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19 一周目 1

前回までのあらすじ・『アリスフォード戦記』の世界に転生した柚希=ネムは、絶望して自死する運命にある最推しの義兄ディートハルトを救うため、全力を尽くし、ディートハルトから離れ公爵家に行くという道を選択する。

1◇◇◇


 妹――ネムは、まるで戯れに手足を千切られた羽虫のように、そこに落ちていた。

 オレンジがかった栗毛も日に焼けた肌も、砂埃にまみれて。

 両肩から岩肌に広がった鮮血が、蝶の翅のようで。

 小柄な体が、壊れたマリオネットみたいに。


 殴られたような、耳鳴りがした。

 なんで、なんで、なんで。

 嘘よ、こんなの嘘。


 魔物の領域なんて、(ネム)の庭のようなものなのに。


「ディアーナ嬢? どうされたのです……おい、こっちだ! ネリームーアがいた! 早く手当を!」


 立ちすくんだまま動けないアタシの横をすり抜けるように、カタルシスが指示した公爵家の治癒魔法士達が(ネム)に駆け寄った。

 背に流していたアタシの赤い髪が、その勢いにふわりと翻る。

 治癒魔法士達は(ネム)の息を確かめると、難しい顔で治癒魔法をかけながら千切れた両腕をきつく縛って止血し始めた。


 生きて、いる。

 スカートの下で、足がガクガクと震えていた。

 ネムが生きていた安堵と、失ってしまうかもしれない恐怖と、後悔と、自分への失望と……ごちゃ混ぜの感情に押し流されて、駆け寄りたいのに足が凍り付く。

 動いて、動いて。アタシの足でしょ、動きなさいったら!


 重く感覚のない足を叱咤しながら、一歩、一歩、よろよろとネムに近づく。

 

 大丈夫よ、生きてる、ネムは死んでなんかなかった。きっと助かるわ。手がなくなったって、生きてさえいてくれれば。アタシが手の代わりになる。

 だからちゃんと動いて、アタシの体。アタシが動けなくなってどうするのよ。ねぇったら!


 足がもつれて転び地面に手を突いたとき、ネムの目がうっすらと開いた。


「ネム! アタシよ、ディータよ! ネム!」


 淑女の作法なんてくそ食らえよ! 

 アタシはネムににじり寄り、包帯の巻かれた体に抱きすがった。傷や痣だらけの体は、食い千切られた腕二本分を差し引いても、記憶にあるものよりもずっと軽かった。


「ネム……」


 目の奥が痛い。

 泣くな、泣くな、泣くなアタシ。しっかりしろ。

 膜の張った視界の中、痛みに顔を歪ませるネムの唇が、微かに動いた。

 聞き慣れた声はなく、ただ僅かな風の音だけが押し出された。


「ネム、いいのよ、無理にしゃべらなくてもいいわ。貴女が生きていてくれれば、それだけでいいの。だからお願い、生きて、生きてちょうだい……」 


 ネムの唇が、もう少しだけはっきりと動く。『ディータ……に、げ、て』と。 


「大丈夫よ、大丈夫。貴女を襲った魔物が戻ってきても、公爵家の騎士やローゼワルテの皆も来ているの。負けたりしないわ。治癒魔法士もいるのよ、凄いでしょう? もう誰にも貴女を傷つけさせたりしない。ネムは、絶対に良くなるんだから」


