十四話 ソイ王国からのお客様1
前回のあらすじ・エキノコックスの論文を書かされることになった。げしょ。
◇◇◇
「……! ……って、自分で連れてくる馬鹿がいるかいっ!」
お師匠さまの研究室に向かっていると、何やら怒鳴り声が耳に飛び込んできた。
今日は魔法理論の講義日だけれど、お客さんが来ているなら出直した方がいいだろうか。いや、魔法の講義を受けるのが嫌だとかそういうわけでは……もちろんあるけれども。
そんなことを考えつつ、薄く開いている扉から中を覗くと、ヒートアップしているお師匠さまとタジタジとなっている大きな獅子の獣人、そしてその奥の椅子に座っているハチミツ色の髪をした男の子が見えた。
あの子も……多分、獅子かな?
この国で獅子の獣人は滅多に見ないし、先がフサフサしたしっぽや丸い耳を思わず観察していると、男の子と目が合った。
「老師、誰かいます。あの子は誰?」
綺麗なボーイソプラノで男の子はお師匠さまに尋ねた。
身長はわたしより低く、折れそうなほど細くて童顔で、顔は似ていないのになんだかお母さまを思い出させる雰囲気の子だ。
「ああ、もう講義の時間じゃったか、うっかりしとったわ。……この子はネリームーア、ちょいと面白い『鑑定』を使う子でね、この国でのわしゃの弟子じゃよ、ナーセル。ネム、この二人はわしゃの故郷、ソイ王国からの客人でね、まあ、わしゃの家族みたいなもんしゃ。大きい方がムスタファ、小さい方がその息子でナーセル。ナーセルは生まれつきの持病があってね、わしゃを頼ってここまで来てくれたわけじゃ」
わたしと男の子――ナーセルを交互に見ながら、お師匠さまが紹介してくれた。
「異国からのお客人にご挨拶申し上げます、ネリームーア・ローゼワルテです」
「ふぅん? 老師の弟子なら直答を許してやる」
横の方で大きな体を丸めて『俺の紹介それだけ?』とか言っている獅子の獣人さんのほうに気を取られて、一瞬認識が遅れたけど――この子、お師匠さまに話しかけるときと態度がめっちゃ違う。天使みたいなかわいい顔をして、態度でかすぎ。
「なんで口をへの字にしているんだ? この無礼も……ふぐぐ」
ナーセルの口を後ろから塞いだ獅子の獣人さん――ムスタファさんが、眉をへにょりと下げて申し訳なさそに口を開いた。
「すまんな、嬢ちゃん。ナーセルは産まれた時から体が弱くて……ついつい皆で甘やかしてしまったものだから、ちょっと尊大なところがあってな。あまり耳に快くはないのは分かっているが、根は良い奴なんだ、大目に見てやってくれるか」
「根は良い? 本当にです?」
「疑わしそうに見るな、鼻にシワを寄せるな! 父上がこうおっしゃるんだ、そうに決まってる!」
血の気が多そうだし、あんまりからかうと飛びかかってくるかな、と身構えたけれど、良く見るとナーセルは左足に包帯を巻いていた。それも、つま先から膝までぐるぐる巻きだ。顔色も良くないし、父親だというムスタファさんが筋肉ムキムキなのに対して、病的なほどに痩せ細っている。体が弱いというのは本当なのだろう。
「お師匠さま、この子のこと、『鑑定』で見てみても良いです?」
「ああ、そうか。その手があったね! ムスタファ、ナーセル、構わないかい? この子の『鑑定』はちっと変わってるって言ったじゃろう? ネムは『状態異常』が見えるんじゃわ。ナーセルの治療のヒントが分かるかも知れん」
手を打って同意してくれたお師匠さまの横から、にゅっと大きな手が伸びてわたしの手を掴んだ。ムスタファさんが大きな体を丸めるようにして、目に涙を浮かべて、わたしの手を両手でおし抱いた。
「ありがとう、お嬢ちゃん、本当にありがとう! ナーセルは生まれつき疲れやすくて成長が遅く、さらに傷も治りにくくて、ちょっとした怪我がどんどん悪化してっちまう……なんとかならんかと四方に手を尽くしたが、八方塞がりでな。どんな些細なヒントでもいい。治らなくとも、少しでも症状を抑えられる可能性を見つけてくれたなら……我が一族は、全力でお嬢ちゃんに感謝する」
