22 回帰
前回のあらすじ・全ての王族を殺し、ディートハルトは自らの命を絶った。
4◇◇◇
まるで糸の切れたマリオネットのように、目の前の幼いネムの体からフッと力が抜けた。
倒れていくネムの姿がコマ落としのようにゆっくりと見え、伸ばしたアタシの手は、もどかしいほどに遅く、届かない。
フラッシュバックする。
戯れに手足を千切られた羽虫のように、地に落ちていたネムの姿。
オレンジがかった栗毛も日に焼けた肌も砂埃にまみれて。
両肩から岩肌に広がった鮮血が、蝶の翅のようで。
二本の手の重みを差し引いても、軽すぎる体。
冷たくなっていく、命が零れ落ちていく。
まるで作り物のように変わっていく。
抱きしめたアタシの、腕の中で。
アタシを置いて崩れていく。
ネムという、存在が。
ネムが、ネムが。
死ん、で……
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ」
光が。
脳を焼く灼熱の光が、アタシの体に溢れた。
思い、出した。
一周目の、血の記憶。
愚かな男が、自分の愚かさから何よりも大切なものを失って、復讐に世界を巻き込んだ道化の一生を。
「ネムが、ネムが……!」
吐き気がする。頭が割れる。
ネムが死ぬ。死んでしまう。助けなきゃ、助けなくちゃ、今度こそ。
なんでアタシには治癒魔法がないの?
竜の力なんてあったって、何の意味もないじゃない!
ネムに取りすがってガクガクと揺するアタシの肩を、大きな手が押さえた。
「落ち着いてディートハルト! どうしたの、とりあえず揺すらないであげて。ネリームーアはちゃんとしっかり息をしてるから。ベッドに運んでお医者さんに診てもらおう。君こそちゃんと息をして。ほら、ゆっくり吐いて、吸って」
振り返り、アタシは目を見開いて固まった。
ミルト・ローゼワルテ。
ネムが八歳の時に倒れ、植物状態になってしまったネムの父親だ。
竜の大暴走に巻き込まれ、そのまま亡くなったはず。
伯爵が、生きて動いている……?
良く見れば、ネムはアタシの記憶にあるより、ずっと幼い。
ネムを抱いたアタシの手も、記憶にあるよりずっと柔らかくて、何よりアタシが着ているのは、貴族の男の子用の服だ。
アタシが、男の子の服なんて着ていたのは……
「巻き戻って、いる……? 本当に巻き戻った、巻き戻ったんだわ! ネムが生きている時間軸に! ネムが、生きてる! 生きてるわ!」
アタシが男子用の貴族服を着ていたのは、ネムと初めて会ったとき。
ネムが四歳で、アタシが十歳だった。
自分の動きがもどかしいのも当たり前だ。この頃のアタシはごく普通のガキで、まだレベルは5くらいだったもの。
そう、そうだったわ。
一周目の初対面の時も、ネムはくたりと倒れ、アタシは引き取られたばかりの伯爵家の一人娘に嫌われたんじゃないかと、ずいぶんと気を揉んだものだった。
そんなのは杞憂で、目を覚ましたネムはすぐさまアタシに懐いてくれたのだけれど。
「『巻き戻った』って言った……? 今?」
いぶかしげな声に、アタシはビクッと肩を震わせた。
ネムが生きている事実に興奮して、伯爵の存在が頭から抜け落ちていた。
「ネリームーアが生きてるって喜んでたよね……? どういうこと? まさか死んだとか言わないよね? 僕の可愛いネリームーアが」
伯爵が万力のような指でアタシの肩をガシリと掴み、愛嬌のある顔から愛嬌を落っことして、据わった目で笑う。
そう、だ。カワウソの獣人は家族への愛情が深い。伯爵はネムを、溺愛していた。
「いえ、あの、その」
「詳しく、話して、くれるよね?」
「……ハイ」
ネムにしがみついたまま頑として離れなかったアタシを、伯爵はネムと一緒にベッドへ運んだ。
伯爵の迫力に負けて、アタシは全てを伯爵に語った。
一周目では三十近くまで生きて、周到に王族貴族をあぶり出し、追い詰めて抹殺し、国を乗っ取り王族を滅ぼし最凶の梟雄と呼ばれた、このアタシが。
けれどもし伯爵を味方に出来るなら、この上なく動きやすくなるのは間違いない。
「それじゃあ、シルバーコーン公爵家は他国を侵略する力と竜の血を欲しがっていて、そのためにネリームーアは殺されて、僕も廃人にされて、国はスタンピードで滅んで、君は時間を巻き戻すために王族を全員殺したって、そう言うのかい?」
「……ええ」
信じて、もらえるのだろうか?
