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砂糖細工の船に乗って  作者: 酒田青
第二章 子供
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子供…ロビー・1

 三〇八二号室を出た松子夫人は、疲れ果てたようにフラフラと歩いた。

「着替えなきゃあ。みっともない格好だわ」

 ため息と同時に松子夫人は言った。皺が増えているように見える。

 三毛を抱いていることすら忘れたように、無言で歩く。三毛は少し困ったような気分で腕の中で揺れている。

 長い廊下は終わり、回廊に出た。階段を降りようとしたとき、三毛は下からこちらを見上げる人物に気付いた。

 この間と同じ構図だな、と三毛は思っていた。カナリヤ男は相変わらず怒ったような顔で松子夫人を見ていた。

「こんにちは、ミセス……」

「高原松子です。マツコで結構です」

 男が言い淀むと、松子夫人はすぐに英語で自己紹介をした。慌てて広がった髪を手で押さえ、昨日少年にかけられたスープの染みを何とか隠そうとしたが、染みは主に腹部に広がっていて、三毛で隠すには大きすぎた。

「そうですか。私はトマス・スチュワートです。タカハラさん」

 男は当たり前のように自分の名を言った。

 松子夫人は自分の申し出をあっさりと却下された憤りよりもまず、男の名前を聞いたことへの驚きが先立った。おそらくこの数十年、男の名を知ったのは松子夫人が初めてだろう。

「それで、どんな用事でしょうか、スチュワートさん。まさか、また三毛のことで何か?」

「いえ、そうではないのです」

 スチュワートはまた意味のない大袈裟な手振りで話す。松子夫人は戸惑っている。

「では……」

「あの子供がどうしているか、お聞きしようと探していました」

「え?」

 松子夫人も、三毛も、同じ驚きを胸に抱いたことだろう。三毛は呆然とスチュワートを見る。

「彼の体は余り芳しくありませんでしたね。今も寝ているのでしょうか」

 スチュワートは怒っているのか、何かに脅えているのか、よく分からない表情で巻くし立てている。

 この、カナリヤのことしか頭に無かった男が、他人を心配している。三毛は訳が分からなくなってくる。

「いえ、今は起きています。熱があるようでしたけど……」

「熱が?」

 決定的だ。スチュワートは心配を顔に表した。悲しそうですらある。

「あの、心配でしたら会いに行かれたらどうでしょう。あなたは病気にお詳しいみたいですし」

「私の医学知識など……。昨日の意見も大して役にたたなかっただろうし……、それに私などが行っても……」

「心配なのでしょう。行けば良いわ」

 松子夫人はつっけんどんに言った。スチュワートの慌て方は何故か松子夫人の神経に触った。

「そうですね。行ってみましょう」

 スチュワートは決意したらしい顔で、二階から階段を昇ってきた。そして、三階から降りる階段の途中で、服の染みを隠そうと懸命になっている松子夫人の横をすれ違うとき、

「ありがとう。マツコ」

 と呟いて、目を見開いた松子夫人と三毛を残して消えていった。

「そんな…」

 松子夫人は三毛を見た。三毛も松子夫人を見た。

 スチュワートが変わった。恐ろしいくらいに。

 でも、と三毛は考えた。少年のあの粗暴さを見たら、スチュワートはどうなるんだろうか。


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