一 事件半日目
女性刑事の関根環と上司の楡松明希は部屋をシェアするコンビ。
環は明希のことを恋愛対象として、意識し始めていた。
二人ともビアンで女性、あとは環が踏み出すだけ……なのだが。
そんな二人が休日に事件で呼び出しを受ける、地検の一ノ瀬検事を巻き込んだ事件の行方は? そして二人の関係は進展するのか?
「環君さ、もう少しスピード出せないかな?」
「私物ですよ、この車。出せるわけないじゃないですか!」
新緑も目に鮮やかな初夏の夕方。
あたしは、なるべく法定速度を守りながら車を飛ばしていた。
「せっかくの休みなんだから、殺すを明日まで待って欲しかったよ」
助手席ではあたしの上司兼同居人兼片想い中の楡松明希警部が、ぶつぶつ言っている。
さっきまでネットの配信サービスで、映画なんかをダラダラ見ていただけだが、ブツブツ言いたくなるのも無理も無い。
あたしだって、あのままダラダラ映画を見ながら二人で休みを満喫したかった。
いくら警察官だって、好きな人と一日一緒にすごしたい。
まあ、今も一緒っちゃ一緒なんだけど。
明希さんは、150センチ台の身長と栗色の癖毛の童顔。すごく可愛いのに、めちゃくちゃ口の悪い女性だ。
色々あってあたしたちは一緒に暮らしている、いわばバディ以上恋人未満の警察官だ。
お互いにビアンであるので、何の障害もないけど、あたしがまだ踏み込めていなかった。
「偉い人なんですよね? 殺されたの?」
あたし達は、緊急の呼び出しで事件現場に急いで向かっている。
「何だっけな? 県警の部長だったと思うよ」
明希さんは、全然思い出せないという顔をした。
「明希さんって、県警にいましたよね?」
「いたけどさ、関係のない部署の人とか覚えないよ」
まあ、言われてみるとそんな気もしなくもない。
「偉い人の名前なんて、出世に興味があるヤツだけだよ。覚えるのは」
「それは言い過ぎですよ」
目的地が見えて来た。
「県警本部の目の前で犯行に及ぶとは、大胆な犯人だな」
「変な関心しないで下さい」
あたしは強引に車を曲げると、県警本部の駐車場に車を停めた。
「乱暴だな……」
「早く行きますよ」
あたしは、ぼやく明希さんの袖を引っ張りながら急いだ。
「袖を引っ張らないでくれ」
「じゃあ急いで下さい」
あたしは、明希さんの袖から手を離した。
本当は、手を握るのが恥ずかしいから袖を引っ張ったのだけどそれはナイショだ。
事件現場は野次馬と捜査員で溢れて、交通規制をしている制服警官も大変そうだった。
「遅れました、関根巡査部長と楡松警部です」
警察手帳を示しながらあたし達は、規制線を潜った。
鑑識員が現場に集まって活動しているところをみると、あたし達の出番はまだの様だ。
遺体は搬出されないで、現場に倒れたままだった。
「どんな感じなんだい?」
顔見知りがいたのか、明希さんは近くにいた県警の刑事に声をかけた。
「楡松警部! 来ちゃいました?」
中年のいかにもベテラン風の男性刑事は後半は小声になりながら答えた。
「ここは管轄なんだよ、残念ながら」
「知ってますよ」
ベテラン風刑事は、チラッと周りを見渡すと答えた。
「管轄署の刑事も来てますしね」
「で、どうなんだ?」
ベテラン風刑事はわざわざ腰を屈めると、背の低い警部の耳元で囁き始めた。
「被害者は、県警の今治義孝警視正。総務部長です。知ってます?」
「知らんよ」
「俺もです。背中から一突きでやられました」
「いつ頃やられた?」
「午前中です、十一時から十二時」
