000 ショウ 2
前回のあらすじ・ショウのおばあちゃんが『アリスフォード戦記』を書き始めた。
◇◇◇
『アリスフォード戦記』のディートハルトはかっこよかった。
女装で、女言葉で、復讐に捕らわれた悪役なのに、芯があって自由で魅力的だった。
元々自分がモデルだったなんて信じられないくらい、アタシはディートハルトに夢中になった。ファンサイトで、自分が『アリスフォード戦記』に関わっているなんて欠片も匂わせずに、ファンの子達とディートハルトについて熱く語るのが何よりの楽しみになった。
けれど、二巻が発売される一ヶ月前。
眉尻を下げたおばあちゃんが言った。
「あのね、ショウちゃん。おばあちゃん、施設に入ろうと思うの」
青天の霹靂だった。
確かにおばあちゃんの目の病気は悪化していて、ほとんど外出もしなくなっていたし、買い物も料理もアタシがしていた。病院に通うのも介助が必要だった。おばあちゃんがずっと大切にしていた裏庭にある古いお社の手入れや掃除も、アタシが代わりにやっていた。
でも、住み慣れた家の中なら、ほとんど手助けもなく暮らせていたのに。
「もうすぐね、本当に見えなくなっちゃうらしいのよ、おばあちゃん。いつまでもショウちゃんのお世話になっているわけにもいかないでしょう? 目の見えないおじいちゃんおばあちゃんがいっぱいお世話になっている施設があるんですって。今ならちょうど空きがあるってお医者さんに言われたの。……ショウちゃん、ごめんね」
ショックで何を言って良いか分からないアタシの頭を、おばあちゃんが手を伸ばして手探りで撫でてくれた。
その仕草だけで、おばあちゃんがもう自分よりずっとちっちゃいのと、もうほとんど見えていないのが分かってしまった。
アタシがずっと目を逸らしていただけで、本当は、おばあちゃんにはもっと前から、専門の介護士さんとかヘルパーさんの手が必要だったんだろう。それなのに、おばあちゃんは不安定なアタシのためにこの家に残っていてくれていたんだ。
そう思うと、『ずっとこの家にいて』なんて言えなくなってしまった。
「そっか……寂しいけど……いっぱいいっぱい会いに行くからね。ディートハルトの話は、アタシが打ちこまなきゃなんだし。ずーっと元気でいなきゃ許さないんだから」
おばあちゃんは顔をしわくちゃにして笑って、この家はショウちゃんに譲るから、お父さんのところに行くのも残るのも好きにしてね、と言ってくれた。
アタシはもちろんこの家に残ることにした。この頃には、もう母さんがアタシを迎えに来ることはないし、母さんはどこかおかしかったって、薄々分かっていた。
舞台のセットみたいな、整っているけどどこか空々しいあの家にはもう戻りたくなかった。古いけど温かい、おばあちゃんの家を守りたかった。
◇◇◇
一ヶ月が経ち、アタシはおばあちゃんの代わりに荷物をまとめて、タクシーで施設まで一緒に行った。何度も見学させてもらった施設は新しくて全室個室で、古いおばあちゃんの家とは違って、手すりやバリアフリーも完璧だったし、目の見えないお年寄りに合わせて、僅かなひっかかりすらない造りになっていた。
アタシは職員さん達に笑顔を振りまいて、おばあちゃんをよろしくお願いします、って全員にお願いして回って――……一人になった。
毎日でも会いに行くつもりだったのに、それから間もなく世界規模の病気が流行って、施設は全面的に面会禁止になってしまった。
寂しい。
おばあちゃんがいないと、料理をする気にも洗濯をする気にもならなくて、段々と生活は自堕落になっていった。
家にはゴミ袋が溜まって、庭も草ぼうぼうで。ご飯はコンビニか栄養食。