 泣いたら、ネムが不安になる。

 笑え、笑うのよ。微かにでも、口角を上げろ。ネムが大好きだと言ってくれた、いつものアタシの顔で。


「ディアーナ嬢、ディアーナ嬢。ネリームーアを治癒魔法士に戻してください」


 冷静なカタルシスの言葉に、アタシはネムを治癒魔法士から奪い取り抱きしめてしまっていたことにようやく気付いた。

 アタシが治療の邪魔をしてどうするの。

 半身をもぎ取られるようだったけれど、ギクシャクとネムの体を治癒魔法士へと渡した。


「他を捜索していた者達から、近くに血だまりと服の切れ端が落ちていたと報告がありました。おそらく、ネリームーアに付いていた、侍女達のものでしょう」


「イリヤ……キサラ……」


 ネムを守ってくれていた、幼馴染み二人の姿が脳裏をよぎる。

 ネムとシルバーコーン公爵家カタルシスとの婚約が決まり、ネムと共に行ってくれたのは、ローゼワルテ伯爵家でも指折りの戦闘メイド達だった。

 魔物の領域で育った二人と、危機を回避することにかけては超一級のこのネムが、魔物にやられるなんて……

 あり得ない。

 そう思うのに、残酷な現実が理性を打ちのめす。

 あれだけ可愛がっていたネムの側に二人がいないことが、何よりの証拠だった。


 なんで、どうして、なんで。

 ネムは幸せでいるはずだったのに。アタシなんていう不幸の根源から離れて、安全な場所で幸せになるはずだったのに。

 何が間違っていた?

 なんで、ネムがこんな目に合わなきゃいけない?


 治癒魔法の淡い光の中で、痛みに歪んでいたネムの表情が、だんだんと薄くなっていく。

 その様が、まるで命がこぼれ落ちていっているかのよう。


 嫌よ、嫌よ、嫌よ。死なないで。アタシを置いていかないで。

 すがりつきたいのに、抱きしめることも叶わない。

 何でアタシには治癒魔法がないの。いくら人よりレベルが高くても、戦えても、ネムが死にそうなときに、アタシは何の役にも立てない。

 嫌、嫌……嫌。ネムが死ぬなんてあり得ない。

 お願いよ……悪魔でも魔物でもいい。ネムが助かるなら。アタシの命だって魂だってあげる。


「このままでは、ネリームーアは死にます」


 ひどく冷静な声が、アタシの薄氷のようにもろくなっていた心を打ち砕いた。


「あ……ぁ……嫌よ……いや……」


 体が震える。

 立っていられないどころか、座ってすらいられない。

 地面の上に崩れ伏して、髪を掻きむしり絶望に打ちのめされる。

 ネムが、死んじゃう……? 

 嫌よ、嫌よ、嫌。

 そんな世界、アタシは認めない。


「ひとつだけ、ネリームーアを救う方法があると言ったら?」


 耳元で囁かれたカタルシスの言葉に、アタシは一瞬固まり……それからバッと体を起こし男の首を絞めあげ、下から()め付けた。


「嘘じゃないでしょうね?」


「くっ……少し、緩めて、ください」


「命があるうちに、早くしゃべりなさい」 


「以前に、お話ししたことがあったでしょう? 竜の血ですよ。我がシルバーコーン公爵家とネリームーアの師匠である大賢者殿との共同研究……治癒魔法で部位欠損や致命傷が治せないのは人の常識ですが、竜ならば治癒魔法一つで欠けた手足が生え、半ば千切れた首もつながるという」


「そうね。確かに、そうだわ……」


 アタシは竜同士の闘いを見たことがある。

 もしネムが竜だったなら、この程度の傷、その日のうちには治っているはずだ。


「研究は進んで、後は竜の血さえ混ぜれば、どんな傷も欠損すらも復元できる『神の回復薬(ネクタル)』が完成します。その試薬が公爵家にはある。貴重な薬ですが、ネリーを被験者にしても、大賢者殿なら許してくれるでしょう。しかし、いかな『神の回復薬(ネクタル)』といえど、死者を蘇生することは……」


