4. 不審
私は、寮の合鍵を全室分、持っている。
リッセーの話を聞いてから、社畜業をこなしつつ、考えていた。私の勤めるこの会社は、正常なのだろうか、と。
……答えは、もちろん、否だわね。
小野君は、結局出社しなかった。
怪しいのは、白峰専務の、あの言い様。何か知っているに違いない。
でも、あれは、探るな……との警告なんでしょうね。それを、リッセーの話で確信させられた。
……最悪よね。
「あら、今日も残業? 仕事が出来ないって、大変ね」
鞄を手に取った戸田部長が、机の脇を通り過ぎる――ところで立ち止まった。別に、頼んでないのだけど。
「戸田部長。お疲れ様です。お帰りですか?」
すっと顔を上げて、精一杯にこやかに返した。
「そうね。あなたとは違うから。無駄に残るなんて、無能のすることよね。シュガーとか年下の女子社員に呼ばれるだけあって、甘っちょろいわね」
戸田は、嫌味ったらしい笑顔を張り付けて、見下す目線を送ってきた。
……甘い、か。
それも処世術、よ。
「……そう、ですね。お気をつけて」
逆らうと面倒臭い事になるのは、重々承知している。
言葉を吞み込んで、社交辞令だけを、音に乗せた。
本心だけ伝えるなら、事故れと言いたい。でも、私には、戸田に早く帰って欲しい理由があるのよね。
「せいぜい頑張りなさいな。無能は無能らしく。あ、こっちには迷惑かけないでね? 無能さん」
そう言い残して、戸田は帰っていった。
どうやら挨拶というのは、嫌味のことだったらしいわね。知らなかったわ。
本当、素晴らしい会社ね。どうやって成り立ってるのか。全くもって謎よねぇ。
ふぅ……と、深く息を吐いた。
そして、目的を遂げるべく、立ち上がる。
寮の関係書類、記録……それと、ブレイブ。
ここが会社である以上、取引には書類が必須。本当にブレイブが半グレなら、許される話じゃない。
書類棚に目をやる。
先ずは、車両管理帳簿を探す。
「……これね」
社用車は、全部で八台。
ブレイブから購入し、管理を任せているものは、半数の四台。帳簿は各社分、二冊あった。
ブレイブの車両管理台帳を開く。
「……え? ちょっと待って……」
月々の項目は、"保守契約金"とだけ銘打っての記載があるだけだ。それも、金額が四十万円。一台当たり、月に十万円ということになる。そんな金額、ありえない。
もう一社の分を見ると、やはり月に一万円だ。保守費のみでこれは、明らかにおかしい。
戸田は、こんなものを計上しているのかしら……。
どうやって?
リース契約なら、分かる。でも、それなら勘定科目が違う。それに、購入のはず。
購入時の金額を探そうと、各車両管理台帳を、それぞれ順番に見ていく。
四台とも、中古車だ。走行距離が異なるはずなのに、購入金額は全部同じ。三百万円だった。
高級車なら分かるけど、ただの商用バンが、そんな金額だなんて、ありえるわけがない。
――やはり、おかしい。こんなもの、もし税務調査が入れば、追及は免れないけど……。
そして、もう一件気になっていること。
それは、寮の管理運営についてだ。固定資産関連の帳簿棚を漁る。
「……あ、あった。南嘉手納荘」
形式上は、アパートなのだ。会社負担分の経費が当然発生する。台帳は必要だ。
例の部屋番号は四〇二号室だが、あの寮は二階建てだ。五棟あって、各階三部屋。つまり、三十部屋ね。
単身向けで、若者の入居者が多い。現在、空きがあるのは、四号棟だけ。
ぱらぱらとページをめくれば、これもまた驚愕させられる内容だった。
家賃収入として、一万円。そして、入退去の際のクリーニング費が、四号棟だけ百万円だった。何故、四号棟だけ……。
他の棟は、十万から二十万だ。そんなものだろうと納得出来る。百万円なんて、特殊清掃より――。
「……特殊、清掃……?」
つい、独り言が漏れて、ハッとした。そういうこと……だったのかもしれない。
小野君は、本当に……?