時間が巻き戻ったなんて言い出したら、頭がおかしいとか思われて閉じ込められてもおかしくない。普通、黙っているものなんじゃないかしら。
それなのに、記憶が戻った瞬間にゲロってしまった。
「今さら、僕に言ったのを後悔してるの? 僕は嘘だとか妄想だとか言わないからね? そもそも君、僕の奥さんの名前とか、王都邸の家令がローガンだとか、ネリームーアの幼馴染みがイリヤとキサラだとか、シルバーコーン公爵家の嫡男がカタルシウスだとか、知るはずがないことを色々しゃべったからね」
「あ」
言われて気付いた。今のアタシはちょっと珍しい生い立ちをしているだけのただの子ども。
知っているのは、花街のことと、育ててくれた母親代わりのシエラ、シータ親子のことだけのはずだわ。
耳をせわしなく動かすアタシに、伯爵はぷくくっと笑った。
「自分から色々しゃべったのに、そんな顔しなくても。心配しなくても信じるし、協力するよ。さっき君が叫んだ瞬間、君の髪の一部が黒く変ったんだ。僕は君が『予見の獣』だって知ってるし、十字狐の能力に関しても、きっと君より詳しいよ」
「え?」
キョトンと見上げると、伯爵はアタシの赤と黒の混じった髪をわしわしと撫でた。
一周目のこの時点で、アタシの髪は赤一色だった。
赤い髪に混ざる黒い筋は、能力に目覚めた十字狐の証。
「君の父上、マーベリック・ワキシーコーンは僕の義兄だよ? レガリア姉さんとの婚姻のときに、十字狐の種族特性に関しては聞いていたんだ。十字狐は『予見の獣』と言われるけれど、全員が全員予知能力を持てるわけじゃない。まあ、そんなんだったら世界のバランスが狂うくらいの力だからね。当然、発動条件というか枷があるんだ」
伯爵は、アタシがまだ離せずにいるネムへと目を落とした。
「なんていうかね、ワキシーコーン公爵家の十字狐は、伴侶への執着が深すぎるというか……恋愛体質で、さらに超利己的でね。能力発現の条件は『愛しい人を守れりきず失ったときの、身を引きちぎられるような後悔』なんだよ。その瞬間にだけ、未来を視ることができるとされている。それも、次に同じ伴侶の魂と巡り会えるまでの未来しか視えないという限定付き」
「は?」
「つまりね、ワキシーコーンの狐は、国のための未来なんて視ない。もちろん、次に生まれ変わった愛しい人がすぐに死んじゃったりしたら困るから、戦争を回避するよう動いたり予見を流用することはあるけれど。ワキシーコーンの予見の力は、ただひたすらに自分のために存在する。伴侶と再び巡り会うため、生まれ変わった伴侶を探すためだけに、予見の力があるわけだ」
「うわぁ……」
まさか、アタシが目覚めた予見の力がそんなものだったとは。
ドン引きしたアタシに、伯爵はクツクツと笑った。
「でも、視たんだろう? ディートハルト。ネリームーアを失った後悔の中で。ありがとう、それほどに、僕の娘を愛してくれて」
カアッ、と頬が熱くなった。
愛し……。この想いを、執着を、そんな綺麗な言葉で表わしていいのだろうか。
世界を滅ぼしても、何百万の人を殺しても、ネム一人を取り戻したいと願った。
この髪色のような、どす黒い闇と血に染まった感情を。
「かわいいなぁ、ディートハルト。僕はてっきり、花街で女の子として育てられたから、君の恋愛対象は男の人なのかと思っていたけれど、ネムを好きだと言ってくれるなら、僕と協力してネムを守って、ゆくゆくはローゼワルテ伯爵を名乗ってみるかい?」
「いえっ、あのっ、アタシが好きなのは、お金持ちで金払いが良くて筋肉がキレイなイイ男で……」
「ふふ、今はそういうことにしておいてあげてもいいけどね。ああでも、ローゼワルテの当主になるのは中々に大変なんだ。時を渡った君なら知っているだろうけれど、ローゼワルテは竜の友人だからね」
「友人、ですか……」
アタシは僅かに震える指先を見つめる。
ネムを助けるため、竜の血を願って、為す術もなくペイジに殺されかけた記憶。圧倒的な、生物としての格の差。無力感。まるで虫の巣を壊すかのように蹂躙され尽くした王都。
竜への恐怖は、アタシの魂にまで刻まれている。
「友人だよ。彼らは僕らを信頼してくれて、ちゃんと僕らの言葉を聞いてくれる。そりゃあもちろん、種族も価値観も違うんだ、わかり合えないことだってあるけどね、あれだけ高い能力をもった生き物が、こちらの言葉や文化を学び、歩み寄ろうとしてくれているんだ。僕は竜の言葉を喋れないけれど、竜は人の言葉を喋れる。それって凄いことだと思わないかい?」
「……」
