21 一周目 3
前回のあらすじ・竜のスタンピードにより王都は滅んだ。
3◇◇◇
王都が燃えた夜から、五年。
アタシはディートハルト・ローゼワルテ辺境伯を名乗り、荒廃したデントコーン王国に独裁者として君臨していた。
赤いロングドレスに黒い編み上げブーツ、黒が混じった赤い髪を長く伸ばし、一部では女装の魔王とか凶王と呼ばれている。
赤いドレス姿は、ネムが『サイコーに綺麗』とよく褒めてくれ、あたし自身も好んで良く着ていた。今は、血と、炎を思い出す色。誰に何を言われようと、変えるつもりはない。
「貴方は、そうね、公開処刑よ」
見せつけるように足を組み、けだるげな笑みを浮かべて言ったアタシに、その男――アタシの前に引き出された侯爵を名乗る太った男は、脂ぎった顔に憎々しげな表情を浮かべた。
「貴様、女男の――いやたかだか庭師貴族の分際で、このわしを処刑するだと? 何様のつもりだ!」
「あら、知らないの? ローゼワルテは、建国の昔から国境と王の庭の守りを任され、騎士団を越える戦力の保持と自己判断による力の行使を認められていた、辺境伯家よ。それを王城の庭師だなんだと侮っていたのは貴方たちの勝手。見下して高いところに登った気になっても、内実は変らないわ。国王陛下始めほとんどの王族が逝去された有事に、うちが国を預かるのは当然でしょう?」
「なにを白々しい! この簒奪者が! 王都を焼いた火竜どもも、貴様がけしかけたに違いなかろうが! そもそもこの国で、竜を動かせるなぞローゼワルテだけ……!」
すぅっと笑みを深くしたアタシに、なぜか男は顔を赤くして咳払いし、言葉を切った。
「そう、貴方も知っていたのね。ローゼワルテが、竜の管理者だと」
アタシは椅子から立ち上がり、ヒールの踵を鳴らしてコツコツと男に近づいた。
そして、その角の生えた金髪の頭を鷲づかみにした。
「有角、金髪、碧眼。若い頃はさぞモテたでしょうね」
「な、なにを……」
後ろ手に縛られ、処刑すると言っている相手に掴まれているのに、男はなぜだかドギマギと鼻息荒く視線を泳がせている。
あらやだ、コイツ、そういう趣味なのかしら。
記憶読み取るとか生理的に嫌なんだけど。
でもまあ、必要ならしょうがないことよね。
ローゼワルテの諜報で分からなかった細部が、ほんのちょっとの我慢で埋められるんだから。
「貴方、アタシの大嫌いな男に似ているわ。それに……王都が燃えたとき、貴方は王族への忠誠も、民を守る義務も、愛すべき妻子すらも捨てて、いの一番に領地へ逃げ帰った。それから、王家の目がなくなったのをいいことに、重税を課して好き放題していたわよね。領地の民から嘆願が来てるわ。この稀代の梟雄、血の辺境伯に訴え出るなんてよほどのことよ」
コロコロと笑いながら手を放したアタシの前で、脂ぎった顔がドス黒い怒りに染まる。
「角すらない虫ケラどもが! ただ地に這いつくばっていればいいものを、このわしを告発しただと!? 身の程知らずが!」
「はい、有罪。アタシ、キライなの。そういう選民主義って」
地団駄を踏みながら口汚くわめき散らす元侯爵に、アタシは冷笑を向ける。
「それほど身分にこだわるなら分かるでしょう? 貴方も遠く王族の血をひく。後に禍根を残さないように、生かしてはおけないってこと」
民の嘆願より、権力におもねって生きてきた男にはこちらのほうがよほど分かりやすかったらしい。絵の具で塗ったように青ざめ、震え出した。
「あ、あ、アリスフォード殿下が、いらっしゃる。貴様がいくらわしらを殺そうと、アリスフォード殿下がおられる限り、誰も貴様を正統な王とは認めんぞ!」
「でしょうね」
竜の大暴走に立ち向かって亡くなった国王、ジェラルド陛下には三人のお子がいた。
その中の一人、アリス王女だけは生き残り、男装して第二王子を名乗り、生き残った騎士団を纏め、商業ギルドを味方に付け、簒奪者から国を取り戻すべく国の西部で挙兵した。