「黙りなさい」


 余計なことを言いかけたカタルシスを、アタシはもう一度襟首を締めて黙らせた。

 悪魔は、金髪碧眼の見目良い男の顔をしていた。

 悪魔との取引だ。

 ローゼワルテ伯爵家は竜の盟友。

 竜の棲まう魔物の領域を管理し、人の世にあって唯一竜種と交流を持つ家だ。

 竜からの信頼を損なえば、アタシの命なんかじゃ償えない。この国すら滅ぼされるかもしれない。

でも、ネムを助けたい。

 分かってる。これはアタシのエゴだ。守りたかったローゼワルテや国と引き換えに長らえても、ネムはきっと喜ばない。

 それでも、ネムがいない世界に、アタシが耐えられない。

 生きて。生きて。少しでも可能性があるなら。お願いよ。

 アタシが死んでも、世界が滅びても、ネムだけは生きていて。


「ネムを、任せたわ。ゼッタイに、死なせないで」


 ゆらり、と立ち上がったアタシに、カタルシスは確かに頷いた。


◇◇◇


「かはっ……かっ……」


『まったく、ローゼワルテの後継ともあろうものが、私情で盟約に背くとは。私たちにとって、血とは魂。魂を寄越せと言うなら、私を殺して奪うしかあるまい。そしてそれを叶えるだけの力がないなら、自分が殺されても仕方がない。そうだろう?』


 妹を助けるために竜の血が欲しい。そう告げたアタシに、火竜側の対人交渉担当、ペイジは条件を示した。

 血が欲しいなら、自分と戦って力尽くで奪えと。

 望みがあるなら、実力で示すのが火竜の流儀だと。

 ペイジは、一万を越える火竜の中でも十指に入る強さの、三千歳に近い老火竜だ。レベルはおそらく、2000を越える。

 人のレベルの限界は999。アタシのレベルは、まだ300ほど。

 無理ゲーだ。

 戦う前から、そんなのはとっくに分かっている。

 だからと言って、やめるという選択肢はなかった。


「まだ、よ。まだアタシは、生きてる、わ」


『しょうのない諦めの悪さよ』


 血を奪うどころか、指先すら届かない。

 遊び半分の相手に、こっちは既に血だるまで、多分折れた肋骨が肺を傷つけている。なぶり殺しだ。

 地面に広がった髪は、元々の赤さなのか血に染まった赤さなのか、もう分からない。

 それでも、アタシはまだ立てる。立てるはず。

 まだ、望みは――……


「……」


 ぺちぺち、ぺちぺち、と妙にかわいらしい感触が額にして、アタシは目蓋を上げた。

 『竜の棲む山脈』の岩屋の中、ペイジと戦った場所のままだった。

 意識を失ったアタシを、ペイジはトドメを刺すこと無く放置していったらしい。

   

「がはっ、げふっ……」


 息をする度に、激痛が走る。

 アタシは……負けたのか。それなら、ネムは……? ネムはどうなるの……?


「く……ぅっく……」


 痛みなんて、どうでもいい。

 血を手に入れられなかったのに、なんでアタシはおめおめと生きているの?

 ネムを助けられない。ネムを助けられないアタシが生きていても何の意味もないのに……

 顔を手で覆い俯いたアタシの腕に、何かがぺちぺちと触れた。


『ねぇ、おねえちゃん。おねえちゃんが助けたいネムって、あのおねえちゃん?』


 場に不釣り合いなかわいらしい声に、アタシはきつくつむっていた目を見開いた。

 そこにいたのは、子犬ほどの大きさでくりっとした目の、赤いかわいい竜だった。


「あのおねえちゃん……って?」


『あのね、ペイジ爺ちゃんにお外に連れてってもらって、クーデと僕で遊んでたの。クーデは、最近、なんだかあちこちが痒くて痛くて寝られなくて辛そうだったんだけど、たまたま会ったローゼワルテのおねえちゃんが、マダニ? ってのが付いてるって教えてくれて。僕とかペイジ爺ちゃんはマグマのお風呂に入るからダニはくっつけないけど、クーデは肌が弱くて入れなくて、だったら竜でもマダニには気をつけなくちゃいけない、って』


 思いがけないエピソードに、場違いにも苦笑が浮かんだ。

 目に浮かぶようだ。

 きっと虫好きなネムのことだから、相手が竜だとかそんなことはお構いなしに、くっついているマダニに興味津々だったんだろう。


「そう……ね、それはアタシの助けたいネムだと思うわ。虫が大好きなのよ、あの子」


『やっぱり! マダニは木の下で遊んでると狙って降ってくるとか、火であぶるととれるとか、色々教えてくれて、それからクーデもぐっすり眠れるようになったんだ! だから僕、お姉ちゃんにはとっても感謝してて。竜の血って、僕のでもいいかな? ペイジ爺ちゃんみたいに強い竜のじゃなきゃ効かないかな? 僕のでもいいなら、ナイショでちょっとだけあげる』


