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砂糖細工の船に乗って  作者: 酒田青
第二章 子供
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子供…二〇四七号室・5

「あなたは今までずっとお姉さんにもてあそばれて来たのよ。何でも言いなりにさせる。それだけじゃないわ。自分の方を振り向かず、妹のことばかり見ている人間に怒りを感じる。それは傲慢さからよ。そして、あなたの手でその人を殺させようと――」

「嫌!」

「それは上手く行ったわ。だけどあなたは消えてしまった。自分を崇拝する美しい妹が。もしかしたら愛した人を、間接的にでも殺したことにも耐えられなくなって――」

「ねえ、止めましょう、こんな話」

 繭子が懇願するように言う。

「船でも嫉妬心は収まらないのね。だからあなたと不和になると、そういう意地悪を」

 松子夫人は険しい表情で繭子を見た。繭子は恐怖で青ざめている。

「あなたは騙されたの」

 繭子が三毛を抱き締めた。目が泳ぐ。

「――あの殺人は」

「そうよ。お姉さんの計画通り」

「嘘です」

「嘘じゃないわ」

「証拠は!」

 繭子が詰め寄る。松子夫人はたじろぐ。

「――無いわ」

「なら止めましょう、こんな話」

 繭子がまた泣きそうになっている。

「あなたのお話はとても為になりましたわ。今朝のことが絹子さんのお芝居だったと分かるならそれでいいんです。ほっといたしました。ありがとうございます」

 繭子が松子夫人の節くれだった手を、大きな白い手で包む。

「だから、止めましょう」

「あなたのお姉さんは信用できない人よ。行動の意味が掴めない」

「姉は確かに謎が多い人ですけれど、でも」

「話を聞くほど嫌いになるわ」

 繭子は松子夫人をにらみつけた。

「女の嫉妬って怖いのよ。千鶴はね――あ、夫の愛人」

 繭子が虚を突かれたようにきょとんとした。松子は立ち上がり、千鶴の像に向かう。

「どこかのキャバレーの女らしいわ。彼女は電話をかけてくる。私が夫と離婚する、もううんざりだ、と正直に教えたけれど、彼女は電話の向こうでへっと笑って。夫がほとんど毎日彼女の家で寝、あっちが本妻のようになってきても――彼女は一週間に一枚、夫の下着を送りつけてきたのよ」

 繭子はぞっとしたように松子夫人から身を離した。三毛も不安げに松子夫人を見つめた。

「千鶴はそうだったわ。蛇のような嫉妬心。でも私もそうよ。愛してはいないけれど、夫を取られたんだもの。未だに憎い」

 松子夫人が繭子を射るような目で見る。

「あなたのお姉さんが、あなたに恋人を殺させて、苦しめることが平気なくらいの嫉妬心を持っていても不思議は無いと思うのだけど」

 繭子はうつ向いた。膝の上の三毛と目が会う。三毛は優しい目で繭子を見ている。

「そうね、では確かめます。大好きな姉が私をそんな目で見ていたのか。……手紙は誰が書いたのか。疑うばかりで真実を知らなければ、絹子さんに会うのは辛いわ」

 繭子がぼそりと言った。

「どうするの」

「それは――」

 その時、ノックの音が部屋に響いた。一同が驚いてドアを見た。

「誰かしら。おじいさんですか」

 声をかけながら松子夫人はドアへと走った。ノブを回し、ドアを引く。そこにいたのは。

「絹子さん」

 繭子が驚いて立ち上がった。三毛が落ちる。

 絹子がドアの前に立っていた。松子夫人は呆然としている。絹子の顔に浮かぶのは、やはりあの人形の笑顔だ。三毛はぞっとした。

「繭子さんと、お友達になりましたの。あなたもお入りになって。一緒にお茶でもいかがかしら」

 松子夫人は冷たい笑顔でそう言った。でも、案の定だ。絹子はニコニコしたまま何も言わない。三毛は絹子の中の、松子夫人への怒りと軽蔑を感じとった。不愉快な感情だ。

「ごめんなさい。もう帰りますわね。松子さん、お茶をどうもありがとうございます」

 繭子がスタスタと部屋を横切る。ドアを抜ける繭子の顔には、あの人形の笑顔が張り付いていた。松子夫人と三毛は、そこはかとない悲しみに襲われた。

 ドアが閉まる間際、二つの人形の顔が、並んで松子夫人を見ていた。松子夫人は呆然とした。

 ぽとん。三毛はその時何かが落ちる音を聞いた。

 ドアからふらふらと離れようとした松子夫人は、光るものをクリーム色の絨毯の上に見た。それは銀の鍵だった。

「一〇二五……。一階ね。繭子さんのだわ」

 慌ててドアを開いて、それを届けに行こうとした。三毛も走り出た。

 だが、そこには異様なものがあった。空気がよどんでいる。

 青い光る布が、赤いものを覆っている。それは繭子を壁に押し当てる、青いドレスの絹子の姿だった。二人の赤い唇は、合わさっていた。

 松子夫人は愕然とした。三毛も、ただならぬ空気に、体が震えた。

 絹子がちらりと松子夫人を横目で見る。そして口を離し、笑う。何か小声で繭子に話しかける。そしてまた笑う。

 繭子も目でこちらを見る。しかしその目は虚ろだった。

「こんなところ、嫌よ。行きましょうよ」

 絹子が繭子の腕を引っ張る。繭子は言われるがままに、おぼつかない足取りで歩いていった。

「あの女、異常よ!」

 部屋に戻った途端、松子夫人は叫んだ。

「繭子さんのことでも嫉妬を感じるのね。女の私に! 異常な所有欲だわ」

 松子夫人は三毛を抱いた。三毛の体は震えていた。何か、恐ろしいものがあそこにあった。

「可哀想に。すぐ忘れましょう。あんな場面」

 松子夫人は優しくなだめるようにそう言いながら、三毛を撫でる。その時、手の中の固い塊に気付いた。銀の鍵だ。

「この鍵もしかして、わざと置いてったのかしら」

 松子夫人はそれをまじまじと見る。しかしすぐに目を離した。

「まさかね。こんなもの、どう使えって言うのよ。それにしても」

 松子夫人は三毛を見た。三毛を抱いたまま、とある彫像の前へと歩いた。それは、千鶴、つまり松子夫人が最も嫌う人物の像だった。

「三毛、絹子さんって、千鶴に似ていると思わない?」

 松子夫人は憎々しげにそう言った。三毛はこの目つきの鋭い女を見て、全く似ていない、と思った。絹子はもっと美しい。

 しかし、ある点では同じだ。それは千鶴があけすけにし、絹子が匂わすもの。

 傲慢。

 絹子は膨張し続ける傲慢の塊だと、三毛は思った。

 ところで、三毛にはさっきの松子夫人と繭子の会話には思うところがある。

 絹子は城内と会っている。絹子はそう言ったのだ。三毛はそれを信じている。


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