三 会議と検事
明希はボウガンで肺を貫かれ、窒息状態に陥ったが、命に別状はない。
医師は出血と肺への血液貯留による後遺症の可能性を指摘し、しばらく意識が戻らないと環に説明した。
「本件は警官を狙った反社会勢力によるテロ事件も視野に捜査を進める」
県警本部に設置された捜査本部は、刑事部のみならず公安、警備と幅広い部局が合同で捜査に当たることになった。
県警本部長が捜査本部長を務めるのは、事件が重大であることを捜査員だけではなく、犯人にも伝える意味があるのだろう。
あたしには関係ないけど。
「関根君!」
会議が終わると、あたしはフラフラと立ち上がった。
いろいろありすぎて疲れ切っていたが、あたしは捜査に向かわないと。
一人でも、やってやる。
あたしが決心を固め、捜査本部を出ようとしていると、上司の内野課長に声をかけられた。
「なんでしょう?」
ゆっくりと振り返ると、課長は見知らぬ男と立っていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
多分、そうは見えなかったかもしれない。
この際、そんなことはどうでもいい。
「一人で行くつもりか?」
「仕事ですから」
我ながらぶっきらぼうに言い切ったものだ。
もっとも、気を使うことなど、頭にぜんぜんなかったからしょうがない。
「許可できない」
別にあたしの態度が気に障ったワケじゃないだろうけど、いつになく課長は厳しい声で答えた。
「なんでです!」
「今回は警官を狙ったテロの可能性もある、単独行動は許可できない」
「じゃあ! 課長が、課長が一緒に行ってくださいよ!」
自分でもびっくりするほど大きな声が出た。
捜査本部に残った全員が、振り返ってこちらを見た。
今日は一日中血だらけの服で人目を引いている、十数人ほどの視線など気にもならない。
「君は、今日は帰るんだ」
「えっ?」
課長も負けてはいなかった。誰からの視線も気にせず、強くあたしを見返すと、続けた。
「その血だらけの服で、どこに行くつもりだ」
大きな声ではなかったが、その声は静まりかえった捜査本部に響いた。
あたしにも。
そして、返す言葉がなかった。
「仇を討ちたいのはわかる、だが今日は休め」
「はい……」
くちびるを噛み締めるしかなかった。
今のあたしは、どこにも行けない。
「明日からこの人と、一緒に行動してもらう」
悄然とするあたしに、課長はかたわらの中年男性を紹介した。
「一ノ瀬正義です」
刑事には見えない男だった。
あえて言えば弁護士のような雰囲気があるが、警官には見えない。
「こちらは?」
「一ノ瀬さんは、地検の検事だ。本件の捜査を担当する」
捜査検事。本部事件の捜査状況を管理して、法的に捜査が適正か、必要なら補充捜査を行うのが彼らの仕事だ。
「検事さんとですか?」
「おっさんですみませんね」
一ノ瀬検事はボケなのか、本気なのか分からない笑顔で言った。
角ばった顔と短く刈り込んだ頭に、笑い皺の多い顔はどう見ても検事には見えない。
「一ノ瀬さんも単独行動には不安があるそうだ、申し訳ないが、君なら任せられる。通常通り捜査を行なってくれ」
「はい」
「どうぞよろしく」
一ノ瀬検事が頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
あたしも慌てて頭を下げる。
どうも彼のペースに乗せられて、調子が狂う。
「明日からよろしく頼むよ」
「……はい」
あたしは、捜査本部を後にすると課長が手配してくれたタクシーで帰宅した。
「ただいま……」
帰ると、散らかった部屋には誰もいなかった。
どさっと、荷物を落とすとあたしは倒れるように膝をついた。
これから、どうしたらいいのか。
ふと、脱ぎ散らかしたルームウェアを手に取る。
もこもことした手触り。
あたしが明希さんにあげた、パジャマ兼用のルームウェアだ。
失っていたかもしれない、私の大切な人の服だ。これを脱ぐまで、元気に話していた、大好きな明希さんの……。
両手で握りしめると、まだ明希さんの温もりがあるような気がした。
この温もりが、今日失われかけた。
まだ、失うかもしれない。
出会ってから今日までの事が、猛スピードで頭の中を駆け巡った。
話したことや、行ったところ——解決した事件。
まだ言えない言葉、解決しない関係。
あたしは、明希さんのルームウェアに顔を埋めると。
もう一度、この事件で二度目の涙を流した。
次回は8月11日午前8時に公開予定です