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砂糖細工の船に乗って  作者: 酒田青
第二章 子供
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子供…舳

 カモメがふいごのような声で鳴いている。陸が近いらしい。

 白い船の舳のテーブルの上で、松子夫人はじっと座ってかさついた指先を見ていた。三毛と少年が心配してそばについていた。

 

 松子夫人は図書館に行ったのだった。

 銀の鍵を掌で暖めながら歩き、あのドアの前に立つと、喉を鳴らして足を止めた。鍵がゆっくりとさしこまれた。

「どうしたの、お猿さん。今度は誰の船の底を覗き見するの」

 あの女が、いつの間にか松子夫人の真後ろに立っていた。幽霊のようにすうっと近付いて、飛びはねた。ぼろ切れのような服は揺れ、目が隠れるほど深い帽子から汚れた髪が伸びていた。

 松子夫人は顔をしかめて、鍵を外した。この女の前ではドアの中に入れる気がしなかったのだ。

 女はニヤニヤと歯並が乱れた口を広げて笑った。松子夫人の周りを走る。

「どうして止めたの。どうしてドアを開けないの。中に何か怖いものでもあるの」

 松子夫人は黙りこんだ。それでも女は喋るのを止めなかった。

「それじゃああたしの船の底を見る? 見たい? 見せてあげる」

 服のどこかから鍵が取り出され、ザク、と鳴らしながら女は鍵穴に差しこんだ。松子夫人が止める暇は無かった。

 ドアノブが回された。途端に、悲鳴が聴こえてきて、松子夫人は目を見開いて中を覗いた。

「お母さん、止めて、お母さん、止めて、お母さん、止めて、お母さん、止めて」

 松子夫人はぞっとして後ずさった。白い壁の向こうから悲痛な叫び声が聞こえる。

「お爺ちゃん、助けて、マラキ、助けて、誰か、助けて」

 この女の声だった。悲鳴は次第に高くなり、獣のような唸り声に変わった。

「嫌だ。嫌だ。嫌だ。助けて。助けて」

 松子夫人は女の顔を見た。真顔になっていた。女はゆっくりとした動作で静かにドアを閉じた。そして、呟いた。

「あんたは他人の為にドアを覗くんだね」

 松子夫人は何か言おうとしたが、出来なかった。

「あたしのドアの中も見る? 見たい? 見て、娘を殺したあんたに何が出来る? 

 救えるの? 誰を? あたしを? スチュワートを? 繭子を? 絹子を? それともあの猫を?」

 女が一歩近付いて、松子夫人は一歩退いた。

「どうして私のこと」

「何でも知ってるんだ、あたしは。ねえ、あんたに何が出来る?」

 女が震え始めた。それから、黒い歯を剥き出して叫んだ。

「何にも出来ないんだよ。この船は牢獄だ。どうやっても救われないやつらの行き着く果てなんだよ。変えようと思ったって無理だ。あんたは偽善者だ、マツコ」

「どういうことよ」

「船を変えようとするのは止めろ」

「私は何も」

「ワクチンから離れろ」

「ワクチンって何よ」

 松子夫人はいつの間にか図書館のドアの前に追い詰められていた。女が口角を泡だらけにして怒鳴った。

「猫と子供だ。あいつらを追い出せ」

 ドアが勢い良く閉じられた。松子夫人は心臓が激しく鼓動するのを聞きながら、廊下に立っていた。体の震えが止まらなかった。

 

「この船に、人殺しは何人いるのかしら」

 呟き声を聞いて、三毛はギクリとした。松子夫人は目が虚ろだった。

「繭子さんの話を聞いて、船の底に言って、私はどうするつもりだったのかしら」

 松子夫人は水平線を眺めた。そして、ポツリと言った。

「偽善者」

 三毛は目を閉じて、小さくうずくまるしかなかった。少年は松子夫人の顔に手を伸ばそうとして、途中で止めた。


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