表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂糖細工の船に乗って  作者: 酒田青
第二章 子供
67/100

子供…二〇四七号室・4

 繭子が溜め息をつく。その息は三毛にかかる。絶望の息だ。三毛は体が冷たくなったように感じた。

「私達の逢い引きは、次第に段を踏んで激しいものとなりました。抱擁は絶対。私は会う度城内さんと接吻せねば生きていけない程でした」

 繭子は口をつぐんだ。赤面している。おそらく舌が勝手に語るに任せて、言い過ぎてしまったことに気付いたのだ。

「……はしたないことを……すみません」

 繭子は顔を背ける。松子夫人は首を振る。三毛は例によって人間、あるいは大人の淫蕩の意味が理解できない。

「しかしある日、気付いたのです。絹子さんがいつもそれを観察していたことに。

「ある夜、私は城内さんと激しい接吻を交したあと、屋敷に入ろうと建物の角を曲がりました。……そこの芝生の上に、落ちていたのです。絹子さんの大切な手鏡。薔薇の模様が1面に掘られた白金の、掌に収まる大きさの……。

「そこは丁度、隠れたまま私達を見ることの出来る場所でした。……絹子さんは、私達を盗み見ているのです。何故? ……あの時はさっぱり分かりませんでしたが、今は検討がつきます。嫉妬です。

「絹子さんは、私に嫉妬していたのよ……。そうよ、親切すぎるわ、何もかも。絹子さんは本当は自分の物のつもりでいたのだわ。城内さんのことを。あの恋文だって、性急過ぎるわ。きっと私に失恋させて、私ではなく自分が城内さんと接吻することを望んでいたのだわ」

 繭子の声が、醜く潰れていく。憎しみに、繭子の整った顔が般若のようになる。三毛は脅えた。

 怖い。本当に嫉妬しているのは、繭子の方だ。

「私と城内さんの関係は、それこそ長すぎる婚約期間として不自然さはありましたけれでも、私は彼の、

「『僕には君と結婚するだけの権力や金がない。暫く待ってくれ。そしたらお父上にお目通し願う』

「という言葉を信じました。私はいつまでも幸せでした。今のように彼や姉の不貞のことなど欠片ほども思ってはいなかったし、何より指輪……。彼はとうとう婚約指輪を買ってくれたのですわ」

 繭子は左手の薬指にピンクサファイヤの指輪をはめている。それがきらきらと光る。

「それは十九の夏でした。とても、幸せでした。ああ、彼はやっと一人前の、裕福な成人男性になったのだ、だからじき結婚だ、と期待していました。それが、二十歳に届こうとしていた頃のことですわ」

 繭子はぼんやりと口を閉じた。中途半端なようだが、どうやら話は終りのようだ。

「……そして、あの殺人に繋がるのね。何故だか、絹子さんにそそのかされて、ナイフで刺して」

 松子夫人が言うと、繭子はびくりと肩を震わせた。

「……ええ」

「あなたはお姉さんと婚約者の関係を、昔に遡っても怪しめると考えているわけね」

「ええ」

「そして初めの質問。あなたの最大の悩み」

「……死んだ人が、姉と、しかもこの船の上で会うことが出来るか……」

 繭子は語りすぎたようで、ぐったり疲れながらそう呟いた。

「あなたはどんな可能性を考えているのかしら」

 松子夫人が静かに言った。三毛はもう決めつけている。きっと――。

「きっと城内さんは生きていたんですわ。そして、船に呼ばれてしまったのです。私、悲しくてきちんと確認しませんでしたもの」

 繭子は小さな声で言った。

「それしか考えられないわね」

 松子夫人は溜め息をついて少年を撫でた。時間が経つにつれ、彼はぐったりとしていく。

「あなたがあんなに泣いたのも仕方がないわね。応援してくれていたお姉さんと熱愛していた婚約者が逢っていて、その上あなたは置いてきぼりなんだもの」

 ヒクッと、音がした。三毛の上に熱いものが落ちた。繭子の涙がホロホロと、落ちてきているのだった。

「泣く前に教えて。どうして今の二人の関係に気が付いたの?」

 松子夫人は繭子の肩を抱いて、優しく尋ねた。

「絹子さんの寝室のドアの下の隙間に」

 また繭子がしゃくりあげる。

「綺麗な紅色のカードが見えましたの。青が好きな絹子さんの持ち物にしては珍しいから目について。でも昔の嫌な思い出がありますから盗み見などすまいと思いました。

 姉がこの船でカードを受けとるようなことはあまり考えられませんから、以前誰かに頂いたのだろうと、そう思って。でも、それは見えてしまいました。――桜貝。カードではなく、小さな紙の袋で、その中に桜貝が」

