子供…三〇八二号室・3
「この船に医者はいるかな」
老人は松子夫人に尋ねる。
「それはおじいさんの方がお詳しいんじゃありません?」
松子夫人は答える。
「とは言っても、この子の病気は永遠に治らないんですもの。医者がいても仕方ありませんわ」
深い溜め息。
「そうかもしれない。でもましな状態に保つくらいは出来るんじゃないかな」
「そうですわね。では誰がやってくれるんです?」
「医者か。思い付かない。この船の人々は皆自分の過去を隠すから」
「ああ……」
松子夫人が顔を覆う。悲しい。どうしようもなく悲しい。
「でも待ってくれ」
老人は松子夫人を元気づけるかのように、長い髭を揺らして笑いかけた。
「探してくる。ロビーに行って知り合いに尋ねてみるよ」
「無理ですわよ。皆おじいさん以外とは誰とも知り合いじゃないんですもの。知りっこないわ」
「でも、やってみる」
老人は皺の中の目を細め、少年を見つめながら言った。そして、寝室のドアに向かった。振り向いて、手を挙げる。
「マツコ、その子の世話をよろしく頼むよ」
「自分からやってますのよ。もちろんです。おじいさんこそよろしくお願いしますよ」
松子夫人は微笑んだ。
少年の寝室は、少年と松子夫人と三毛だけになった。少年の、聞いている方が息苦しくなるほどのいびつな呼吸音と、妙な臭いが充満している。
嫌な状況だった。
三毛はしゃがんだ松子夫人の膝を足場に、ベッドに飛び乗った。松子夫人が咎めるような目で見たが、別に何も言わなかった。
三毛は少年の顔をじっと見つめる。開いた丸い唇から音と臭いが漏れるのを見つめる。
三毛は夢にうなされる老人を起こすときのように、前足で少年の顎に触れた。少年は虚ろな目で小さく覗く三毛を見下ろす。
もっと近寄って、左頬を舐める。少年は三毛のすることをじっと見つめる。
鼻を舐める。少年は疲れ果てたように目を閉じる。長い睫毛は苦しさから来る涙のために濡れていた。
三毛はまた前足を頬に載せた。
こうしていれば、いつか少年は悪夢から逃れられるのではないかと思うのだ。
三毛が触っていると、病気が三毛の体にくっついて、少年から離れてくれるんじゃないかと。三毛は少年の顔に何度も触れた。
心なしか、少年の呼吸は整ってきた。三毛はおまじないが効いたことに喜んだ。
「さあ、降りなさい。病人が疲れるわ」
松子夫人が三毛を優しく床に降ろした。仕方なく、三毛は背伸びをしてベッドの上を覗こうとしたが、見えなかった。
「大分落ち着いてきたみたいね。お医者さんが来るまで待てるわね?」
通じないと知りつつも、松子夫人は話しかけずにはいられない。少年は目を閉じたまま動かない。
松子夫人は三毛を抱いて、小さなベッドの隅にそっと座った。
松子夫人も三毛も息をひそめて、この褐色の肌の少年を長い時間の間見守った。




