十三話 エキノコックス2
前回のあらすじ・ネムは、宰相公爵に捕まった! 牛の白血病の説明をさせられた!
◇◇◇
「なぜ、そこで寄生虫なんだ?」
公爵の言葉に、はああ、とお師匠さまが肩を揺らして深いため息を付いた。
「あきらめとくれ、シルバー公。天才ってのはね、思考回路と行動パターンが特殊なもんなんじゃわ。わしゃみたいな凡人にゃ理解が追いつかなくともしょうがないってなもんでね……マリアベルが白血病じゃから、今は病の研究をしているだけで、この子の興味関心は本来『虫』に向いとるんじゃ。白血病のデータの収集がてら、寄生虫のデータを集めとっても何の不思議もない」
「大賢者殿が凡人? そういう、ものなのか……?」
目を白黒させている公爵はいったん放っておいて、わたしはお師匠さまに向き直った。
「そう、大変なのです、お師匠さま。お師匠さまに相談したいことがあったのです。昨日までの『鑑定』の結果、王都にいる犬の約4割が『エキノコックス』に感染していたのです!」
「……エキノ……?」
お師匠さまをして初耳だったのか、腕を組んで首を傾げた。
「『エキノコックス』なのです。犬を終宿主とする寄生虫です」
「寄生虫? ああ、腹に棲む虫かい? 鯛の口の中とか、鰤のエラとかでも見たことがあるね。それがどうかしたのかい?」
さすがは大賢者、寄生虫の知識そのものはあるようで良かった。
けれどお師匠さまの反応をみるに、この世界では寄生虫の生態はあまり詳しく知られていないらしい。
「寄生虫というのは、不思議な生き物なのです」
わたしは懐から取り出した紙に、今回は細密画ではなくてちょっとデフォルメした絵を描いて説明する。エキノコックスの細密画とか、ちょっとそらでは描ききれない。
「エキノコックスの卵を、まずネズミが食べます。エキノコックスは、ネズミの胎内で幼虫になるのです。そのネズミを犬や狐が捕まえて、エキノコックスの幼虫ごと食べます。そうすると、エキノコックスは犬や狐の消化器官で大人になり、卵を産みます。そのフンがついた何かを食べたネズミの体内に入って、また幼虫になるのです」
「へえ、ぐるっと円になってるわけじゃね」
「ただ、ここで不可思議現象なのですが、エキノコックスは犬科の生き物以外の体内では大人になれないのです。幼虫のままなのです」
「何年経ってもかい?」
「十年経っても二十年経っても、幼虫のままなのです。そうする内に幼虫は混乱して、寄生主の体の中を移動し始めるのです。胃や腸から抜け出して、肝や脳に巣を作ったりします。そうすると、人は死にます」
お師匠さまと公爵がギョッとしたようにわたしを見た。
「まてまてまてまて。人と言ったかい!? ネズミと犬の話じゃなかったのかい!?」
「ネズミと犬なら、クルリと円が回って循環して、何の問題もないのです。問題は、この円に入れない生き物の体中でエキノコックスが孵化してしまった場合なのです。エキノコックスにとって、人間はネズミと同じ。幼虫にはなれるけれど成虫にはなれない寄生主です。けれど、人は犬に食べられることはほぼありません。だからエキノコックスは人間の体内で幼虫のまま、十年以上も生き続けます」
「……そして、肝の臓に巣を作る……」
公爵は複雑な表情を浮かべ、なぜか西の空へ目をやった。
「ただ、まだ獣人でエキノコックスに寄生された人は見つからなかったのです。それなので、おそらくどこか他の地域から、エキノコックスに寄生された犬科の生き物がやってきて、そこから王都の犬に感染が広がっている最中だと思うのです。エキノコックスは、本来の終宿主である犬の消化器官にいるときなら、虫下しで駆除できます。それなので、王都にいる犬と、念のため犬科の獣人さんに虫下しを飲んでもらえないかと、お師匠さまに相談したかったのです」
前世、エキノコックスは北海道のキタキツネが感染していることで有名な寄生虫だった。北海道に旅行した際は、どんなに綺麗に見えても川や泉の水を飲んではいけない、と言われていたものだ。
そのエキノコックスが本州の犬からも発見されたと転生する寸前の記事で読んだ覚えがあるけれど、結局のところどうなったんだろう。飼い犬や野生の狸、狐に虫下しの入った餌を食べさせれば防げるかもしれないのにと、当時のゼミの教授が嘆いていた覚えがある。
豚熱も感染源である野生の猪に薬を食べさせて、一応の沈静化に成功しつつある、とか……
しかし公爵は残念そうに首を横に振った。
