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玉子焼きから

 朝起きると体がいつも動くことを拒否する。

前日の酒が抜けていないせいか、

それとも吸いすぎた煙草のせいだろうか。

それでも酒も煙草もやめる気にはさらさらなれなかった。


 部屋にはテレビとパソコンがおいてある。大きな物はそれだけだ。

砂漠のようにがらんとしている。残りは押入れにすべて突っ込んである。

元来がさつな性分であるが部屋をきれいにしておくことだけはこの十年守ってきた。

なんのために?

なんのためにだろう。



 文芸の仕事の編集者として働き出して、随分になる。

しかし小説は読まない。

もう読まなくなってしまった。あんなものを読んでも一向賢くもならないし、

生活の足しにもならないと気がついた。

所詮、絵空事なのだ。

絵空事なら、もうたくさんだ。

部屋をきれいに片付けていること。これだって絵空事だ。

片付けていたって、何が起こるわけじゃない。

絵空事は、これひとつでもう十分だ。


 テレビをつけると、朝から元気に、

岬とかいう女子アナウンサーが今日の天気を伝えている。

晴れ時々くもり、ところによっては雨だという。

霞んだ頭で、そのままぼうっとテレビを眺める。

あと十分ほどで支度を始めなくてはならない。


「岬さん、それでは、今日のトピックをお願いします」

「はい、今日のトピックは、最近話題のインターネット小説についてです。

みなさんは、ハッピー・エンディングという作品を読んだことがありますか?」

目が、一気に覚めた。


「今これが、インターネット小説部門で、一気にトップに踊り出てきたんですよ。

登場するや否や、追いつけ追い越せの、まさにハイセイコーです、ハイセイコー」

「岬さん、ハイセイコーたあ、古いことを知っているね」

司会の男が苦笑いする。

「筆者が、進行性の病気に冒されたまだ十五歳の少年、ということも

話題のひとつになっています」

「ああ、この少年は僕知ってます。ちょっと前から有名にはなっていたんですよ」

スタジオのコメンテーターのひとりが得意になって語り始めた。

「神がかっているというか悪魔じみているというか。文章ひとつひとつは、

どこか宗教チックで、つかみどころがないんですがね。

読んでいるうちに引きずりこまれていくんですよ。魔法ですね、あれは」



 まだ連載を始めて二日しか経っていない。仕組まれたかのような反応の早さだ。

なんにせよ、こんな不快なことはない。あの少年のしたり顔が目に浮かぶようだ。

「岬さんは、読まれてどうでした?」

「えっと、私は実はまだ読めていないんです」

「読んでないの?駄目じゃない、勉強不足ですよ」

「近日中に読ませていただきます、すみません」

岬アナは笑顔で甘えた声を出した。

「でもすごい反響なんですよね、人気があるっていうだけではないんです。

もうこのハッピー・エンディングがあるから生きていけるっていう人も、

多いんですよ」

「連載始まったばかりっていうのに、すごいね。教祖様だまるで」


 くだらない。世間知らず少年をこうして持ち上げていいことなんてひとつもない。

増長してますます鼻持ちならない人間に育っていくだけだ。

そう言いながら、同時に自分が少年にした仕打ちを思い返してみる。

他人のことを言えた口でもない、か。とにかくこれ以上、このニュースを見たくない。


 リモコンに手をかけるとドアが開いて、待って、と声がかかった。

「この人あれでしょ、祐一って人でしょ?私と同い年の」

「真美か、学校はどうした」

「今日は休みだって言ったのに」

真美は私が起きるずいぶんと前から家事をしていたらしい。右手にはフライ返しが握られていた。

得意の玉子焼きを作っていたらしい。ほどよく焼けた玉子の匂いがドアの外からぷんと香った。

「この人結構前から真美の周りで話題になってるよ」

「へえ、そうかい。こいつの担当編集者になっているんだ」

「すごいね、でも真美小説は読んでないんだ。漫画の方が好きだし」

「小説なんて、無理して読むようなものじゃないさ」

どれ。早めに準備をして、真美の作った玉子焼きをいただくとしよう。

そういうと、真美はうん、と元気に頷いた。

「今日の玉子焼きはほんとに上出来、自信作」

真美は半分踊るような足取りで台所に向かった。

相変わらず真美は玉子焼き以外は何も作れない。が、同じものばかり作るせいか、

玉子焼きの腕前は大したものだった。

台所から、鼻歌と、玉子焼きを切り分ける音が聞こえてくる。


 女は嫌いだ。子供も嫌いだ。くだらないことで笑いくだらないことで笑うからだ。

常々そう思っていた。

しかし真美を見ていると、その考えが間違っている気がしてくる。

俺はいつから、くだらないことで笑えなくなってしまったんだろう。

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