そんな時――アタシはコンビニ帰りに、一匹の野良猫を拾った。
違う。黒い野良猫みたいな子どもだ。
暗闇の中で、街灯の明りに目を光らせて、無表情にただ公園の滑り台を見ていた。
季節に合わない薄着の、まだ幼稚園生くらいの子どもが、日も落ちた公園にたった一人いるのがあまりに不自然で、父さんが事件を起こしたときの耳を塞いでうずくまっていた自分がなぜか重なって……アタシは思わず声をかけていた。
「ねぇ、ぼく、どうしたの? もう随分前に日が暮れたわよ? おうちは?」
家に送る、と言ってもその子は首を横に振る。
名前を尋ねると、小さな声で『ゆぅ、き』と聞こえた。
「アタシね、一回でいいから、小学一年生に『ショウ姉ちゃん!』って呼ばれてみたかったんだよね」
小学生の子相手なら鉄板だろうアニメのネタを振ってみたけれど、ユーキは良く分かっていないようだった。アニメとか見ないタイプらしい。
家に帰るのも警察に行くのも嫌がったユーキは、なんでか試しに家に誘うとすんなりと付いて来た。
もうここまで来たら乗りかかった船だと、アタシは家の中のゴミ袋を端に追いやり、流しに溜まった洗い物をジャブジャブ洗って、ジャガイモとタマネギの味噌汁を作った。
最近まともに買い物に行ってなかったから、芽の出たタマネギとシワシワになったジャガイモ、乾物のネギとワカメくらいしかなかったけれど、ユーキは目をパチクリさせつつ恐る恐る食べ始めて……一滴も残さず飲みきり、目を細めて『ほぅ』と息をついた。
「あったまった?」
ユーキはコクリとうなずいてから、ほんのちょっとだけ笑った。
「ありがとう、ショウねえちゃん」
それから、ユーキはアタシに懐いた。まるで他の誰にも懐かない野良猫が心を開いてくれたみたいで、アタシも楽しくなって世話を焼きまくった。表情が薄かったユーキが、段々と笑うようになって、たまに拗ねるようになって。
親からは放置されているものの、お金はたっぷりもらっているらしいユーキと、服を買いに行ったりもした。あれこれコーディネイトしてユーキをカッコカワイくしようとするアタシと、服にまったく興味がないせいで言われるままにカッコカワイイ服を着せられるユーキと。
楽しくて。
おばあちゃんと会えなくなって空いた心の隙間を、ユーキはすっぽりと埋めて温めてくれた。
趣味も興味も何もなかった真っ白なユーキは、アタシが勧めるままに『アリスフォード戦記』にもどっぷりとハマった。
どうやら親に本を読んでもらったことすらなかったようで、アタシが読み聞かせると、感情移入しまくって、時にはニコニコ上機嫌で、時には泣きそうになりながら『アリスフォード戦記』の世界に染まっていった。
ただひとつ困ったことは、何故か――本当に何故なのか、ユーキが『アリスフォード戦記』から虫に興味を持ってしまったことだった。
正直アタシは虫が得意じゃない。
ユーキがゴ○キーホイホイを買ってきて仕掛け、捕まえたゴ○キーを楽しそうに見ていたときには、思わず『寄るな触るなあっち行け!』と叫びながら逃げた。
ユーキがいる毎日は楽しかった。
何でもないことで笑って、悲しんで、大騒ぎして。
おばあちゃんは施設にいて、面会に行っても画面越しにしか会えない。
けれど相変らず『アリスフォード戦記』は続いていて、ボイスレコーダーをアタシが職員さんづてに預かり、吹き込んであるお話をアタシが文字に起こし、サイトに投稿したり編集さんとやり取りしたりした。
ユーキのことを画面越しのおばあちゃんに話すと、『いいお友達が出来たのねぇ』といつもの笑顔を向けてくれた。
そして、六年が経った。
