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終わりのはじまり

 

携帯電話の音が途切れがちだ。

「こんなジジイに頼るなんざあ、相当ひどい事態なんだな」

電話の向こうのシゲさんの声にはざあっと雑音が混じる。

車の速度を出しすぎなのかもしれないと思ったが、アクセルを緩めなかった。

「この事態に、タイトルをつけるなら、なんだい?」

「そうですね、まさしく、ハッピー・エンディングってところですよ」

ちょっとくらい車飛ばしてみたところで大した意味はない。しかし急がずには

おれなかった。

= = = = = = = = = = = = =



君たちに人生を教えてあげるよ。幸せになるなら、僕のいうとおりにすればいい。


「壮絶に偉そうな書き出しだな、少年」

「そうかい?でもこれくらいでいいのさ」

病室のベッドの上で、少年は無表情だった。

「今の時代、少しくらいスティミュラスじゃなくっちゃいけないんだ。

教えておいてあげるよ、なんだっけ、確か、田所さんだったかな」

「そうかい、俺もひとつ教えてやるよ、

俺は英語を誇らしげに使う奴が死ぬほど嫌いなんだ。」

懐手をしたまま、少年に背を向けた。病室の窓からは近所の高校がよく見えた。

グラウンドではしゃぐ声が窓ガラスを抜けて漂ってくる。


「おじさんの用件は、なんなんだっけ?」

「さっき言ったろ」

「もう一度言ってみたらどうだい」

少年は腹の上においたノートパソコンを打ち続けた。

キーを打つひとつひとつの音が、癇に障った。

「ぜひうちの出版社で続き物を書いていただけたら、と思いましてね」

「そう。でもおじさんはあんまりそうしたくない様子だ」

背中向けたまま人にお願いするなんてことがあるかい、と少年は言った。


返事もせずに、煙草に火をつけた。

「病室だよ」

「そうらしいな」

「消せよ、僕は病人なんだぞ」

「俺もニコチン中毒なんだ、同じ病人同士、仲良くしよう」

ふうっと煙を天井に向けて吐いた。


「連載の承諾をいただいていいかな、とっととこんなところを出たいんだが」

「あんた、面白いよね」

少年は言った。

「ここに来る連中はね、みな気の毒そうに僕に聞いてくるんだ。

私にできることがあったらなんでも言ってね、できる限り力になるからって」

そうして、何もしてくれやしないのさ、と付け加えた。

「俺のせいで君が病院送りになったなら、俺もそうするだろうな。

どっちにしろ、君のために何かしてやる義理はないんだ」

返事をする代わりに、少年はくっく、と押し殺したような笑い声をあげた。


「ちょっとは話ができそうだね、おじさん。

人生を分かってない奴ばかりだから退屈していたところだよ」

「少年は随分世の中をご存知のようだね、

ベッドに張り付いてばかりいるのかと思っていたが」

「まぜっかえすなよ。僕はよく人生を知っている。深い深いところまでだ。

たとえば、おじさんは本気で人を殺そうと思ったことは、あるかい?」

少年の目にはある光が浮かんでいた。自己顕示欲と破壊欲に歪んだ光だ。

若い奴にはこういう種類の人間がよくある。この世の全てが思いどおりになると

信じ込んでいるのだ。

「幸いなことに、ないね」

あるとしたら、それは今が初めてだろう。

「不幸なことに、ないのかい」

いいかい、と少年は続けた。諭すような口ぶりが腹立たしい。


「よく漫画や小説で、殺意を抱いた人間が相手に激昂し、血管を浮かび上がらせているけれど、

あれは嘘さ。本当の殺意はね、もっと静かなのさ。声が遠くなる。

血はむしろ下がって、頭はまっしろだ。怒りはない。怒りと殺意はまったくの別物だ。

声は遠くなるが、映像はとてもビビッドでそしてスローリーになる。相手の瞬きも分かるほどだ。

殺してやる、なんて意気込みはない。落ちた消しゴムを拾うのと同じくらいの気軽さだよ。

あるいは、家に帰ってから靴下を脱ぐのと同じくらい、決まりきったことのように、

ただ殺そうと思うものなんだ」


早口に少年はまくしたてた。少年の体からは淀んだ熱が放射されているかのようだった。

ベッドに縛られていても、肉体は若いのだ。

行き場をなくしたエネルギーが湧き上がっているようだった。


「でも君に、人は殺せない」

「そりゃあ、僕自身の体では無理さ」

少年は腕をあげた。

袖がはらりとまくれると、枯れ枝のような白い腕が露になった。

「けど僕には、これがある」

少年は誇らしげにパソコンを持ち上げてみせた。

「これで僕は人を幸せにも不幸にもできる。もちろん殺すこともだ」

「ほう、それは物騒だな」

いい加減この不毛なやりとりにうんざりだ。

煙草の煙を少年の顔に吹きかけると、パソコンを取り上げて、

彼の手の届かない窓際の台の上に置いた。

「こうしたら、どうなるんだい?」

「返せ、この野郎、殺すぞ」

少年は激昂して叫んだ。


「おや、殺意って奴はもっと静かなものじゃなかったのか」

そう吐き捨てて病室を出ていこうとすると、

いきなり停電したように目の前が暗くなった。頬に痛みが走った。

前を向き直すと、興奮した様子の若い女の看護士が立っていた。


「なんてことをするんです、祐一くんの宝物に」

看護士は窓際に走ってパソコンを取り戻すと、少年の下に返した。

「病室で煙草まで吸って。どういう了見ですか」

脳天に突き抜けるような声だった。女と子供は腕力がない分、とにかく声を出す。

「女性に平手打ちを食らったのは、そういえば人生で初めてだ」

笑ってみたが女は笑わなかった。笑うところではどうもなかったらしい。

こっちとしては、笑うしかない気分だったのだが。


とにかく編集長に報告しなければならない。

編集長が見つけてきた金の卵は、

誇大妄想持ちのひねっくれたクソ餓鬼で、

原稿なんざ便所紙にもなりゃしません。

編集長の怒りに任せて灰皿を投げつけてくる姿が目に浮かぶ。



「失礼したな」

出ていこうとする私に、少年の方から声をかけてきた。

「おじさん、いいぜ」

振り向いたが、左側の視力がまだ戻らない。女め、思い切りひっぱたきやがって。

面倒だが、体ごと向き直して、少年を見返した。


「なにがいいんだ」

「連載の件だ。やってやるよ」

「祐一くん、よしなさいよ。他のところにしたほうがいいよ」

女は首をぶんぶん振った。興奮が解けて怖くなってきたのか、声がうわずっていた。

男をひっぱたいたなんてことは初めてだったんだろう。

「いいんだ、面白いじゃないか」少年は言った。


「僕の力を見せてあげるよ」

今構想中の小説を、あんたのところから連載してあげようじゃないか。

少年は痩せてくぼんだ瞳をぎろりと向けてきた。

「タイトルも決めてある。ハッピー・エンディングだ」

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