目を見張ってから、コクリ、と頷いたアタシの頭を、伯爵は満足そうに撫でた。
考えたこともなかった。
竜には竜の言葉がある。それなのに、ペイジは……アタシを殺しかけているときすら、人の言葉を話していた。つまり、意志を通わせ、こちらに理解させようという意図があったわけで。
「僕らローゼワルテは、竜の友人なんだよ。君は前世……って言って良いのかな、前の時に竜に良くない思い出があるのかもしれないけれど、彼らには彼らの信念と事情があるんだ。それをすり合わせ、共存の道を探るのが、人と竜の間にいる僕たちの役目だ」
「……」
アタシは一周目に思いを馳せる。
竜の力というものは、死んだからといって消滅するものではなく、同じ血を持つものに引き寄せられ、集まり、ひとつになろうとする性質があるらしい。
一周目の最後のとき、アタシは、殺した王族達が継承していた『土竜王の力』を吸収し、高位竜といっても過言ではない戦闘力を備えていた。
その性質を利用し、カタルシウス・シルバーコーンはアタシに手に入れさせた『竜の血』からたどって竜本体の力を全て引き抜き、我が物にしようとした。
それがスタンピードの原因だった。
カタルシウスがこだわっていた竜の血。なんで竜の力を欲していたのかは知らないけれど、ともかくも竜の血を手に入れるためには、竜の管理者たる伯爵――ミルト・ローゼワルテが邪魔だった。
一周目、ネムが八歳のときに、伯爵夫人――マリアベル奥さまが亡くなった。
最愛の奥さまの葬儀を終えた直後、ミルト・ローゼワルテは倒れ廃人になった。奥さまの死後ではなく、奥さまの葬儀の後に。
葬儀には、奥さまの近しい親族だった、リディア・シルバーコーン公爵夫人も参列していた……
スタンピードの際、伯爵と共に死んだ家令、ローガンの手記が瓦礫と化したローゼワルテ邸の中から見つかった。
元々リディア夫人は、ミルト・ローゼワルテに『竜の血さえあれば神の万能薬が作れる。そうしたらマリアベルの病も治る。助けられる』と以前から申し入れていたらしい。
けれどミルト・ローゼワルテは、『それだけはできない』と突っぱねた。
マリアベルを愛していることと、竜の信頼を裏切ることは別物だからと。
それに不満を覚えたのがローガンだった。ミルト・ローゼワルテが領地に行っている間、マリアベル奥さまの側近くに仕えていた彼は、奥さまへ一方的な歪んだ愛情を向けていた。
『マリアベルが亡くなってしまったのは、ミルト・ローゼワルテのせい。彼さえいなくなれば、竜の血を使って、マリアベルの悲願だった病の薬を作れるのに――』
ローガンは、涙ながらにマリアベル奥さまを悼むリディア夫人の言葉を信じた。
そうして、奥さまの葬儀の日から王都が壊滅したあの日まで、ミルト・ローゼワルテに麻薬を飲ませ続けたのだ。
動けない主人を置き去りにせず、共に死んだのは、ローガンなりの最後の誠意だったのかもしれない。
ローガンの裏切りは、既に伯爵に告げてある。
けれど伯爵は、まだやってもいない罪のために粛正するわけにはいかないと、ローガンの配置換えに留めるそうだ。王都邸家令から、領地での隣人との折衝役へ。つまり、直接竜と接して揉まれろと。
クビになった方がマシなんじゃないかなー、と思うのはアタシだけだろうか。
「……ひとつだけ、忠告しておくね」
伯爵のゴツゴツした戦う男の手が、ネムの柔らかな髪を撫でる。
「君が十字狐の能力で得た内容は、ネリームーアには言わない方が良い」
「え……? シルバーコーン公爵家には近づくなと、ネムに言ってはダメだということですか?」
「そうだ。さっき言っただろう? 強力な能力には、強力であるが故に枷がある。十字狐の予見の力で得たものは、その能力の起点となっている相手に知られると失われてしまうのだと義兄は言っていた。だから義兄は姉さんじゃなく、僕に能力を話してくれた」
「予見の力で得たもの……一周目の記憶?」
「君の記憶だけならまだいい。僕が覚えているからね。でも君から聞いたこの出来事も『予見の力で得たもの』だとすれば僕の記憶もなくなるし……それに、君は世界が巻き戻ったと言っていたけれど、僕はなんとなく、君の意識だけが過去に飛ばされてきたんじゃないかと思うんだ。そのこと自体が『なかったこと』になってしまったら、君は、ネムを失った時間軸に戻ることになる」
サアッと血の気が引いた。
傍らにある、ネムの体温にすがりつく。
嫌よ嫌よ嫌。ネムが死んだ、あの世界に戻るなんて。
予見の力がなくても、アタシは王族を殺し尽くそうとしたかしら?
