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十八話 公爵家のお嫁さん

前回のあらすじ・ネムはみんなに公爵家へお嫁に行くと告げた。

◇◇◇


「ハァァぁぁああ!?」


 物凄い形相でしっぽの毛を全て逆立て、声を上げたのは、なぜかディータだった。

 父さまとお母さまは、手を取り合ったまま固まっている。


「何を言ってるのよ! 公爵家!? まさかシルバーコーン公爵家じゃないでしょうね!? 早過ぎる……早過ぎるわ!」


「そ、そうだよネリームーア。まだ君は八歳じゃないか。それなのに、もうお嫁に行くって? 考え直してくれないかな」


 ディータの後ろからおずおずと顔を覗かせる父さまに、わたしはニコニコと上機嫌な顔を向けた。


「公爵様は凄いのです! わたしがお母さまの治療に必要だと言ったら、十三人もの治癒魔法使いと、氷魔法使いをすぐに集めてくれたのです! わたしの才能を凄いと言ってくださって、お金にも、人にも糸目を付けないから自由に好きなだけ研究して良いと! 国の外まで虫を捕まえに言って良いと、旅費も出してくれると言ってくれたのです!」


「そ、そりゃあウチは貧乏だから、ネリームーアが望むだけのお金をすぐにかけてあげるわけにはいかないけれど……ネリームーアは、ローゼワルテが嫌だったのかい……?」


「そんなことはないのです! わたしは皆が大好きなのです!」


 ブンブンと顔と両手としっぽを振って否定するわたしに、父さまはへにょりと眉を下げて泣きそうな顔をした。


「だったら、なにもあんな、僕より年上の中年男のお嫁さんになんて……」


「ん?」


 ここでわたしは、父さまと話が食い違っていることに気付いた。


「違うのです。わたしは、公爵様の第二夫人じゃなくて、公爵様のご嫡男のカタルス・シルバーコーン様の第一夫人としてお嫁に行くのです」


「公爵家嫡男の第一夫人だって!? 普通ならとんでもない玉の輿……いやいや、やっぱりダメだ。ネリームーアは知らないかもしれないけれど、高位貴族っていうのは、牛第一主義なんだ。牛の獣人じゃなくても、羊や鹿なんかの角のある一族ならそんなに問題はないけれど、ネリームーアはネズミだもの。苦労するのが目に見えているよ」


「そうよ、ネム。ローゼワルテに残って、次期当主になればいいじゃない。伯爵と、奥様と、アタシと、ずっと一緒に暮らしましょ?」


 両手を組んで、うるうるした目で最推しがおねだりしてくる。

 なんて最凶。なんてカワイイ。


 理性がグラグラ揺れて、思わず『喜んで!』と叫びそうになる。ヨダレまで垂れそうだ。

 こんなファンサを浴びたら、投げ銭連打せずにはいられない。なぜこの世界には課金機能がないのか。

 ……でも。


「大丈夫なのです! あの、お母さまに無断で申し訳ないのですが、お母さまの研究を一部、公爵に説明したのです。あ、お師匠さまが魔法契約でしばってくれたので、お母さまの研究が盗まれたりすることはないのです! それで、『牛の白血病は母子感染の可能性が高い』なら、公爵家を継ぐ孫は牛以外の母親から産まれるのが望ましいだろう、研究が公になればこれからは高位貴族でもそれがスタンダードになっていくはずだ、と公爵様が」


「その通りだよ、ネリー」


 わたしの背後から不意に響いた声に、全員がギョッとしたように扉を見つめた。

 ピンと背筋を伸ばし、艶のよい革靴をカツカツと鳴らし、シワ一つない高そうな服を隙なく着こなし、シルバーコーン公爵はわたしのすぐ横で足を止めた。


「ご婦人の病室に不躾にお邪魔したこと、まずはお詫び申し上げる。この家は本当に人手不足のようだね、ここまでメイド一人見かけなかった」


「それは失礼を致しました、宰相閣下。マリアベルが回復したとの報を受け、いてもたってもいられなかったものですから、僕が戻るために家の者総出で僕の代わりに『仕事』に当たってもらっているんですよ。それで……ネリームーアをご子息の婚約者にと、本気でおっしゃっておられる?」