「いえ、あの、まだ何かが分かると決まったわけでは……」
あまりの反応に、あわあわとうろたえながら獅子に捕まった手を取り返そうともがいていると、刺々しいせりふが聞こえてきた。
「父上、正気ですか? こんな子どもに、老師に分からなかった何が分かると言うんです。ステータスを見られるということは、身分も真名も丸裸です。安易に言いふらされでもしたら命取りですよ!」
「そう言うな、ナーセル。老師の身内は俺たちの身内だ」
ツンケンしたナーセルの態度は気にくわないけれど、ムスタファさんの言動にはとても既視感がある。
お母さまが心配過ぎて、手を尽くしたいのに尽くせる手がなく、焦燥感と不安を抱えながら、それでもお母さまに暗い顔を向けるわけにはいかないと、笑顔を作る父さまにそっくりだ。
「それじゃあさっそく」
「やめろと言ってるだろ!」
グルグル眼鏡をかけたわたしをナーセルが邪魔しようとするけれど、包帯だらけの足では満足につかみかかることもできない。到底ナーセルには届かない高さの天井にしっぽで逆さまにぶらさがったわたしを睨み付けるのがせいぜいだ。
「……これは」
ナーセルのステータスを見たわたしは絶句する。
そのままスタッと床に降りたわたしは、お師匠さまへ目を向けた。
「お師匠さま、この子は……」
「フン、いくら老師の弟子とはいっても、俺の身分を知ったら……」
「一型糖尿病――やがて昏睡を繰り返し、血管が石化し、死に至る病です」
何かを皮肉げに言おうとしていたナーセルが、ギシリと固まった。
一型糖尿病――いわゆる生活習慣病と関連付けられる大人の糖尿病とは全く別の、自己免疫疾患だ。現代日本においても完治させることは不可能で、一日四回のインスリン注射が一生必要になる。
そして、インスリンが発明される前の世界では、死病のひとつだった。
この世界にも、薬剤としてのインスリンはまだ存在しない。
顔も態度も全く異なるナーセルが、お母さまと重なって見えた理由が、分かってしまった。
「……お前しゃんの『鑑定』には、そう出ていたかい。ナーセルのこの病はね、珍しいけど昔からある病でね……わしゃらの故郷では『腐れ病』とか『石化症』とか呼ばれとる。治療薬はなくてね、わしゃに出来るのはその時その時の対処療法だけなんじゃわ……それで、ネム? 病名の他に何か分かったかい」
お師匠さまやムスタファさんの表情を見るに、死病だということは分かっていたようだ。
『鑑定』で見えたのは、ナーセルが一型糖尿病だということと、右足が壊死しかかっているということ。それだけだ。けれど……
なぜ、農学部出身で、病気になんてほとんど興味のなかったわたしが、一型糖尿病のことを詳しく知っているのか? それはもちろん、虫が絡むからだ。
「この病は、自己免疫疾患なのです。人の体には、余所から入ってきた病の元を攻撃してやっつける小さな騎士のようなものがいるのですが、ナーセルの体の中では、騎士達が暴走して自分の体――膵臓という場所を攻撃しているのです。それで膵臓は本来の仕事ができず、血の中の糖の割合がとても高くなって、そのせいで血管が傷ついてしまうのです」
お母さまが苦しんでいる白血病とは、真逆の状態ともいえる。
足して二で割れれば良いけれど、ジュースみたいには上手くいかない。
「なんと、そんなことまで『鑑定』で分かるとは……」
どこからともなく取り出した研究ノートに筆を走らせるお師匠さまに、わたしは慌てて補足する。
「全部の病が分かるわけではないのです! 今回はたまたま! たまたま分かるものだったのです!」
「……ええ?」
疑わしそうなお師匠さまの視線から逃げるように、わたしはナーセルに近づいた。
まだ茫然としていたナーセルは、わたしが包帯をほどこうとすると、必死に止めた。
「やめろ! 婦女子が見るようなものじゃない! 見たら……見たら……」
泣きそうに顔を歪めるナーセルに、わたしは自分の胸をドンと叩いてみせた。
