子供…三〇八二号室・1
廊下に出ると、壁に張り付いためいめいの白いドアから人々が顔を出していた。三毛を見ているのでは無かった。老人と松子夫人の後ろ姿を、強い関心をもって見つめているのだった。
砂糖菓子ホテルでこれほどに慌ただしい事件が起こることは滅多に無かった。
何故なら二人以上の人物が関わりあいになること事態、珍しかったからである。
三毛は人々の不安そうな顔を後に、走った。
二人は早足で階を降りようとしていた。三毛は全速力で追い掛けた。何故追うのか、ということについては一つも考えていなかった。
一階分の階段を降りると、二人は三階の廊下に入り込んだ。この頃には三毛は老人の白い革靴の横を走っていた。
曲がりくねった廊下の途中、小さな楕円のドアの前。三〇八二号室。二人と一匹は息を切らせて立ち止まった。
松子夫人がもどかしそうにドアノブを回す。三毛はこの時初めて松子夫人の顔を見たが、今まで見たなかでも最も憔悴した顔だった。三毛は動悸が速くなる。
ドアが開いた。途端に三毛はむせかえるような生臭い臭いをかいだ。血の臭いだ。
「血を吐いたんです!」
その光景が老人と三毛の目に飛込むと同時に、松子夫人は震える声で呟いた。三毛は足がすくんだ。
あの褐色の肌の少年は倒れていた。毛足の短い青い絨毯の上にうつぶせて。
少年の周りは大量の血で汚れていた。少年の真新しい部屋に備え付けられていた薄緑のソファー、硝子のテーブル、絨毯。一筆書きをしようとしたかのように、荒々しい血は一直線に引きずられ、広がっていた。
少年は血まみれの顔でドアの前の人々を見た。半分意識を失いかけていた。苦しげにヒューヒューと息をした。
老人は小さな入り口を、背中を屈めてくぐり、少年に近寄った。
少年の目に力が戻った。
「こっちに来るな」
苦しげな息をしながらかすれ声で怒鳴る。無論、この言葉は三毛にしか分からない。
老人は少年を抱きあげた。少年は少し暴れて、力つきたようにぐったりと手足を下ろした。
「まず、ベッドに寝かせようか」
老人の、三毛にとっては始めて見る真剣な顔。
松子夫人が中に入った。閉め出されないように三毛も急いで入った。
「何の病気でしょうか」
松子夫人が心配そうに呟く。
「私にはさっぱり分からない」
老人は溜め息をついた。