子供…三〇八二号室・4
「ああ、おじいさん」
三毛の後ろから、松子夫人が部屋を出てきた。
老人はまた微笑む。三毛には、老人の微笑みは何か辛いものがある。
「何だろう」
「図書室に帰ってきたら、奇妙な女性に話しかけられたんです」
松子夫人は顔をしかめる。
「黒い帽子を被って、ボロボロの服を着て……、言うことも普通じゃ無いんです。あの人をご存じ?」
「ああ、『脳腫瘍』さんだね」
老人は指を立てて記憶をなぞる。
「脳腫瘍?」
「あの人は図書館に住み着いてるんだよ。図書館を船の脳に例えて――あそこは情報の倉庫だからね。それに船の底に向かうドアや、他にも船全体に関わる物がある――、そして自分をその脳に取り付く脳腫瘍に例えてそう呼んでいるんだよ」
「脳腫瘍って、自分が悪いものだということを一応分かっているんですね」
松子夫人が不快そうに笑う。
「何か嫌なことを言われたんだろう。あの人は少し変わっているから」
老人は髭をいじくってもぐもぐ話す。
「ええ、船の底に行ったところを見られて、そのことをしつこく……」
「変だな」
「何がです?」
「あの人は図書室に四六時中いるけれど、いつも隠れているんだよ。滅多に姿を現さないんだ。何故いきなりあなたに声をかけたんだろう」
老人は不思議そうに首を捻る。松子夫人はさっきのことを思い出したかのように口をへの字に曲げた。
三毛はあの女の言葉を思い出していた。
――あたしは脳腫瘍だから、あの子が嫌い。
――あの子はワクチンだよ。
三毛は少年の眠る寝室を振り返った。