「今、夕方だぞ」
明希さんは不審そうに聞き返した。
ちなみにあたしも腰を屈めながら、話を聞いていた。
話が長引いているので、腰が痛くなってきた。
「それが、あの中に隠されてたんですよ」
ベテラン風刑事は、歩道上に設置された簡易トイレを指差した。
「扉の下から液体が流れてると言う通報があって、所轄の警官が確認に行ったら見つかったんですよ」
「なるほど、いない事に誰か気が付かなかったのか?」
「今、聞いてるとこです。出張の予定だったとか、予定を把握してた感じなんで、こりゃ内部に犯人がいますよ」
「半分は解決だな」
「まさか、冗談ですよ。それより警部、この事件は当麻警視が仕切りますよ」
ベテラン風刑事の言葉に、明希さんは珍しくギョッとした顔をした。
「冗談じゃない、佳子とは顔を合わせたくない」
「誰です? その、当麻警視って?」
「県警の管理官だよ、って言うか君は誰だ?」
ようやく、あたしの存在に気がついたベテラン風刑事が聞いた。
「あ、警部とコンビを組んでる関根巡査部長です」
「君か、噂は聞いてるよ」
どんな噂なんだ。
「とりあえず、警部。やり過ごして下さい、警部じゃなくても、解決できる程度の事件ですよ」
「誰が、何をやり過ごすの?」
頭上から冷たい声が降り注ぐ。
あたし達は中腰のまま、声の方向を見上げた。
「いや、その、お疲れ様です警視」
途端にベテラン風刑事は直立すると、敬礼した。
しどろもどろだし、左手は腰に添えてるし。やっぱり痛かったんだ。
「小暮さん、向こうであなたを探してたわ」
ベテラン風刑事は、小暮と言う名前らしい。
「は、では失礼します」
バタバタと小暮刑事は立ち去ってしまった。
小暮刑事がいなくなると、声の主——ロングヘアの美人は、ものすごい威圧感をまとって明希さんに向き直った。
「久しぶりね、明希」
「あ、ああ」
あの明希さんが、あからさまに動揺している。普段は上司の言うことなど、どこ吹く風のくせに。
「あなたが、関根環巡査部長?」
「あ、はい」
彼女の矢印は、突然あたしに向かってきた。
紺色のスーツに、シワ一つないワイシャツ。 デキる女のオーラをバリバリに醸し出していて、これは確かに明希さんとウマが合わなかったろうと容易に想像できた。
今でこそ警部のワイシャツやズボンは、あたしがアイロンをかけているからヨレヨレではないが、まとまらない癖毛があちこち自由に広がっている。
おやすみだったから、セットし損ねただけなんだけどね。
「なるほど、あなたがね……」
値踏みするように、ばっちりメイクされた顔があたしを眺めた。
「楡松警部には、ご指導を頂いております」
刑事としては、無難な答えを口にしたつもりだ。『お世話になっております』とか『目にかけて頂いております』みたいな、社交辞令だし。
「ふぅん」
美人は、相変わらず含みのある声で答えた。
これって、あたしも明希さんの同類に入れられてる?
地味だけど、まあまあちゃんとしたスーツだし寝癖も治して、メークも一応してきた。
はずだ。
どっか抜けてるかな? と手鏡を出すわけにもいかないので、警官らしく直立不動の姿勢で次のお言葉を待つしかない。
「真面目そうね」
「ありがとうございます」
なんだ、バイトの面接か? とりあえず礼を述べたりしたものの、いつまでも眺められるのも不愉快だ。
何より、明希さんを嫌っている事を隠そうともしないところが、気に食わない。
「この子が新しい、宿主なのね」
確かに、部屋をシェアしてるけどそんな言い方なくない?