不登校の中学生だったアタシは、その後通信制の高校を卒業し、美容師の専門学校に進学し、さらに劇団にも所属していた。
本当に小さな頃、アタシの夢は舞台俳優だった。父の出ていた舞台を母さんと見に行って、すっかり役者ごっこにハマった。けれど、父がああいう人だと分かって……母さんが『役者さんになりたい』とアタシが言う度に泣き出しそうな顔をする理由が分かったから、心の底に封印していた。
おばあちゃん以外の人と接するのが怖かったアタシが、接客業を志して、さらに忘れかけていた夢を再び抱けるようになったのは、ユーキのおかげだった。
ユーキが、何の打算も悪意もなく、血縁でもないアタシを慕ってくれたから。
出会ったときに一年生だったユーキは六年生になって、それでも相変らずうちに入り浸っていた。
栄養失調気味だったユーキを何とかしようと栄養学にも詳しくなったし、意外な自分の世話焼き気質にも気付いたし、不本意ながら虫の知識も増えた。
今日の夕飯はクリームコロッケにしよう。いっぱい食べさせているはずなのに、六年生の平均より小さいユーキには、積極的に乳製品を摂らせないと。
タマネギとトウモロコシを炒めて、小麦粉を加えて、牛乳を入れて。
クリームコロッケの中身はいったん冷やさなきゃいけないからと、かなり早めに用意を始めたアタシの後ろで、終業式帰りのユーキはランドセルを広げ、寝転んで学校からきたプリントを見ていた。
「やーだなぁ、夏休みが終わったら、公立中学に行く子はもう制服の採寸があるんだって」
制服、と聞いて古傷がズキズキとうずいた。あの時の――母の声と、中学の時のクラスメイト達の顔が、言葉が、フラッシュバックする。
……大丈夫、大丈夫。もうアタシは、あの時のアタシとは違う。だから、大丈夫。
アタシが動揺してるって、ユーキには知られないように。いつも通りのアタシでいなきゃ。
「早いわねぇ、あーんなにちっちゃかったユーキが、もう中学生なんて」
「やだよ中学なんて。制服になったら一年中スカートだよ? 虫捕るには、長袖長ズボンが一番なのにさ」
「大丈夫よぉ、最近の中学校じゃ女子もスラックスを選べるらしい……か……ら」
いつも通りでいよう、いつも通りでいよう、と心に念じていたせいか、勝手に口が紡ぎ出した言葉が、脳の上を滑り――それから、黒い染みのように広がった。
(スカート……って言った? え? え?)
「そっか、じゃあズボンで大丈夫かな。前に一回、『たまにはスカートはけよ』って言ってきた奴がいてさ、何かすっごい嫌で」
クリームコロッケの中身を煮詰めつつ、何も言えなくなったアタシの後ろで、ユーキはウトウトしだし、そのまま畳に突っ伏して眠ってしまった。
ガスの火を消して、アタシは眠っているユーキの側にペタンと座り込んだ。
「ゆーき……おん……なのこ……だった、んだ……」
ずっと、ずーっと、出会ってから今まで、アタシはユーキを男の子だと思い込んでいた。
出会った頃、髪はボサボサだったけれど、確かに男の子にしてはちょっと長かったかもしれない。服は男の子のものだった気がする。
髪はいつも短かったし、男の子の服と靴を履いていたし、ランドセルだって茶色で……
って、当たり前だ。ユーキの髪を切っていたのはアタシ、男の子だと思い込んで服をコーディネイトしていたのもアタシだ。茶色のランドセルなんて性別は関係ない。
「アタシは、今まで何を見て……」
アタシは初めて、ユーキの荷物を勝手に漁った。
ランドセルの迷子札に、名前と住所、親の連絡先が載っていた。
『田鷺柚希』
ユーキだと思っていたこの子は、ユズキだった。
アタシは今まで、家族同様に思っていたこの子の、本当の名前すら知らなかった。
