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砂糖細工の船に乗って  作者: 酒田青
第二章 子供
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子供…ロビー・5

 繭子ははっと目を開く。瞼と瞼の離れる様は、蝶が羽を開く瞬間を連想させた。

 なるほど。これほど美しい妹を持ち、怜利な頭脳とずば抜けた容姿の持ち主ならば、しかもそれが永続するものと分かったならば、そんな夢を見ても仕方がない。しかし。

「それは強烈な自己意識」

 繭子の顔が険しくなった。

「あなたのお姉さんは自分を何よりも素晴らしいものだと思いたかったの。そしてそれはあなた無しでは済まされなかったのよ」

「そうですわね。私達はいつも仲が良くて」

「いいえ」

 松子夫人は冷たく繭子の言葉を遮った。

「そうじゃないわ。ただ、自分を引き立てる、美しくて多少自分に能力の劣る者が必要だったの。自分をより素晴らしいものとするために」

 繭子がいきりたつ。

「そんな」

「だからあなたがいなくなると彼女は苦しんだの。自分を完全に信頼し、誉め称えてくれる近しいものがいなくなったから。彼女は自意識の化け物よ」

 言いながら、松子夫人は椅子を立った。危険な気配がした。繭子の目が光っている。手を大きく振りかぶった。危うく松子はそれをつかんで止めた。

「絹子さんの悪口を止めなさい、この卑女。あなたが汚せるほど絹子さんは低い存在ではないわ」

 繭子が涙をポロポロ溢しながら松子夫人に怒鳴った。握った手は熱く、顔が近かった。

 怒りに赤くなった顔は美しく、松子夫人は繭子を故意に傷付けたにも関わらず、それを悲しく思った。

「繭子さん」

 松子夫人は静かに話し出した。繭子は背が高かったが、腕の力は普段石に彫刻刀を振るう松子夫人の方が遥かに強かった。

「私ね、あなたが好きなの。だからあなたのお姉さんのことが好きじゃないのよ」

 繭子の顔が怪訝になる。涙はまだ溢れている。

「お姉さんはいつもあなたを支配してきたでしょう。自分の理想のためにあなたを利用したでしょう。よく分からない理由であなたの恋人を殺させたでしょう。

 だから許せないのよ。私絹子さんが大嫌いよ」

 繭子の力が弱まった。

 松子夫人は絹子が嫌いだった。人前で妹を弄び、まるで愚か者のように振る舞わせる女。意味のない花の妖精ごっこに没頭し、自分の理想に百年も妹を付き合わせた女。

「あなたの部屋はお姉さんが来た途端、お姉さんの好みに変わってしまったでしょう。

 それはあなたがお姉さんに支配されているからよ。それでも我慢できるかしら。私はそれを見ているのが我慢ならない」

 繭子はぱたりと手を落とした。

「それにお姉さんも花以外の何かを食べているわよ。あなたと同じに。そうでなければあんな風に体型を維持できるわけがない」

 繭子はどさりと椅子に座った。松子夫人もゆっくりと腰を下ろした。

「あなたが泣きわめくほどお姉さんとの葛藤が起こったとしたら、それはあなたの自我が目覚めつつあるということだわ」

 繭子はもう泣かない。泣かずにただ聞いている。

「良いことだと思うわ」

 松子夫人は微笑んだ。

 日差しはいつのまにか強くなり、松子夫人たちのいる灯り取りの丸い光が直接当たるその場所は我慢できないほどの熱さになっていた。松子夫人の後ろで少年がうめいた。

「あら。起きちゃった」

 松子夫人は少年の方に身を乗り出す。

「マツコ」

 少年が甘えるような声を出して、両手を広げた。松子夫人は嬉しそうにその手を引いて、彼を抱き締めた。

「夢を見たのかしら。珍しいわね、甘えるなんて」

「マツコ」

「はいはい」

 松子夫人は肉の少ない少年の弱々しい体を優しく抱いた。

 ニャア、と聞こえた。三毛が松子夫人の足元で鳴いていた。

「やっと降りてきたの。遅いわねえ」

 松子夫人は笑う。だがそうではない。三毛は暫く前からここにいて、話を聞いていた。

 驚いた。全て知らない事だった。

 どうして気付かなかったのだろう。三毛の鼻なら花以外の香りに気付いた筈だ。二人が一緒にいる時にしか会わなかったからだろうか。

 二人は自分達が別のものを食べることを互いに隠そうと、様々な工夫をしていたのだろう。百年も、よく続いたものだ。

「松子さん」

 繭子が賑やかな雰囲気に一滴の黒いものを落とした。

 寝惚けていた少年は驚いたように繭子を見た。三毛も見た。

「お願いです。続きを聞いてくださいませんか」

 繭子にはまだ秘密があるようだった。繭子の目は絶望に沈んでいた。

「ええ」

 松子夫人は真剣に頷いた。

「だけど辺りに人が出てきたわよ。喉が乾いたし、私の部屋に来ないかしら」

 確かに静かな人々が回廊や階段に点々と歩いていた。一人が三毛を見て微笑んだ。

「ご招待ありがとうございます。伺いますわ」

 繭子は辛うじて微笑んだ。


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