第1部第24章 王者を超えた夜
ゴングの音が、深夜のスタジオに鳴り響いた。
リングの上――
立っているのは、世界王者と、現役女子大生。
けれど、そこに“経験の差”や“性別の壁”は、もう存在していなかった。
田中遥輝は、開始の合図と同時に動き出した。
体をねじるような踏み込みからの左ジャブ、そこに連動して右ロー。
さらに上下を使い分けるコンビネーションで、里穂を揺さぶってくる。
「……さすが、世界チャンピオンです。すごい攻撃です」
里穂はそう言いながらも、
その攻撃のすべてを交わし、受け流し、あるいは見切っていた。
「全部かわしておいて、よく言うぜ……」
田中は思わず苦笑した。
その顔に焦りはない。むしろ楽しげですらある。
しかし里穂は、その表情の奥にあるものを読み取っていた。
「でもやっぱり、試合から2日しか経ってないし。
長距離移動の疲れとか……あるんじゃないですか?」
「ない。俺は世界戦以上に、今日の“試合”を待ち望んでた。
疲れなんて、関係ない」
目を見れば、わかる。
田中は本気だ。すべてを、今日この場所に懸けている。
(……そんなふうに、私のことを思ってくれたんだ)
拳ではなく、心に響いたその言葉。
だからこそ、応えたい。
里穂は、静かに呼吸を整えた。
「……じゃあ、私も遠慮しません」
***
2R。
田中の攻撃はさらに鋭くなる。
コンビネーションの緩急、タイミング、間の詰め方――すべてが研ぎ澄まされていた。
だが、それでも。
里穂は、捉えさせない。
身をひねるように重心をずらし、
ときに紙一重の距離で拳をすり抜ける。
「すごい……本当に“世界”の動きだ……」
圧倒されそうになる自分の身体に、強く言い聞かせる。
(でも、私はあの人に勝ったんだ)
(あの夜の“事実”は、今も、ここにある)
***
そして、最終3R。
田中が前に出る。
最後の気力を振り絞り、怒涛の連撃を仕掛ける。
フック、膝、ボディ、ロー。
まるでスローモーションのように、すべてが見えた。
(いま……!)
里穂は、ステップを刻みながら空間を作り、
そこから流れるように反撃へ転じた。
ワンツー、からの左フック。
そこに迷いなく、右ハイキック。
一連の動きは、まるで“舞い”だった。
田中の身体が、大きくロープまで吹き飛ばされる。
「……本当に君は……とんでもないな……」
その言葉を最後に、田中は静かに意識を手放した。
***
勝者も敗者もない。
でも、たしかに――この夜、彼女は“王者を超えた”。




