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24 ローゼワルテでの

前回のあらすじ・ディートハルトは自分の一周目が、前世で関わっていた小説『アリスフォード戦記』のラスボスだということを思い出した。

◇◇◇


 ローゼワルテでの日々は、一周目のそれをなぞるように、胸が痛くなるほど幸せで、光に満ちていた。


 一周目、最初にアタシがネムと出会ったとき、アタシは、ちょっと生い立ちが人とは違うだけの、ただの子どもだった。

 公爵家から逃れ花街に身を隠した母レガリアは、アタシを産み落としたのと同時に亡くなり、アタシは遊女をしていた母の元侍女・シエラ母さんの子、シータの妹として育てられた。シエラ母さんが亡くなってからは、シータと身を寄せ合って生きてきた。

 それなのに。


 『貴方の母君、レガリア様は伯爵家の血筋なの。伯爵が貴方を養子にしてくれる手はずが整ったから、ローゼワルテへ行ってちょうだい』


 ある日突然、大好きなシータからそう言われ、嫌だと泣き叫ぶアタシは伯爵の手でシータから引き剥がされた。

 シータと離れるのが悲しくて悲しくて、捨てられたんだと悲観して、ふてくされて、斜に構えて、この世の全てにイラついているような、自分のことしか考えていないただの子どもだった。

 小さな頃から、生家である公爵家が自分を邪魔に思っていることは聞いていた。

 シータは、アタシが食べるものは全部先に一口食べて毒味していたし、初めての客や出入りの商人にも異常に神経を尖らせていた。

 神経をすり減らすように生きていたシータは、子どものアタシから見てもだんだんと具合が悪そうになっていったから――アタシは、シータはもう疲れたんだと思った。

 アタシと一緒にいることに疲れて、アタシを伯爵家に売ったんだろうと。

 恨む気持ちは、不思議となかった。

 ただ、ただ悲しくて、寂しくて。 


『ディータは、わたしの妹なのです。お姉ちゃんが、ずーっとディータを守ってあげるのです』


 そう言われたときも、最初は内心イラッとした。

 アタシの姉さんは、シータだけよ。アンタなんか、シータの代わりになるはずがない。シータやシエラ母さん達が苦労していた間もただ呑気にののほんと可愛がられて生きてきた苦労知らずの貴族のお姫さまじゃない、ふざけないで、と。

 だから、ネムと一緒に慣れない野山を駆けまわったり、世話を焼いたり、笑い合ったりしたのは、単なる小賢しい狐の、打算と保身だったのだ。

 伯爵家当主が可愛がっている一人娘に気に入られたら、自分の伯爵家での立ち位置が多少マシになるに違いない、というただそれだけの。


 それなのに、ネムは無邪気にアタシを慕い、目一杯なついてくれた。


『ディータ、大好きなのです!』


 ネムは、毎日のように好きだかわいいとアタシに言い続けた。

 ちょっとでもアタシの姿が見えないと不安そうにして、アタシを見つけた瞬間に花開くように笑って、一目散に駆け寄ってくるネムの姿は、寂しくて傷ついていたアタシの心をこれでもかと温めてくれた。


『ディータ、今日もさいっこーにかわいいのです!』


 飛びついてくるネムの日だまりのような体温に、ささくれていた心が癒やされていく。

 伯爵もまた、シータやシエラ母さんがアタシをどれだけ大切に想ってくれていたか、アタシを死なせないためにローゼワルテに来させたことなどを、懇々と教えてくれた。

 まぁローゼワルテは尚武の家なので、今まで戦ったこともなかったアタシに、じっくりがっちり対刺客や対魔獣の戦闘を叩き込みながらだったけれど。


 楽しくて。


 ネムも、伯爵も、ローゼワルテの人達も、貴族の男の子らしくしなきゃとしゃちほこばっていたアタシを笑い飛ばして、ありのままのアタシを受け入れてくれた。

 アタシが女の子の格好をして、女の子みたいにしゃべるのを認めてくれた。

 ネムは、シータがアタシを呼んでたみたいに、ディータと呼んでくれた。

 伯爵は、『ディートハルト』という男らしい本名の他に、対外的に名乗る『ディアーナ』という仮名をくれた。


 スカートのままでの回し蹴り、ワンピースに仕込む暗器の使い方、戦う際のドレスのさばき方。

 ローゼワルテでは戦えることが重要で、アタシがズボンでもスカートでもドレスでも、その格好で戦う意志があるなら問題視されない。その服装に合った戦い方をレクチャーしてくれた。

 むしろ男性の貴族服より女性のドレスの方が仕込める武器が多くて良いと、伯爵はアタシの女装を褒めてくれさえした。


 出来ることが増えていって、少しずつ強くなって、最初は自分よりずっとちっちゃい子に簡単に転がされていたアタシが、同年代ともそれなりに戦えるようになって。まだまだ適わないはるか高みにいる伯爵をいつか越えたい、なんていう無謀な夢さえみて。


 アタシが初めて獲物を獲ったときには、ネムはもちろん伯爵も大喜びしてくれて、冷やして血抜きして、みんなで大騒ぎして食べた。小柄なイノシシだったから、一人一人が食べられた量は僅かだったけれど、みんな口々に美味しいと褒めてくれて。


 やんちゃなネムの後を追いかけて、令嬢らしくないネムの世話を焼くのも、いつの間にか本当に楽しくなっていって。

 一緒に転がり回って、獲物を狙って、強い魔獣からは息を殺して隠れて。泥だらけのネムをもっと大きな女の子達がお風呂に入れてくれて、今度はびしょ濡れで走り回るネムを皆で捕まえて、服を着せて髪を乾かして、髪をとかしてやって。くすぐったがってコロコロと笑うネムと本当にくすぐりあったり。

