第1部第7章 初めてのスパーリング
総合格闘技のクラスに参加して、1週間。
基本の構え、ステップ、パンチの打ち方、簡単なディフェンス。
覚えることは多かったが、里穂はそれらを驚くほどのスピードで吸収していった。
「じゃあ今日は、軽くスパーやってみようか」
トレーナーの一言に、少し緊張が走る。
スパーリング――
それは“練習”と“試合”の中間にある、実戦形式の練習。
パンチも蹴りも当てるが、本気のフルパワーではない。
それでも、“戦う”という行為を経験することに、里穂は小さく息をのんだ。
相手に選ばれたのは、同じクラスの女性会員だった。
ジムでは“女子最強”と言われている人らしい。
格闘技歴はそこそこ長く、スパーリングにも慣れているとのことだった。
ただ、身長は160センチ程度。
里穂とは十数センチの差がある。
体重差も、おそらく10キロ以上。
もちろん、だからといって油断はできない。
グローブをつけ、リングに立つ。
相手と向かい合い、礼をして構える。
「始め!」
トレーナーの声とともに、スパーが始まった。
――しかし、その時間は驚くほど短かった。
里穂のジャブが、すっと相手の顔面の前で止まり、
その反応の遅れを見逃さずに、ワンツーを叩き込む。
あくまで軽めに当てるルールだが、相手は一歩下がった。
そこから、ほとんど一方的だった。
相手の動きを読み、無駄のないフットワークでかわし、
少しずつ距離を詰めていく。
終了の声がかかったとき、相手はやや息を切らしていた。
トレーナーが驚いたように言う。
「……まさか、初スパーでここまで動けるとは」
思わず、リングの上で里穂は立ち尽くした。
「……私、勝ったの……?」
身体は熱く、心はもっと熱かった。
息は上がっていたが、苦しくはなかった。
むしろ――心の奥が、じんわりと喜んでいた。
「まさか自分が、格闘技でこんなに動けるなんて……」
数ヶ月前まで、自分は“運動ができない人間”だと信じていた。
その自分が今、誰かと拳を交え、勝った。
これまで自分が勉強で感じてきた達成感とは違う、「目の前の自分に向かってくる敵」に勝つ達成感。
「私、本当に……成長しているのかもしれない」
相手のレベルは、たしかに高くはなかった。
このジムでは女性の競技者が少なく、技術的にも発展途上の段階にある。
それでも、リングの上で起きたことは紛れもない“事実”だった。
その日の帰り道。
胸の奥に、初めての“誇らしさ”が宿っているのを感じた。