元々救国の勇者であり、民衆からの熱烈な支持を受けて即位し『英雄王』と慕われていたジェラルド陛下は、国で最も尊い身分でありながら、民の盾となって最後まで竜の群れと戦った。
その唯一の遺児であるアリス王女への国民の支持は高く、アリス王女の軍が見えれば、領主の指示などかなぐり捨てて街の門を開き迎え入れるほど。
血と恐怖でしか支配できない簒奪者など、お呼びではないは当然だ。
アタシは別に構わない。
アタシの目的は、統治でもなければ権力でもない。
王家の血をひく者を殲滅することだ。
竜の群れに蹂躙された国を支配したのは、単にそのほうが王族を見つけ出しやすかったから。
アタシの敷く恐怖政治に耐えかねて、アリス王女が挙兵したのは僥倖だった。民衆の指示がアリス王女に傾けば傾くほど、隠れ息をひそめていた貴族達は、新しい体制での利権を逃すまいと王女の軍へすり寄り始める。
どこにいるかさえ分かれば、戦ったことすらない貴族どもを殺すのなんて、赤子の手をひねるようなもの。
「死にたくないのね。分かるわ。そうね、チャンスをあげましょう」
アタシの猫なで声に、男は喜色を浮かべた。
「なっ、なんだ? カネか? 女……いや、男か? それともアリスフォードの情報か? 欲しいものがあるなら言うがいい。わしに不可能はない」
「そう。なら、明日、公衆の面前でアタシと戦って、勝ってみなさい。手枷は外してあげるし、剣も渡してあげる。アタシを殺せば、晴れて自由の身よ。王都を焼き、王位を簒奪した悪人を成敗するのですもの、貴方が次の英雄王ね」
一瞬血色が良くなった顔から、一気に血の気が引いた。
「無理、無理だ。ローゼワルテの当主と戦うなど……」
「あらどうしたの? 『我らは初代王と共に和平を勝ち取った最強騎士団の末裔』『いざともなれば身命をかけて国を守る王家の剣』『角無シ毛無シとは格が違う』んでしょう? 『毛無シのネズミごときは我らの踏み台となることを光栄に思うが良い』って言ってたんでしょう? アタシの可愛い妹に。戦えないなんて、言わないわよね?」
アタシの猫なで声は変らないのに、男はガタガタと震え始めた。
何人もの記憶を読み取って。
イリヤの記憶からは分からなかった、もう一つの真実を知った。
ネムに、他国を侵略する『力』を開発しろと告げたのは確かにカタルシスだったけれど、その背後にいたのは、この男達――評議会のクソどもだった。
民衆の支持によって即位したジェラルド陛下が、この男達は気にくわなかった。
平民出身ながら、その強大な攻撃魔法から国の守護神と呼ばれ、先王陛下の妃となった王太后陛下が気にくわなかった。
そして、毛無シの野ネズミでありながら、若くして多大な功績を残し、大国である隣国の王族に認められたネムが、気にくわなかったのだ。
国王陛下を、王太后陛下を蹴落とすために、ネムを搾取し、利用し尽くした。
ネムが虫の研究をしていたのは虫が好きだったからだけれど、その大好きな虫を殺す薬を開発してまで、病を防ごうとしていたのは、人を守ろうとしたからだった。
ネムが発見し、予防法を確立した寄生虫病や虫が媒介する病は幾つもある。ネムの研究によって、命を救われた人間は、数万、数十万、数百万にも及ぶ。
けれど王都の人間は、ネムを嘲った。
野ネズミのくせに、公爵夫人の座を無理に求めた、強欲な女だと。
貴族どもが流した噂を、鵜呑みにして。
ネムが守ろうとした人間は、ただの一人も、ネムを守ろうとはしなかった。
風が、赤と黒の混じった髪を翻す。
柔らかな赤いロングドレスをなびかせつつ処刑場に現われたアタシに、元侯爵は嘲るような顔をした。
元侯爵には、彼自身が所有していた鎧と剣――スキアヴォーナを与えてある。スキアヴォーナ自体は防御力もある良い武具だけれど、元侯爵のものは宝石を散りばめた実用性には乏しいものだった。