「もちろんだとも。ネリーの才能は素晴らしい。唯一無二のものだ。我が公爵家をさらに発展させてくれると心から信じているよ。うちにお嫁に来てくれるなんて、カタルスは本当に果報者だね」


 貴族らしい二分の笑みではなく、ニコニコと人好きのする笑顔で公爵は答える。


「か、カタルス様は、金の髪に青い目で、絵本に出てくる王子様のような方なのです! とてもカッコイイのです!」


 援護のつもりではしゃいだ声をあげたけれど、父さまとディータにジロリと睨まれた。

 なんだかすごく血のつながりを感じる。

 すすすっと公爵の影に隠れた。


「君は、ディートハルトを好きなんだと思っていたよ、ネリームーア」


「散々、アタシのことを綺麗だのカワイイだの言ってたくせに」


「ディ、ディータのことはもちろん大大大好きなのです。でも、カタルス様も、き、キレイなのです」


 わたしのひねりだした言葉に、何故かディータがものすっっっごいショックを受けた顔をした。背後に雷が落ちて薔薇が散っていく幻が見える。

 さすがはダーティヒーロー。ショックを受けても美しい。 


 まぁぶっちゃけると、カタルス・シルバーコーンも王子様然としたイケメンではあるけれど、俺様気質が顔に出ていてわたしの好みじゃない。


 わたしにはディータがこれ以上ないくらいのドストライクだ。

 しゃべり方も仕草も世話焼きなところも、ちょっとメンタルが弱いところも。口が開きっぱなしになってヨダレが垂れるくらい好き。同じ部屋で同じ空気を吸っているだけで、叫び出したいほど嬉しいし、いつまでだって見ていられる。いつまでだって一緒にいたい。

 できることならディータの部屋の壁になりたい。


 でも、わたしの望みは、わたしが幸せなことじゃない。

 ディータが幸せになることだ。

 わたしは、ディータの部屋の壁じゃなくて、ディータの義妹に生まれ変わった。壁じゃできないことができる。ディータを、わたしの最推しを幸せにするのだ。


「そういえば君は、最初にディートハルトに会った時も散々顔をベタ褒めしていたねぇ。虫好きばっかりに目がいっていたけれど、まさかの面食いだったとは……」


 がっくりと肩を落とした父さまの背に手を当てて、お母さまがコトリと首を傾げた。


「ねぇ、ネリームーア。貴女が公爵家に魅力を感じているのは分かったわ。でも、ローゼワルテはどうするの?」


 ぐっ、と喉が変な音を立てた。

 貴女が、それを言うのか。

 愛して欲しかった。愛されているつもりだった。貴女を直接見るまでは。わたしは、この家では『いらない子』だ。

 ぐるぐると暗い思考に引き込まれそうになり、わたしは拳を握り足の指に力を入れて踏ん張った。

 大丈夫、大丈夫。落ち着け自分。この結果は、願ったり叶ったりなんだ。全ては、わたしが計画した通り。四歳の頃から、ずっと望んでいたことだ。


「大丈夫なのです! ローゼワルテにはディータがいるのです! 父さまとお母さまとディータで、ローゼワルテを守って幸せに暮らすのです! わたしが公爵家にお嫁に行っても、わたしが大好きなローゼワルテはそのまま続いて行くのです!」


 片手を腰に当て、片手でVサインを作って、わたしはニッと笑った。

 そのわたしを、公爵がひょいと抱き上げる。


「こう言った方が君たちには納得してもらえるかな。七月の暑い日に、ローゼワルテ伯爵夫人が倒れたと、ネリーはパニックになっていた。私が問いただすと、一つだけ治療法はあるが自分の力では不可能だと、お母さまが死んでしまうと泣き出した。私は、私に出来うる限り力になろうと約束したんだ。そうだね、ネリー?」


「はいです」


「ネリーが言うには、治癒魔法使いが十人以上、部屋を涼しく保つ魔法使いか魔道具も必要、それでも夫人が助かる見込みは薄いと。……確かに私は宰相で公爵だ。権力も金もなくはないが、一個人のことに国費を使うわけにはいかない。使うのは公爵としての権力と金になる。しかし、他の仕事に従事している希少な治癒魔法使い十人と氷魔法使いを無理に招集するには――半端な金では済まない。ローゼワルテ伯爵なら分かるだろう? 個人の善意では済ませられないほどの、公爵家の事業としての支出が必要だ」