住所は、あの公園近くのタワーマンションの高層階。
アタシがあの時声をかけさえしなければ、決して重なることのなかった人生だ。
あの瞬間……ユーキに『スカートを履けば?』と言ったらしい同級生に、アタシは確かに嫉妬した。
ユーキに、アタシ以外の世界があることに。アタシが気付かなかった『おんなのこ』なユーキに先に気付いていた同級生に。
そうしてアタシは絶望した。
ユーキが女の子だと知って、歓喜した自分自身に。
ずっと、アタシは覚悟してた。
ユーキはアタシに懐いてくれているけれど、本当は親の愛情に飢えているだけ。アタシにとってユーキは家族同然で、かけがえのない存在になったけれど、いずれ親代わりなんて必要なくなったとき、ユーキはアタシの元から巣立っていく。アタシはそれを笑顔見送らなきゃいけない、と。
分かっていたはず。それなのに。
一瞬だけよぎった、浅ましい願い。
アタシが男でユーキが女の子なら。ほんの僅かでも、二人の先が重なる未来があるかもしれない――……
そんな自分自身に、怖気が走った。
アタシは、『性同一性障害』のつもりで、女の格好をして、女の言葉をしゃべって、『ショウねえちゃん』としてユーキに慕われていたのに。どうしようもないほど、アタシは、男だった。
母さんが嫌悪した、男だった。
「ごめん……ごめんね……」
全身に鳥肌が立ち、カタカタと震えが来た。
気持ち悪い。なんて気持ち悪い奴なんだろう、アタシは。
ユーキ……柚希はまだ小学生で、アタシはもう成人した男で。
母さんの声がフラッシュバックする。
『変態』『気持ち悪い』『犯罪者』『変質者』『死ね』『産まれてこなければ良かったのよ』
耳を塞いでも塞いでも、脳髄を引っかき回すように聞こえたヒステリックな叫び。
縁もゆかりもない、友人の子でも妹でもない小学校一年生の女の子を家に連れ込んで、女の格好をして男だと知らせず、何年もかけて自分に懐かせていただなんて……まごう事なき犯罪者だ。最低、最悪のクズだ。
アタシは、父の子だった。
中学のクラスメイト達が言った通りの人間だった。
「ごめん、ごめんね、ユーキ……ごめん。アンタの人生に……こんな……最低の気持ち悪い奴が関わっちゃって、本当にごめん」
ポタポタと、涙が畳に染みこんだ。
体を折って嗚咽をこらえ――六年も経ってようやく罪を自覚したアタシは心の底から柚希に詫び続けた。
けれどアタシはどこまでも卑怯で臆病者だった。
真実を告げて、柚希に嫌われるのが怖かった。
あの時の母さんのように柚希にののしられたら……想像しただけで指先が震え、血の気が引いた。
アタシは、何食わぬ顔でユーキと夕食を済ませ、マンションへ帰るユーキを見送った後、柚希の母親へ連絡した。
そして、全ての罪を告白し、謝罪し、柚希の前から姿を消すことを約束した。
その代わりに――アタシが本当は男だったことと、何故姿を消したのかの理由だけは柚希に話さないで欲しいと懇願した。
柚希の母親はゴミを見る目で膝を折るアタシを見下ろしていたけれど、『まぁ、六年も世話になってたのは事実っぽいし? これ以上アイツに関わらないって言うなら』と承諾してくれた。
◇◇◇
牛小話
前回の小話に出て来た牛は相変らず。
ただ、今まで何の問題もなかった別の牛が突然立てなくなってしまいました……
まだ二産で若く、足も悪くなく、箱座りしたわけでもなく(牛は体重があるので、猫でいう箱座りをすると股関節脱臼して立てなくなってしまう。通称・股裂き)、お産から三ヶ月ほど経っているので乳熱でもない。
お腹がガスでパンパンに膨れていたので、おそらく異常発酵……?
(次回につづく)