さすがに頭に来たあたしは、一言文句を言おうと口を開きかけた。
「彼女とは、仕事上の関係だけだ。君に口を出されるようなことはない」
あたしが何か言うのを遮るように、明希さんが抗議した。
仕事上の関係。なのはちょっと寂しいけど。
「そう、『仕事上』ね。私、あなた達の上司なんだけど」
嘲るように唇を歪ませると、彼女はあたしに目を向けた。
「気をつけなさい、この人に何もかも奪われるわよ」
そう言い捨てると、美人はくるりと背を向けて県警の刑事達のいる方へ向かって行った。
「あれが当麻警視ですか?」
「ああ」
心底げっそりした顔で、明希さんは答えた。
「県警のエース、キャリア組だから、そろそろ他所に行ってくれるはずなんだが……」
うわ、嫌なエリートだ。
「何かあったんですか?」
「言いたくない」
明希さんが珍しく困った顔をしているものだから、逆に追い詰めたくなった。
「元カノとか?」
「え、いや、知ってるのか?」
冗談のつもりが、地雷を踏んだようだ。
「もう別れた、今は関係ない。本当だ」
「そんなに言い訳しなくても、あたし達つきあってるわけじゃないですから」
ウッ! 自分の言葉に地味にダメージを受けた。
今カノ立候補中の身としては、あの女を許すわけにいかない。
「あ、ああ、そうだな」
明希さんは動揺を隠しながら、うなずいた。
納得されても傷つくな。
女同士だって、昔の女とか出てくればそりゃ動揺するし、何があったか知らないけどああ思わせぶりだとモヤモヤする。
まして、あたし達はまだつきあっていない。
ホント、ムカつくわーあの女!
「そろそろ入ってよさそうですよ」
あたしは、なるべく感情が出ないように明希さんに声をかけた。
あの女のせいで乗り遅れた。現場に目を移すと県警の刑事達が、男の遺体を取り囲んでいた。
当麻警視がいないのを確認して、あたし達も遺体に近寄った。
「本当に一突で殺してるな」
スーツ姿の遺体は、うつ伏せに倒れている。その背中は血が固まりかけて、動かすと音がしそうなほどだった。
「見たまえ、一箇所しか切れてない」
スーツの左側、肩甲骨の下あたりに鋭い刃物で斬られたらしい跡が残っていた。
「よくまあ、一回で刺し殺せましたね」
「前ならともかく、後ろからだ。素人にしては腕がいい」
前からならば、心臓の場所は把握しやすい。逆に背中からだと、肩甲骨が邪魔で一発で仕留めるのは至難の技だ。
犯人は何らかの訓練を受けた事のある、プロの可能性がある。
何らかっていっても、護身術からCQCまで、何でもありだけど。
「いいですか、持っていきますよ」
待ちかねた鑑識が声をかけてきた。
「いいよ、やってくれ」
被害者の遺体が運ばれて行き、後には白い枠だけが残された。
「詳しいことは、検視待ちか……」
少なくとも、刃渡十五センチ程度の刃物を使ったぐらいしか今のところはわからない。
「しかし、トイレの中で殺されたくはないな」
明希さんは、そう言いながら簡易トイレの前に立った。
トイレは道路と水平に置かれ、ご丁寧な事に街路樹に固定されている。ちょうど扉の前に立つと県警本部とは、直角に立つことになる。
「まったく、無駄に大胆だな」
そう言いながら、明希さんは県警本部の方を向く。
つられてあたしも、本部の方を向いた。
すぐそこにある県警本部の窓には、警官や事務官が群がってこちらを眺めていた。
事件現場なんて、珍しくも無いだろうに。
とはいえ、こちらは見られる事には慣れていない。
気恥ずかしさも手伝って、そそくさと簡易トイレの道路側に向かう。
「これはなんだ?」
あたしが道路側に回ると、明希さんはそう言いながらトイレの中に足を踏み入れようとした。
だが、足を踏み出す前にあたしにもたれ掛かるように倒れた。
もたれかかる? いや、何かに突き飛ばされたような強い力で押されたのが、受け止めたあたしにはわかった。
「警部? どうしました?」
「環君……気をつけて、これは……連続犯かも……」
真っ青な顔で、答える明希さんの右脇には棒のような——いや矢が刺さっていた。
「警部! 明希さん!」
「環……はじ……」
そこまで言うと、明希さんの意識は途絶えた。
次回は8月6日水曜日午前8時に公開予定です。