの。止めて』

『あら、でも子の人たち皆、不合格なのよ』

『不合格?』

『ええ、野暮ったかったり醜かったり店屋の小僧だったり。手紙の内容を見ても賢いとは言いがたいわ。あなたにはふさわしくない。だから不合格よ』

『いい加減にして!』

 車が動きだした。

『何を』

『私を管理するのは止めて! 私は自分でお付き合いする相手を決めるわ。絹子さん、あなた変だわ。私にはとっても優しいのに、どうして他の人にそうしないの』

『それは簡単よ』

『え』

 絹子は一枚だけ残った手紙を大切そうに撫でた。

『皆が私にふさわしくないから。全員つまらない人間だわ。あなたと、あと一人を除いてね』

 絹子がそれを差し出した。

『城内さんから』

 繭子の顔が燃えるように赤くなった。震える手でそれを受けとる。

『この手紙は合格』

 絹子が満足げに笑った。

『あなたもそう思っているんでしょう?』

 

 彩り鮮やかなペンキをぶちまけたような部屋の中で、三毛はしんと蹲っていた。繭子は居心地悪げに壁を見つめていた。松子夫人がテーブルの上を顔をしかめて探り、絹子は無表情にそれをにらんでいた。

「こんなものを見せて、どうするつもり」

 絹子が低い声で言った。松子夫人が息を漏らす。

「笑ったわね。何を笑うの、あなたふぜいが」

「あら、私は不合格なのね」

「当然よ」

「でもあれを見て恥ずかしくなったんじゃありませんか」

「どうして、私が」

 絹子が目をそらした。

「あなたの生き方は果たして正解だった? 正解なら、どうして船の中にいるのかしら」

「この――」

「卑女? もう既に聞いたわよ。あなたの影響力って多大ね」

 繭子が慌てたように顔をそらした。

「そうよ。あなたは卑女。私は選ぶ立場にあるの。私は特別だから」

「あの絵本」

「え」

「どうしてあなたにあれほどの影響力を持っていたのかしら」

 場面が移り変わる。

 

 絹子が着飾った女中を引き連れて大きな店の中を歩く。時折ハンカチや西洋の髪飾りの前に立ち止まって微笑む。

 

「あれは、私が絹子さんにもらったものだわ」

 繭子が呟く。

 

『お客様、お似合いですよ。その品は――』

『すぐに包んで頂戴。説明は必要ないわ』

 当たり前のように絹子は言い放つ。きらびやかな靴や反物や装飾品の輝きに満ちた店内で、その中年の店員は一瞬傷付いたような顔をした。

『父に付けておいて』

 絹子はそれにも構わず平然と歩いていった。

 

「あなたっていつもこんな態度なの」

 松子夫人が微笑みながら尋ねる。絹子は眉をピクリと上げる。

「当然よ」

 

『すごいわ、絹子さん。フランス語は満点ですって』

 学生がたむろするカフェの中に、絹子と繭子がいた。絹子は何も聞いていないかのような態度で、それとは対照的に繭子は興味しんしんに話を聞いている。話しているのは女学生の一団だ。

『絹子さん、満点ですって』

 繭子は誇らしげに顔を輝かせている。女学生の一人が陽気に言う。

『びっくりしたわ。教員室の前に貼り出されていたの。あなた総合で一位よ』

『信じられないわ。私そんな成績取ったことが無い』

『当たり前よ。私たちごときが絹子さんのようにフランス語の発音を出来て。あのRの音、ガアガアって音』

『あなた下手ね』

『うるさいわね』

 女学生が皆で笑いさざめく。繭子も笑う。


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