「起こってしまった事象に対処することは可能だけれど、まだ起こってもいない、知られてもいない病を予防するための補整予算を組むのは少し難しいな……まして、根拠が君の『鑑定』だけでは。『鑑定』結果を他の人間にも見せられるというなら話は別だが」
「……そうですか。今ならまだ間に合うと思うのですが……」
やっぱり、無理だろうか。
学者や研究者の考えと、政治家の考えは異なる。
それでも十年二十年先の被害者を減らすには、今しかないのに。
もっと偉い人……例えばアリス王女なら、何とかなるだろうか。兄弟弟子だから気楽に接して欲しいって言ってくれたし。『アリスフォード戦記』の主人公をモブが頼るとか、コアなファンに知られたら刺されそうな気もするけど。
ダメ元で突撃してみようかなー、と考えていたところで、お師匠さまがドンッと杖で地面を叩いた。
「ええい、まどろっこしいね、政治ってやつは。わしゃの弟子の『鑑定』魔法の実証実験じゃ、とりあえず王都の野良犬にゃ虫下しをばらまいちまおう。ジェル坊――国王にゃわしゃから話を通しとくよ」
「でもお師匠さま。ローゼワルテでも虫下しは作れますが、タダではないのです。お金がかかるのです。虫下しを犬に飲ませてエキノコックスを防いでも、一文も儲からないのです。うちはビンボーなので、国が払ってくれないと材料を買えません」
「子どもが何を気にしとるんじゃ。お前しゃんは、わしゃの弟子。わしゃの身内じゃわ。わしゃを誰だと思ってるんじゃ? 世に名高い大賢者ルルじゃ。王都じゅうの犬に虫下しを飲ませたところでビクともしない財布くらいあるしゃね。……まあ、正確にはララの財布じゃけどね」
パチリと片目をつむって、お師匠さまはフフッと笑った。
「まあ、それは冗談じゃけど、わしゃだってララだって、王都で寄生虫が流行れば人ごとじゃあない。ララの娘だって孫だってこの王都に住んどる。説明すれば、虫下しの費用くらいポンと出してくれるじゃろうよ。そこの宰相殿と違って、わしゃらはお前しゃんの『鑑定』を信用しとるからね」
「んんんっ、大好きなのです、お師匠さま!」
わたしは公爵の腕から飛び出して、お師匠さまに飛びついた。
お師匠さまはわたしの勢いに少しよろめきつつ、ニヤリと口の端を持ち上げた。
「代わりに、エキノコックスとお前しゃんの『鑑定』に関して論文にまとめてもらうよ。学会に提出するんじゃからね」
かくして、わたしが小さな頃から錬金術師の兄弟たちと開発していた虫下しは、大盗賊ララ様の大きなお財布に無事お買い上げいただき、ローゼワルテ伯爵家は臨時収入を得ることができて、王都の犬を『鑑定』してもエキノコックスは見つからなくなった。
後は犬科の獣人にも虫下しを飲ませられれば完璧、とばかりにシルバーコーン公爵の宰相執務室に突撃すると、公爵はおらず、待っている間に宰相補佐さんがパウンドケーキと紅茶を出してくれた。
宰相補佐さん手作りだとというパウンドケーキは絶品で、さらに執務室で飼っているらしい巨大なモフ猫まで膝に乗ってきて、思いがけない癒やしのひとときになった。
「私が奔走している間に、随分と優雅な茶会をしているね」
しばらくして帰ってきた公爵は、あちこちで根回しをしてくれていたらしく、なんとか王都中の子ども達が通う手習い処で、先生達がエキノコックスの説明をして犬科の獣人の子に虫下しを飲ませることになったよ、とやれやれと肩をまわした。
大喜びでお礼を言うわたしの手を公爵の大きな手が握り、耳元でこっそりとお願いされた。
「これからもたまに執務室にお茶に来てくれないかね? 健康のためだなんだと私からは菓子を取り上げる四角四面の補佐官が、君には随分と甘いようだからね。私もご相伴にあずからせてくれ」
そんなわけで私はたまに執務室へお邪魔するようになった。
一見風紀委員みたいにピシッとした補佐官さんは実は小さい生き物が好きだそうで、わたしのために手作りのお菓子を常備してくれるようになったし、公爵はお菓子をつまんでいる間は虫の話でも嫌がらずに聞いてくれるし、宰相執務室は私的癒やしスポットになった。
ローゼワルテ伯爵家の財政的にも、わたしの胃袋的にも、王都民的にもめでたしめでたしだ。
……唯一、論文を書くはめになったことを除いては。
すっかり忘れていたわたしはお師匠さまにせっつかれ、今、机に向かって頭を抱えている。
「……文章にまとめるのは苦手なのですー!」
うなりながら机にかじり付いているわたしに、ディータが「まあ、自業自得ってやつなんじゃない?」と苦笑しながら、わたしが好きな酒粕の甘酒を作ってくれた。
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