子供…ロビー・2
「じゃあね、三毛。今まで付き合わせてしまってごめんなさい。私、着替えて休むから、あなた自由になってていいのよ」
と、松子夫人は三毛を部屋から閉め出した。別に三毛は、松子夫人ともっと一緒にいても良かったのだけれど。何せ、心配だ。
でも、仕方がない。三毛はブラブラと階段を降り、ロビーに着いた。今日も賑わっている。昨日から異常なくらい、ここは人で溢れかえっている。沈みこんだ静寂さが不気味な程に。
「三毛」
昨日の朝、三毛に朝食をくれた金髪の女が呼んでいた。
三毛は喜んで駆け寄った。空腹だったのだ。松子夫人は少年の昼食を用意しても、三毛と自分の食べ物のことはすっかり忘れていた。
女はまたゆでた鶏肉を持ってきていた。それに、ミルク。
膝の上に飛び付いた三毛を見て、女は微かに微笑む。
「昨日の朝からずっと見掛けなかったわ。どこにいたの? 三毛……」
三毛はニャーオと鳴いた。大変だった。だけど伝えられないのがもどかしい。
「食べてね」
女は2つの皿を床にことりと置いた。三毛は飛び下りた。息つく暇なく食べる。女が眉をひそめた。
「どうしたの? 今まで食べてなかったの? 可哀想に……」
三毛は一息つくと、口の周りを舐め回し、ミルクに取り掛かった。山羊乳だ。彼女は三毛の食べ物の好みを分かっている。
「マツコと一緒にいたんでしょう。あの人、三毛に何も食べさせないのね。酷い人」
女は本当に憤慨したらしく、唇を噛んでいる。
三毛は何か弁解したかったが、何も出来ない。ただピチャピチャとミルクを飲むだけだ。
松子夫人は三毛の知り合いたちに、余り好かれていない。三毛を一番長い時間独占しているからだ。
「私、あの人嫌いよ」
女は小声で言った。三毛は繭子を思い出した。
そういえば、絹子と繭子はどうしているのだろう。植物園での出来事以来避けがちになっているが、姉妹はこの金髪を長く垂らした女と同じくらい頻繁に会う人々だった。いざ会わないとなると気になってくるものだ。ロビーを見渡してもいない。
「あら、どこに行くのよ、三毛」
女の小声を後に、三毛は走り出した。
開いた出窓に飛び乗ると、絹子が気付いた。滑らかな動作でクリスタルの壺に細い指を入れる。
「繭子さん。三毛が来たわよ」
気だるげに砂糖漬けの赤い花びらをくわえる。テーブルの上はいくつもの不思議な形の壺でひしめいていた。それに、部屋じゅうから花の香りがする。大きな花瓶があちこちにあって、生けられた薔薇は毒々しく開いていた。
「三毛ちゃん」
繭子が駆け寄ってきた。今日は腰の部分が盛り上がったドレスをゆらゆらさせている。やはり、赤い色。
「私に会いに来たの? 三毛ちゃん」
嬉しそうに、三毛を抱き締める。三毛は丸い目をパチパチと瞬きさせる。
こんなつもりはなかったのに、どうしてだかこの部屋に来てしまう。花の香りの妖しさのせいだろうか。三毛は鼻をひくひくさせる。