「大丈夫なのです。患部が壊死しかかっているのは知っているのです。腐ってるのも溶けてるのもドンとこいなのです」
「……溶けてるのも?」
安心させるようにコクリと頷くと、ナーセルは包帯を押さえていた手をそろりと放した。
「いいぞ。だが、そんな大口叩いて、もし悲鳴をあげたり泣いたりしたら、首をはねてやるからな」
「心配ご無用なのです」
わたしはなるべく振動が伝わらないよう、慎重に包帯をほどいていった。
白かった包帯には途中からピンク色の染みが広がり、むわっとした独特の臭いがただよってくる。
足首からふくらはぎにかけて、どす黒い傷口が広がっていた。
何度も炎症を起こしては崩れたらしく、骨まで見え、ぶっちゃけ肉や血の色ではない。
わたしはその傷の様子を、割と冷静に観察した。領地で獲物の解体もしていたわたしとしては、ナーセルが心配していたような衝撃は特に受けなかった。
そんなわたしを見て、ナーセルの方がむしろビックリしたようだった。わたしが考えていたのは、『こりゃあの子達の出番だよね』ということで、少し楽しそうだったからかもしれない。
対して痛ましそうに眉を寄せて、ムスタファさんはナーセルの脇に膝をついた。
「運動はナーセルの病に良いと言われていてな。ナーセルは動物が好きだから、そろそろ乗馬をしてはどうかと勧めたんだ。ちょうど落馬を防ぐという魔道具が手に入ってな。けれど、その魔道具は不良品で、一度は落馬を止めてくれたが、二度目は作動しなかった。ナーセルは病のせいで稀に昏倒することがある。ちょうどそのとき魔道具は作動せず、馬から落ちて――慌てて受け止めたが、馬具に引っかけて小さな傷を負わせてしまった。普通なら一週間で治るような傷だ。それが――……」
持病の一型糖尿病のせいで悪化し、壊死し、おそらくこのままでは右足を切断することになる。切断してさえ、その傷口から壊死が広がれば、さらに足を切断せざるを得ない。
お師匠さまの魔法講義で知ったけれど、治癒魔法というのは万能ではなく、自己治癒力を目茶苦茶高めるようなものなので、壊死していく部位にいくら治癒魔法をかけても傷は治らない。
「この傷の治療を、わたしがしてもいいですか?」
「……お前、治癒魔法が使えるのか」
「使えるわけがないのです」
「おい」
青筋を立てそうになったナーセルを『まぁまぁ』となだめ、わたしはニシシと笑った。
「わたしの治療は、ちょーっと勇気と度胸が必要なのです。ナーセルは悲鳴をあげて、泣いちゃうかもしれません。やめるなら今のうちなのです」
「なんだと……! いいだろう、やってやろうじゃないか。……お前は、俺の傷を見ても悲鳴ひとつあげなかったからな」
「……? 何か言いましたか?」
「なんでもない! オバケでも魔物でも、何でも持ってこいと言ったんだ!」
◇◇◇
大口を叩いていたナーセルだったけれど、次の日、ぬるま湯で傷口を洗浄した後、わたしが取り出したものを見ると青ざめた。
「な、な、なんの冗談だそれは!?」
「マゴット・セラピーなのです」
わたしはシャーレの中でうぞうぞと動く繊細な白い虫たちをナーセルに紹介した。
「マゴットというのは、無菌――清潔な状態で育てた、ヒロズキンバエの幼虫のことです。かわいいでしょう?」
「かわいいわけあるか! ハエの幼虫ってことは、用はウジ虫だろう! 老師の弟子だからと思って何しても許されると思うなよ! そんなウジ虫をすり潰した薬を、お、お、お、俺の足に塗りつけるとか言うんじゃないだろうな!?」
「まさか」
わたしの返答に、ナーセルはいったん安心したように息を吐いた。
「……だったら、なんでそんなものを持ってきたんだ?」
「すり潰したら死んじゃうじゃないですか。この子達は、このまま、こう」
わたしがシャーレの中のマゴットを一匹とりナーセルの傷口に乗せると、ナーセルは文字通り悲鳴を上げて跳び上がった。
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