船の人々…二〇五五号室・2
「あなたの猫……のことなんですが」
男は意味のない身ぶり手ぶりを加えて、焦ったようなしゃべり方をした。
「三毛が何か?」
不安そうな松子夫人の声。
「あのですね。私は鳥を飼ってるんです」
何だか、怒っている。
「まあ」
松子夫人が三毛と目を合わせて戸惑った顔をする。三毛は尻尾を軽く振る。
男はまくしたてる。
「あのですね。私はあなたと同じ階なんです。何度か、すれ違ったことがあるから分かるんです。さっきも言いましたように、私は小鳥を飼っています。とても大切な小鳥です。いなくなったら困るくらい大切な小鳥です。でも」
一旦言葉を切って、三毛を睨みつける。三毛は睨み返す。
「猫がいます。それも同じ階に。猫がいると心配ですよ。留守の間に私の小鳥が猫に襲われるかもしれない。怪我をするかもしれない。死ぬかもしれない」
「あら、でも」
「私は耐えられません。そんなことが起きたら生きていられません。猫一匹に人生が狂わされる。そんなことは我慢できません」
「でもあなた」
松子夫人がやっと男の熱弁を遮る。
「三毛はあなたの部屋に行くことはないでしょう?」
「いや、だから」
「あなたは部屋のドアを開けっぱなしにして外に出ます? それに私たちの階は一階じゃないわ。二階よ。それにベランダはないわ。どうやって三毛があなたの大切な小鳥を殺しに行くっていうんです?」
松子夫人の言葉が熱気を帯びてきた。三毛は尻尾をぶんぶん振って男をねめつけた。だが、男はたじろがない。
「絶対に猫が部屋に入らないという保証はないでしょう。私はね、ドアを開けるたび、彼女を置いて外に出るたび、あなたの猫のことを考えてしまうんです。もし、私の隙をついてドアの隙間を猫がすり抜けてきたら……。私がうっかりドアを締め忘れていて、猫が中に侵入してきたら……」
「知りませんよ。そんなことになったとしても、それはあなたの不注意のせいでしょ」
松子夫人がぴしゃりと言い返した。三毛はにやりと笑えるものなら笑いたかった。
「それにね、三毛は私の猫じゃありません。この船の乗客です。あなたこの間見たでしょう? この船が陸に近付いて、三毛を乗せたところを。三毛は誰の許可も得ずにこの船を自由に行き来する権利を持ってるんです。あなた、こう言いたいんでしょ? 『その猫を部屋から出すな』」
「そうです」
「でもね、私は三毛の飼い主じゃないからそんなこと出来ないのよ。出来るとしてもしないけどね。三毛は自由にどこにでも行けるわ。でも、言っておくけどね」
松子夫人が男を睨む。
「三毛は人様のものを勝手に壊したり、盗んだりしないわ。あなたの小鳥だって、襲うことなんてないわ」
一息つく。