ドンドンと、頭の中で音が響いた。
呼ばれている……気がした。
私は、台帳を元通りに片付けると、合鍵を手に取った。
▽
時刻は二十一時。一階へ降り、喫煙所前を通ると。
「お、佐藤さん。おつかれー。今日も残業だったん?」
暗闇から、声がした。
「リッセー。……お疲れ様。まぁ、いつも通り残業よ……って言いたいところだけど」
「ん? 帰る、ってわけじゃなさそうだよな? 鞄ないしさ。休憩?」
「休憩、したいけどね。気になることがあってねぇ。ちょっとお出かけ、かな」
「……気になること? もしかしてさぁ、小野がらみじゃないよね?」
リッセーの声が、一段低く、そして物凄く小声になった。
「……はぁ。勘がいいのも、大概ね……」
「おっと。マジかー。白峰専務に釘刺されたんだろ?」
「……そう、なんだけど、ね……」
「あー……。おけおけ。ちょっと、コンビニ行こう!」
「え? なんで?」
「いいから! さー疲れたなー! 今日もいっぱい働かないとだしなー」
リッセーは、大きな声でそう言いながら、背中をぐいぐい押してきた。仕方なくそのまま外に出る。
「……ちょ、ちょ、ちょ、なんなの? どうしたの?!」
「……いいから、黙ってコンビニ」
わけもわからず、その言葉に従った。
▽
会社から徒歩圏内のコンビニは、二軒ある。そのうちの、少し遠い方に連れて来られた。
「で、リッセー。さっきの、なに?」
「あー……。あの社屋、盗聴されてるかもなーって思っててさー」
「……ええぇ?! 盗聴?! コンプライアンスどうなってるの?!」
「そういうのは、白い会社さんだけの話っしょ。漆黒企業なんて、そんなもんだろー」
「いやいや、そんな、盗聴なんて、犯罪でしょ……」
と、口にしたところで、気が付かされた。さもありなん、と。私はさっき、見つけたのだ。種類は違うが、犯罪とされるものの一端を。
「白峰派が仕掛けてるのか、中村派が仕掛けてるのか、社長派が仕掛けてるのかまでは、知らんけどさー」
「派閥争い? 盗聴までして……?」
「そうねー。推論ではあるけどさー。金が集まるところには色々ありがちだろ?」
「そ、そうね。でも、そんなの、誰が……」
「うーん。まぁ、デジタル的な事に一番強いのは、中村本部長だけどな。それに、力関係としては、社長や白峰には及ばないだろ? だから、怪しいよな」
「確かにそうね……」
「とはいえ、白峰もヤバイ連中との付き合いがある。そういうやつを介せば、盗聴器程度仕掛けられるよな」
「ああ、そうかも……」
「社長は社長で、代替わりしてから、そんなに経ってない。曲者しかいない会社を統制しようとしたら、そんな手を使うかもなぁ」
「ありそうね……」
「とにかく。なーんか、社内の会話、他の誰にも言ってないはずのことを、知ってるやつらがいるんだよなー」
「えっ、じゃあ、あの喫煙所の会話も……」
「うーん。今のところ、喫煙所の会話が知られてるなーって感じたことはないけどさ。てか、コンセントないしな、喫煙所。小声なら、危険性は低いと思うけど。でも最近のは高性能って聞くからなー。警戒に越したことはないのかもなー」
「……そ、そう」
「てかさ。オレ、佐藤さんは、まともな人側だと思ってるからさ。警告しとくよ。裏の人間とは、深く関わらない方がいい。好奇心、猫を殺すってね。……帰りなよ」
……真剣な、目。珍しい、顔。気圧されそうだった。
「え、で、でも……不審点、見つけちゃったし……」
「そりゃ、不審しかないだろ、こんな会社さぁー」
「……だから、告発も視野に入れて」
私の言葉に、リッセーは腕を組んで、首を傾げた。そして、小声で呟いた。
「あー……。うーん。そっか。……まぁ、今日なら、ギリ大丈夫かなぁ……」
「ん? 大丈夫って?」
「いや。もし小野が消されたのが、土日の間なら、その間に一旦の清掃をしてるはず。でも、こんな夜に工事はしないだろ。白峰が"手配する"って、言ってたんだろ? 子飼いの業者を使うにしても、すぐには人が集まらんだろうしなー」
「……なるほど」
「たぶん、決定的なものだけ持ち出してるくらいだろ。つってもさ。あそこ、監視カメラあるぞ? マジでいくの?」
「あ、カメラ……そっか……」
もし、白峰に見られたら……。ぞくりと、寒気がした。
「そのカメラ映像も、役員権限持ってないと、確認すら出来んしなぁ……。さすがにデータ書き換え出来るようなスキルも、ハッキングスキルもオレにはないしさぁ」
証拠探しだ、なんて。考えなしに来てしまった。
朝は、業務命令として行ったから平気だったんだろうけど……。
どうしようかしら……。
ん? 朝……?
「あ。じゃあ、私が忘れ物をして、取りに行った……という言い訳ならいいんじゃない? 朝、行ってるからね」
「あー。なるほどねー。んじゃ、細かいものって事にするか」
「……細かいもの? なんで?」
「え? 探すのが大変なものだったら、そこそこ時間かかっても変じゃないだろ? カフスボタンとか、ピアスとかさ」
「なるほど……?」
「よっし。じゃあ、オレも付き合うよ」
「ええ?!」
「夜食奢ってもらったら、手伝いを頼まれた、ってことでさ。普通の流れだろ? 堂々と行こうぜ。もちろん、夜食は買ってくけどな。そういう小さな事も、大事だかんなー」
こんなにポンポンと考えつくなんて。頭の中、どうなってるのかしらね……。
「でも、わざわざ……」
コンビニに入っていくリッセーに、私も続いた。
「ハハッ……。オレもまぁ、ついでに、さ……」
「えっ?」
「なんか出なそう、だけどな? ハハッ。夜食、選ぼうぜー」
「う、うん」
あの部屋に独りで行かなくて済んで、少し……ほっとした。
黒い、あの部屋……。
脳裏によぎって、身震いがした。




