第1部第20章 もうひとつの世界
2026年9月、東京都内
この日、田中遥輝がメインイベントに登場した。
「世界前哨戦」と位置づけられた試合。
相手は世界ランク2位のブラジル人ファイター。
パワーとスピード、そして豊富な試合経験を持つ強敵。
だが、田中はその試合を2Rで終わらせた。
左右の打ち分け、強烈なロー、的確なタイミングでのカウンター。
すべてが冴えていた。
レフェリーが試合を止めた瞬間、会場が大きくどよめいた。
──世界は、すぐそこにある。
試合後、場内スクリーンに発表が映し出された。
「2026年12月、アメリカ・ラスベガス。
世界タイトルマッチ、田中遥輝、挑戦決定――」
控室には、祝福に訪れるジム仲間たちの笑顔が並んでいた。
その輪の中には、里穂の姿もあった。
「田中さん、本当におめでとうございます」
「ありがとう、森川さん」
にこやかに交わされた言葉。
だが、ふと人が途切れ、控室の一角で二人きりになる時間が訪れる。
田中は、そっと口を開いた。
「……君のおかげで、俺はまた強くなれたと思う」
「え……?」
「森川さんと戦って、負けて、自分を見直せた。
それが今日の勝ちにつながった」
田中の声は、静かで、でも強かった。
「俺、必ず世界を獲るよ。
そしてそのときは、また“あの場所”で――
誰も見ていない場所で、君と戦わせてほしい。
今度こそは、君に勝つ」
里穂は、驚いたように少し目を見開いた。
けれど、すぐに微笑みを浮かべる。
「……そんな、男子の世界チャンピオンに勝てるわけなんてありませんよ」
「……」
「でも――楽しみにしてます」
ふたりだけに聞こえる声で。
その言葉は、まるで“未来の約束”のように響いた。
その夜、東京の空は晴れていた。
静かな風が、次なる舞台の幕開けを告げていた。