「ローゼワルテの当主がどれほどのものかと思えば……闘いの装束も分かっていないこわっぱとは」
「あら、だって、このほうが美しいでしょう?」
艶然と微笑んでみせれば、元侯爵はつばを飲み込んだ。
だって、これはショーだ。
簒奪者、ローゼワルテ辺境伯の残虐さを見せつけ、民衆の支持をアリスフォードに集めるための。
へっぴり腰で向かってくる元侯爵のスキアヴォーナをひと太刀目ではね飛ばし、ふた太刀目で冑の金具を切り飛ばせば、口を開けたままの間抜け面が大衆にさらされた。
「最強騎士の末裔の力……見せてくださるんでしょう?」
ヨダレを飛ばし、わめきながら斬りかかったその場所に、既にアタシはいない。
血しぶきを噴き上げながら膝を付く元侯爵は、アタシの武器がバスタードソードだと分かったかどうか。
『私生児』の名を持つ無骨な鈍色の刀身を、アタシは従僕のゼイドが差し出してくれた懐紙で拭い、血で汚れた白い紙を宙へと投げ捨てた。
赤と白の紙が、ハラハラと紙吹雪のように風に舞う。
まるで、舞台のよう。違いはただ、本当に人が死ぬかどうかだけ。
ああ、元侯爵に流れていた初代王妃の血、竜の力がアタシに流れ込んでくる。
アタシはワキシーコーン大公家嫡男と、ローゼワルテ伯爵令嬢との間に生を受け、けれど誕生前に父が政敵に殺されたことから、存在自体を隠され、男という性別を隠され、遊里で遊女の子として育てられた。
初代王妃の血脈に継がれる竜の力は、一つに戻ろうとするかのように、生き残った者の中へと集約する。
アタシは、いつまでヒトでいられるかしら?
「あ、あのっ、ありがとう、ございまし……た!」
小さな可愛い声が処刑場のすぐ外からして、アタシは足を止めた。
八歳くらいの犬の獣人の女の子が、両手で赤い小さな花を差し出していた。
「……ダメよ、人を殺した人間に、お礼なんか言っちゃ」
「でもっ、あたしんち、あいつの領地にあって。だんだん小麦が実らなくなるのに、どんどん納めなきゃいけないお金は多くなって! 食べるもの何もなくなって、夜中に家を捨てて、父ちゃん母ちゃんと王都まで逃げてきたんです! あいつがいなくなったら、きっと、置いてきちゃったじいちゃんやばあちゃんも生きて行けるから……!」
母親らしい犬の女性が、懸命に女の子の肩を何度も引き、黙らせようとしていた。
女の子の顔は興奮に紅潮し、母親の足は震えている。
「そう。もらっとくわ」
赤い花を髪に挿し、赤い唇を吊り上げて笑うと、震えていた母親までもが一瞬呆け、真っ赤になった。
記憶の中の八歳のネムが、アタシに微笑んだ気がした。
◇◇◇
踊る。手を取り合って、場所を入れ替え、背を合わせて、腰をくねらし。
果てない砂漠の、果てない星空。丸い月。
かがり火に照らされて、アタシ達の影も奇妙に踊る。
女装の独裁者であるアタシは、男物の踊り子の衣装をまとって。
男装の反逆者であるアリス王女は、舞姫の衣装をヒラヒラとなびかせて。
赤に黒が混ざった髪のアタシと、白金の髪に黒い角のアリス王女。
編み上げのサンダルがステップを踏むたび、アンクレットがシャラシャラと音を鳴らす。
ステップに合わせて蹴り上げられた砂が、金色にキラキラと舞い続けた。
アタシの従僕であるゼイドと、アリス王女の護衛騎士であるブルームが、砂漠に住む豪族に捕らえられた。
アタシ達は彼らを助けるべく手を組み、踊り子に変装して、族長の宴へと潜入する。
「相変らず美しいね、ディアーナ」
「今日の貴女には負けるわよ」
本来敵同士のアタシ達は、気心の知れた友人同士のように笑い交わす。
アリス王女は、ネムの親友だった。
誰よりもネムの才能を理解し、何度も便宜を図ってくれた。