竜王の血をひく全ての王族を殺さなかったら、世界が巻き戻ることはなかった。
ガタガタ震えるアタシを、伯爵の温かな腕が抱きしめた。
「大丈夫だよ。まだネムは生きてる。これから守っていけばいいんだ。僕と、君とで」
ずっと、冷たい風の吹き荒ぶ氷原を、微かな光を目指して歩き続けているようだった。
生き残ったローゼワルテの皆はアタシの復讐に従っていてくれていたけれど、本当の目的は話せなかった。
アタシは独りだった。
……今は、独り、じゃない。
目の奥が、ジンジンと熱くなる。
伯爵の高い体温に包まれて、沁みてくる。
守っていける。きっと、今度こそ。ローゼワルテの皆と。
「……今日はディートハルトも疲れたよね。ゆっくり休んで。ネリームーアと一緒に」
伯爵はネムごとアタシを布団にくるんだ。
少し硬い布団の肌触りに、そうかこの時からローゼワルテは貧乏だったんだな、とぼんやり思い出した。
伯爵令嬢とは名ばかりで、ネムの布団も、服も、家具も、庶民の一般家庭よりもっと古くて痛んでいる。
一周目、あまりにガキだった当時のアタシは思いもよらないことだったけれど、この経済状況で、アタシを受け入れるのは相当厳しかったんじゃないだろうか。
それなのに、アタシは、ネムはもちろん伯爵にもローゼワルテの家人にも辛く当たられたことが一回もなかった。
何度も何度も思い返した、ローゼワルテ領で暮らしていた頃の、ネムの笑顔。
あれは、皆がいたからこそだった。
「う……くっ、……ぅ」
なんだか、今日のアタシはおかしい。
心が柔らかすぎて、涙がほろほろとこぼれ落ちる。
再び生きているネムに会えた。ネムが生きている。夢じゃない。まだ目を開かないけれど、安らかな寝息を立てている。
もう一度ネムが生きられるなら、自分なんてどうなってもいいと思っていた。それも本当に本心だったけれど、温かなネムの体温がじんわりと体に染みこむにつれ、次々に欲が沸いてくる。
あの頃みたいに、ネムと暮らしたい。ローゼワルテの皆と。
目を開いて。アタシを見て。声を聞かせて。
もう一度、ディータって呼んで。
そして、叶うなら。
笑っ……て。
何年も、無理をして笑っていたネムを『幸せに過ごしている』と思い込んでいたアタシは、嫌われてもしょうがないけれど。アタシに向かってじゃなくていい。伯爵やローゼワルテの皆と笑い交わした、自然な、はじけるようなネムの顔を、もう一度、見たいの。
「ネム……」
愛して、いるわ。
心の中で、そっと落とした言葉は、静かな波紋を体中に広げた。
伯爵に告げた言葉の通り、アタシ本来の恋愛指向は男性にある。
それでも、男とか女だとか、そんなの横にうちゃっておいて、ネムがネムだから大切なんだと。
もう一度会えて良かった。
本当に良かった。
このドス黒い狂気を、妄執を、愛というキレイな言葉に置き換えて、今度こそアタシはネムを守り尽くそう。皆と一緒に。
「大好きよ」
抱きしめたネムの体は、あのときと違って温かく柔らかい。
ほろほろほろほろと、涙がこぼれた。