 繭子が息を詰まらせてまた激しく泣き始めた。松子夫人は不愉快そうな顔だ。

「ねえ、その桜貝はもしかして……」

「城内さんが私に下さったものでした!」

 繭子があの汚れたハンカチで目元に押し当てた。

「あの桜貝には特徴がありますの。三つ並んで、小さな穴が開いております。それを見た私は、絹子さんは私の部屋に入ってそれを盗ったのかと、愕然としましたの」

「違ったのね」

「ええ。気になって仕方がありませんから、少しだけ、袋状のカードを引っ張りました。その上には城内さんの特徴的な右肩上がりの四角い字で、

「『これを君に捧げる。――今夜零時に待つ』

「今夜零時! また同じ言葉が書いてあります。私に対する皮肉でしょうか? 二人の間で、私は馬鹿にされているのかしら。……そう考えるととても悲しくなって、ひどく泣きじゃりました。早朝で、絹子さんはまだ眠っていたようだから良かったわ。その場面を見られなかったもの」

 繭子はもう目元を一切見せなかった。哀れさに、三毛は繭子にすりよった。繭子の手にはもう力が入らない。

「酷いわね」

 松子夫人は憤った声で呟いた。

「でも、あなたの桜貝は、どうやって手に入れたのかしら」

「最近」

 繭子はハンカチを持った手をパタリと落とした。

「絹子さんが急にあの殺人のことを言い出したのです。事ある事に、『人殺しの癖に』と。

 私のこの髪は、そこから始まる喧嘩の時の逆上で、切ってしまいましたの。絹子さんが悲しむようにと。絹子さんは私の髪を酷く愛していますの。だからそのような効果を狙って。しかし絹子さんは平然としていました。私は返って情けない立場に追いやられて、更に逆上して……後は覚えていません。目覚めると、私は椅子の上で眠っていました。

 絹子さんはまだ帰っておりませんでした。口論の後ですから私は城内さんが懐かしくなって、あの桜貝を、自室の宝石箱から取り出しました。また居間に戻り、それをじっと見つめていました。その時桜貝の形や穴を子細に眺めた為に、あれに気付いてしまったのですわね。そして桜貝にまつわるあの綺麗な思い出に浸りながら、またいつのまにか眠っておりました」

 繭子はぽつんと呟く。

「あの時失くしたのね。どちらが盗ったのかしら」

 繭子の目は虚ろだ。

「朝まで、私は椅子に蹲っていました。絹子さんは起こしてくれませんでした。絹子さんは寝ているようでした。起こそうと、寝室の前に行きました。でも昨日のことや、私を椅子に放って置いたことがしゃくで、止めてきびすを返そうとしました。

 その時気付いたんですわ。あのカードに」

 繭子は冷静そうに見える。三毛は繭子の中を探る。虚ろだ。何も見えない。ニャア、と声をかけた。途端に、繭子に感情の波が襲いかかってきた。涙がまた溢れる。

「どうしてなの!」

 しかしそれはすぐに打ち破られた。

「ねえ、繭子さん。カードの主は本当に城内さんだと思うの?」

 松子夫人が冷静に言った。繭子はぽかんとそれを見る。

「だって、あの字……」

「特徴的な字なんでしょう。絹子さんが真似して書くのは簡単なんじゃないかしら」

 繭子が電気に痺れたように、一瞬体を痙攣させた。

「――絹子さんが? どうしてそんなことを」

 松子夫人は感情抜きで言ってのける。

「嫉妬のため。簡単よ。未だにあなたに嫉妬しているの。カードや桜貝のはみだし方は、わざとらしくなかったかしら」

「そういえば……」

「お芝居をうっているの。最近仲が悪いんでしょう」

「……ええ、ちょっとしたことで、絹子さんは苛立って」

「決まりね」

 松子夫人がそういうと、繭子はもう何も言わなくなってしまった。静まり返った中、松子夫人は思案していた。何か嫌なことを想像していることが、三毛には分かった。

「あの殺人の日」

 繭子が驚いて松子夫人を見た。

「あの手紙は果たして城内さんの直筆かしら」

「止めて!」

 繭子が悲鳴を上げた。

「止めて、止めて」

「あなたは知らなきゃいけないわ。自分がやったことを、もっとちゃんと」

「あの字は城内さんの字よ。右肩上がりの四角い――」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