まだアタシ達がこうなるなんて思いもしなかったあの頃、アタシとアリス王女はいつもネムの歓心をひこうと争っていた。けれど結局のところネムの興味は目の前を通り過ぎた虫に引っ張られて逸れていき、アタシ達は肩をすくめて顔を見合わせ、笑い合ったものだった。
もう、アタシ達をつないでいたネムはいない。
ヒレをなびかせて舞い、再びとった指先から、アリス王女の記憶が流れ込んでくる。
後悔と、苦悩の記憶。
ネムを殺せと言ったのは、アリス王女だった。
騎士団に属していたアリス王女は、評議会やカタルシスがネムを搾取していた事実は知らなかった。
けれど、ネムがソイ王国へ亡命しようとしていると知らされたとき。
為政者としての王女は、ネムの能力を、知識を、他国へ渡すわけにはいかないと判断した。他国を侵略する手段を国を挙げて開発していたと、他国へ知られるわけにはいかないと判断した。
その全てを握る親友を、生かして逃がすわけにはいかないと。
そうして、王族の命令しか受けないはずの公儀隠密を、カタルシスにつけた。
後悔していても、何度あの夜を繰り返そうと、アリス王女は同じ決断をするだろう。
それが、君臨することを宿命付けられたアリス王女の生き様だ。
「ふふ、ふ……」
思わず零れた声に、アリス王女が笑みを返す。
月の光みたいな白金の髪が綺麗だと、ネムがよく言っていたっけ。
ありがとう、アリス王女。
貴女が、ネムを裏切っていてくれて良かった。
アタシはほんの少しだけ迷っていたのよ。
ネムの一番の友だちだった貴女を、アタシのエゴで殺すことを。
だから、貴女の危難を救いもしたし、貴女に民衆の支持を集めるべく動いたりもした。
でも、貴女が国のためにネムを殺すことを決めたなら。
アタシだって、ネムのために貴女を殺すことを決めるわ。
他の王族を殺し尽くしたなら。アタシは再び、貴女の前に立ちはだかる。
◇◇◇
コホリ、と血の混じった吐息が零れた。
愛剣にぬめる血は、ネムの親友だった王女のもの。
肺腑をつらぬかれた王女の口は、信じられない、とでも言うように小さくあがいた。
「で……んか……」
かろうじて息のあった護衛騎士が伸ばした手を、王女から引き抜いたバスタードソードで息の根と共に断ち切った。
「ブ……ルーム……」
息絶えた護衛騎士に伸ばした王女の手も、届く寸前でパタリと落ちた。
「ふふ、ふ」
二人からこぼれ落ち、アタシの中に満ちてゆく、初代王妃の竜の力。
おそらく、今なら老火竜とだって素手で渡り合える。
飛びかかってきた生き残りの騎士に剣を振るうと、風圧だけで地面ごと吹っ飛んでいった。
「ようやく……これで、一番殺したかった人間を、殺すことができるわ」
アリス王女の血でぬめる剣の柄を持ち直し、アタシはその場に膝を付いた。
ネムが死んでから、殺したくて殺したくてたまらなかった。
何度も何度も、体に爪を食い込ませ、殺すのを耐えてきた。
ネムを守れなかった。ネムを死に追いやった、この男を。
アタシが殺したかったのは――アタシだ。
「ねえ、ネム? アタシは、全てを殺し尽くしたかしら? 殺し漏れはいない?」
再び斬りかかってきた騎士を、剣も持っていない片腕の一振りで吹き飛ばす。
実力差を知っても、アタシのすぐ側にはアリス王女の遺体があるから、彼らも諦めるわけにはいかないのだろう。
「ねえ、ネムお姉ちゃん? やっと、やっとよ……会いたい、わ……」
きっと、あの世というものがあっても、アタシはネムと同じ場所には行けない。
だから引き寄せなくては。十字狐の力で視た、ほんの僅かの可能性を。
殺して、殺して。ほんの僅かな血が流れている、幼子までも。
ネムはきっと、世界を壊したアタシを許さないだろう。
会いたい。けれど会えなくても構いはしない。
貴女の、生きている世界に戻るのなら。
その世界にアタシはいなくても。
生きて、ネム。
貴女を死なせた、憎い男を殺すから。
ブツリ、と剣が喉に食い込んだ。
世界が白く染まる――……




