シャットアウト
風はいきなり吹く。
悪い風ほどそうだ。そうして根元から薙ぎ払うように、
何もかもを台無しにしようとかかる。
何があっても構わない。不幸は避けがたい。
ただ受け入れるだけだ。
しかし真美は。真美だけはダメなのだ。
真美のいうハッピー・エンディングとはなんのことなのか。
学校の卒業?夢の達成?
それとも、文字通り、幸せな終焉のことなのか。
幸せな終焉?
真美だって、それはいずれ迎えるだろう。しかし今じゃない。ずっと、先のことだ。
「ハッピー・エンディングを見つけたっていうのは、いいことだ。ただハッピー・エンディングってのは、どうした意味でなのかな?」
「ありがとう、お父さん。私、本当はずっと探していたのかもしれないよ。お母さんが出ていってから」
背中が騒ぐという表現があるが、あれは比喩ではないのだと思った。
真美が今から話すであろう台詞が、恐ろしい。
「元気でね」
「まるで」
喉がつまる。
「まるで、お別れの挨拶みたいだ」
真美の返事はなかった。
「ハッピー・エンディングなんて、まだ先のことじゃないか」
やはり、返事はない。
ぱあん、とクラクションが鳴った。
いつのまにか車が流れ出していた。
背後のトラックが煽り立てるように車体を寄せて、
バックミラーいっぱいに広がっている。
運転どころではなかった。
路肩に無理に車を突っ込み、
エンジンを止めた。
頭の中で、ぐるぐると言葉が回った。
さっきまで玉子焼きを焼いてくれて、明るく笑っていたじゃないか。
「私ね、あの小説に教えてもらったの。一度、大きなものを失った人間は、決して幸せにはなれないんだって。
お母さんが出ていってしまってから、私はずっと、考えてたの。この不幸せはきっと穴埋めできないだろうって」
「真美に悲しい思いをさせた。親として、責任を感じている。ただな真美」
「いいの。お父さん、責めているわけじゃなくて。
ハッピー・エンディングを読めば分かるよ、
人生を幸せに終わらせるにはいくつか大事なことがあって、
それは過去を憂うことでも、
今ばかりを見ることじゃないの」
つまりね。
「どう終わらせるかなんだよ、大事なのは」
「それはそうかもしれないね」
努めて、冷静な声で答えた。成功したかは分からない。
「友達とよく遊んで、恋をして、結婚する。子供を育て、孫が生まれ、家族に囲まれて死ねたらきっとハッピー・エンディングだ。そういう具合に終わらせりたら、きっといいね」
ふふ、と真美は笑った。大人の女のような笑い方だ。
「違うよ。本当にまるで読んでないんだねお父さん。
子供は、ほとんど自殺しないの。何故か知っる?
子供は本質的に、楽天家だからなの。難民キャンプで大人たちは萎んだ顔でも、子供は笑顔でしょう?」
「そうだね、真美もまだ子供だ。笑顔でいられるね」
だから、まだ当分終わらせる必要などない。
「うん。そう、笑顔でいたの。今日は笑顔だし、明日もきっと笑顔で生きてる」
それなら構わない。何を悩む必要があろうか。
「だからきっと、今なんだ。
まだ明日発表の最終話を読むまで分からないけれどね。
つまり、子供のうちに終わらせることができたなら、
それがきっと、私のハッピー・エンディングだと思う」
「真美!」
お父さん。真美は私の声に重ねた。
お父さんが怒る気持ち、嬉しいな。
でもね。お父さん、お父さんは大人まで育った。育ってそして。
「お父さんは、今幸せ?」
返事がすぐに出なかった。数秒の間が空いて、
電話は、それきり切れた。