「本当!?」


 飛び起きたアタシは、痛みにうめいたけれど、それどころじゃない。

 これでネムが助かるかもしれない。ううん、助かる。きっと助かる。


「ありがとう、ありがとう。本当に……きっと助けてみせるわ。アタシに出来るお礼ならなんでもする。絶対にここへ戻ってきて、命でもなんでもあげるから」


『僕からのお礼なんだから命なんていらないよ。何か瓶とか持ってる? しっぽからね……ナイショだから、母上達にバレないようにちょっとだけだよ』


 小さな火竜は、しっぽにひっかいたような傷を作って、血を分けてくれた。 

 アタシは何度も何度もお礼を言って火竜の領域を後にした。

 血は魂。

 その意味を考えもせず。


◇◇◇


「ひと足遅かったね。つい先ほど、息を引き取ったよ」


 カツン、と何かが落ちる音がした。

 小さな火竜の好意が詰まった小瓶を取り落とし、アタシはネムへと駆け寄った。


「……ぁ……嘘よ……嘘」


 抱き寄せたネムの体は、温かかった。

 いつものように、柔らかくて。

 それなのに、息が。鼓動が。


「嘘よ……助かるはずよ……竜の血は分けてもらったもの……ねぇ、ネム? 目を開けて、起きて、アタシを置いて逝かないで? いつもみたいに笑って、夢だって言って? ねぇったら! ネム!」


「残念だったね、ディアーナ嬢。そんなに満身創痍になってまで血を手に入れてくれたのに」


 どこか笑いを含んだカタルシスの声が、水に潜ったように遠く聞こえた。

 耳に響くのは、壊れそうに激しく打つ自分の鼓動だけ。

 目に映るのは、色を失ったネムの死に顔。

 どろりと濁った焦げ茶色の瞳。

 体の痛みも遠くなる。

 世界が、回る。

 

「……ぃ、ゃ」


 ネムが。ネムが。ネムが。

 アタシの命より大切なネムが。

 抱いた腕の中から、命がこぼれ落ちていく。

 まだ温かかった体から、ぬくもりが失われていく。

 柔らかさがなくなって、まるで泥人形のように変わっていく。

 崩れていく……ネムという存在が。アタシを置いて、なくなっていく。


 救えなかった。

 守れなかった。

 死んで、しまった。


「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ」 


 光が。

 脳を焼く灼熱の光が、アタシの体に溢れた。


 アタシは赤狐じゃない。アタシは十字狐の獣人。

 十字狐は、予見の獣と呼ばれる。

 予知の能力を持ち、有事に未来を視る獣。


「はは、は、はは……」


 限界まで見開いた目から、涙がボロボロと溢れ落ちる。

 

 視えた。

 未来の僅かな可能性が。

 アタシが国を滅ぼす未来。

 この国デントコーン王国を興した初代国王は、竜の神に認められ竜王の降嫁を賜った。

 つまりデントコーン王家は、竜種の一角、土竜王の末裔だ。

 すべての王族を――初代王妃の血をひく者を殺し尽くしたら、世界を維持する五大要素の内、『土』の力がこの世から失われる。

 世界はバランスを失い反転し……そして、戻る。全ての因果が発した箇所へと。

 ネムが生きていた、時間軸へと。


「ふふ、ふふふふふ……」


 反転するかもしれない。しないかもしれない。

 視えたのは、ほんの僅かな可能性。

 反転しなかったら、『土』の力を失ったこの世界は……

 でも、それがどうしたっていうの?

 アタシは、ネムに会いたい。

 生きているネムに、会いたいの。

 会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。

 ネムがいない世界なんて、認めない。

 アタシの命なんて、魂なんてすり潰されていいから。

 どうか、どうかもう一度――……ネムに、未来を。



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