 父さまの目線が宙を泳ぎ、下を向いた。


 わたしは公爵の袖を引いた。

 皆には、言わないで行くつもりだったのに。

 公爵は、こっそりとわたしの耳元で『彼らも知っておいたほうがいい』とつぶやいた。


「ただの知人や友人のために、公爵家の金庫は開けない。けれど、嫡男の婚約者の実家なら? 次期公爵夫人のご母堂が危篤なら、公爵家が多額の援助しても何の不思議もないだろう。他家の目もそれで誤魔化せる。私の提案に、ネリーは頷いた。実に聡明で、行く末が楽しみな子だ。公爵家に迎えるに相応しいと、私は高く評価しているんだよ」


 穏やかな声で褒められて、大きな手で頭を撫でられ、わたしは目を細めた。

 父さまやディータの手とは違うけれど、とても安心出来る手だ。


 公爵が、いい人で良かった。

 公爵家に行くに当たって、一番の心配は虫の研究を続けて良いかだったけれど、それも好きに研究して良いし、お師匠さまのところにも今までと同じに通っていいと言われている。

 まだ、八歳にしかなっていないわたしの言うことを馬鹿にせず聞いてくれて、お母さまの病を治すために多額のお金を動かしてくれた。

 父さまが言うような、ネズミの獣人に対する悪感情もない。

 器が大きい、というのは多分こういう人を言うんだろう。


 ただ、ただ悲しいのは、ローゼワルテを……ディータの側を離れなきゃいけないことだけだ。

 わたしは、公爵の首に腕を回して、ギュッとしがみついた。

 赤くなった鼻を、隠すために。


「お母さまが死んじゃいそうなときに、帰って来なかった父さまなんて知りません。わたしは、お母さまを助けてくれた公爵様のところへ行きます」


「そんな、ネリームーアぁ」


 本当は知っている。父さまが誰よりもお母さまを大切にしていて、それなのにお母さまの側にいられないのがどんなに辛かったか。仕事になんて行きたくないとダダをこねる父さまを、『民に犠牲が出たらもう口をききません』とお母さまが無理矢理追い出したこと。

 それくらい、どうしても父さまが帰ってこられない状況だったこと。

 めそめそと泣いている父さまが、とってもとっても頑張っていたこと。


「ディータも、いい加減に『伯爵』『奥様』じゃなくて、お父さまお母さまと呼んであげてください。本物の家族なんですから」


 公爵の服を通した声は、どこかくぐもっていた。

 なんだか喉の奥に熱い物があるけれど、きっと気のせいだ。

 わたしはわたしの望みを叶え、父さまもお母さまもディータも幸せになる。

 わたしはそれを見られないかもしれないけれど、物語はめでたしめでたしのハッピーエンド。

 『アリスフォード戦記』読者の多くはそれを望まないだろうけれど、わたしだけはそれを願っている。


 わたしはディータと過ごせたこの四年間、とてもとても楽しかった。

 一緒に虫を追いかけて、獲物を獲って、料理を作ってもらって、髪を結ってもらって、笑って、怒って、また笑って。イタズラして怒られて、無茶して心配されて、たくさんたくさんディータを振り回した。

 ディータは、わたしの我が儘にも無茶にも、笑いながら全部付き合ってくれた。

 自分の方がキレイでかわいいのに、毎日のようにわたしのことを『かわいい』『好きよ』『ネムが大切なの』と言ってくれた。

 毎日がキラキラとした宝物のようだった。

 一生分の幸せをもらった。

 だから今度は、ディータが幸せになって欲しい。


「バイバイ、ディータ。父さま、お母さま。サヨナラなのです」


 震える声を隠して、わたしはにっこり笑えただろうか。


 わたしを抱えて歩き出した公爵の背中ごしに、ディータの叫びが聞こえた。


「嫌よ、ネム! 行っちゃ嫌、嫌だってばぁ!」


「馬鹿、よすんだディートハルト!」


 追いすがろうとしたらしいディータを、父さまが止めている声。

 その騒がしい中で、何故か聞こえるはずのない誰かの小さな声が聞こえた気がした。


「本当に、それでいいの?」と。



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