 夕飯を食べる前に船をこぎ始めたネムをなんとか起こしながら食事を詰め込んで、食べながら寝落ちしたネムの歯を磨いて布団に運んで。


 ローゼワルテに来るまで包丁なんて握ったこともなかったけれど、ネムに喜んで欲しい一心で料理も始め、お菓子も作るようになった。

 何を作っても、焦げても味がしなくても、いつもネムは幸せそうに食べてくれた。


 本当はアタシは虫が苦手だったけれど、ネムが捕まえたいと言えば一緒に捕まえたし、ワナも考えたし、飼い方も工夫した。


『ディータ、ディータ! ルーちゃんの翅が伸びきらなかったのです! くしゃくしゃのまま!』


 羽化を楽しみにしていたサナギが死んじゃったとネムが大泣きしたときには、一緒にお墓を作ったりもした。

 そうやってネムと一緒に虫に関わっていると、苦手だったはずの虫も、不思議とそんなに嫌じゃなくなって。カマキリの餌にバッタとかを捕まえるのも、ちょっと楽しいと思うようになったりして。


 アタシを殺したいと思っているはずの公爵家のことも、忘れかけるくらいに。

 ローゼワルテ領は田舎で、知らない人間が来たら領民から報告が来るくらいに目立つし、魔物が出るせいで普通の人間は近寄れもしない。

 アタシ自身も強くなった。

 アタシが初めて狩ったグレートボアは、Bランクの魔獣だった。

 公爵家の刺客を気にすることもなく伸び伸びと過ごす日々は楽しかった。

 アタシは、アタシという人間は本来こういう生き物だったのだと――地を蹴る足、風にそよぐ尾、獲物の音を良く拾う耳。アタシはこの地で、領主になったネムを支えて生きていく。そのために産まれてきたのだと――本気でそう思っていた。


「ねぇ、ディートハルト。ネムは君が大好きでしょ? 僕はね、君とネムが結婚して、ローゼワルテを継いでくれたらいいって、そう思ってるんだけど」


 ある日執務をしながら何気ない様子で向けられた伯爵の言葉に、アタシは一瞬詰まった。

 なぜかギシリときしんだ胸に、内心首を傾げながら、アタシは笑って首を横に振った。


「無理ですよ伯爵。公爵家の問題もあるし、何よりアタシは女として育てられた人間です。恋愛対象も男の人なんですよ。無理に結婚したところで、アタシなんて女男が相手じゃ、ネムが幸せになれっこありませんよ、可哀相です」


「えっ!? ……ごめんね、ディートハルト。僕にはマリアベルっていう命より大事な妻がいて君の気持ちには応えられないかなと」


「誰が伯爵に告白しました? アタシにも選ぶ権利ってものがあるんですけど」


 愛嬌のある顔に苦笑を浮かべて、伯爵はネムとそっくりの仕草で頭を掻いた。


「そうかぁ、それは悪かった。ディートハルトなら、ネムの虫博士になりたいって夢も知ってるし、領主の仕事はぜーんぶやって、ネムには伸び伸びとやりたいことをさせてくれると思ったんだけどなぁ。じゃあディートハルトは、ネムのお婿さんには誰がいいと思う? ゼイドとかどうかな、幼馴染みで気心も知れてるし」


 同じ部屋で書類整理を手伝っている同い年の家令見習いをチラリと見て、アタシは横に大きく首を振った。

 

「ダメですね。もっと顔が良くて、権力もお金もあって、資金難のローゼワルテを立て直して、ネムをめいっぱい愛してネムにも多少は愛されて、何があってもネムを守れるくらい強くて、ネムの虫好きと夢を理解してくれて……。アタシ達の可愛いネムには、国一番のいい男じゃなくちゃ」


 指折り条件を数えるアタシに、ゼイドはドン引きして、伯爵は楽しそうに笑った。


「こりゃ舅より厳しい小姑だなぁ。いるかな、そんないい男?」


「いますよ、きっと。デントコーン王国は広いですからね」


 しらっと言ってのけるアタシに、伯爵はさらに愉快そうに笑った。


 楽しくて。楽しくて。幸せで。

 ネムに、あんな結末が待っているなんて、夢にも思わなかったあの頃。


 そんなアタシの幸せは、十四の春に終わりを告げた。

 ネムだけが、王都に呼ばれたのだ。


「多分、マリアベルはもう、この夏を越えられないから。最期にネリームーアに会いたいって望んでるんだ」


 そう言われて王都に行ったネムは、戻って来なかった。

 伯爵は、公爵家を警戒してアタシには領地に残るように言った。

 アタシは待っていた。

 いつもの明るい声で、『ただいまなのです!』とネムが帰ってきてくれることを。

 けれど、一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、夏の盛りを過ぎてもネムが帰ってくることはなくて……


 今までネムを放っておいたくせに、最後の時だけ会いたいという奥さまを恨みすらした。

 今まで、ネムを大切に育ててきたのは、ローゼワルテの皆とアタシなのに。

 なんでネムを返してくれないのかと。

 暑さに弱い奥さまが、冷涼なローゼワルテではなく蒸し暑い王都にいるのはなぜなのか、その理由を考えることすらなく。


 奥さまは、領地に来ないのではなく、来られなかったのだ。

 貴族の妻子が王都に住むのは、王家への人質としての貴族の義務で、奥さまが亡くなってしまえばネムが人質として残るしかないのだと――アタシが知ったのは、奥さまが亡くなった後だった。


 ネムの人生が、狂いだした。


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